道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

  

我は葡萄の樹、なんぢらは枝なり。人もし我にをり、我また彼にをらば、多くの果を結ぶべし。汝ら我を離るれば、何事も為し能はず。   ヨハネ15:5


教会の庭にある葡萄の樹を見ていると、この時期、新芽が勢い良くぐんぐん伸びている。葉や蔓の間に小さな実の塊ができて、次第に葡萄らしい形になってきた。

根は地中の養分の含まさった水をを吸い上げ、葉は光化学反応を起こして糖分を作り、それが果になるという。

ともかく、幹に繋がっていなければ、枝は枯れ、果を結ぶことはできない。

私たちも同様に主イエス・キリストに繋がっていなければ、キリスト者としての善き果を結ぶことができないし、キリストの御霊を受けていなければ、御霊の果を結ぶことができない。

葡萄の樹を良く見ると、初めから果の付いていない枝がある。農夫は当然のことながら、この枝を取り除き、果の結ぶ枝を選別して世話をすることだろう。

春から夏を経て、秋になると収穫の時が訪れる。それが楽しみで厭わず世話をする。



汝ら我を選びしにあらず。我なんぢらを選べり。而して汝らの往きて果を結び、且その果の残らんために、又おほよそ我が名によりて父に求むるものを、父の賜はんために汝らを立てたり。  ヨハネ15:16




 全地よヱホバにむかひて歓(よろこ)ばしき声をあげよ
 欣喜(よろこび)をいだきてヱホバに事(つか)へ うたひつゝその前(みまへ)にきたれ
 知れヱホバこそ神にますなれ われらを造りたまへるものはヱホバにましませば 我儕(われら)はその属(もの)なり われらはその民 その草苑(まき)のひつじなり
 感謝しつゝその門(みかど)にいり ほめたゝへつゝその大庭にいれ 感謝してその名(みな)をほめたゝへよ
 ヱホバはめぐみふかく その憐憫(あはれみ)かぎりなく その真実(まこと)よろづ世におよぶべければなり

                                                                   詩篇100篇

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=最近の証し=
◎令和元年最初のロシア人伝道の実が結ぶ。小樽港に車で伝道に行くと埠頭の側の道を一人のロシア人が市街の方向に向かって歩いているのに出会った。一旦行き過ぎたのだが、戻って声を掛け、「札幌から伝道にきているのですが、教会に行きませんか」と言うと、「行きます」という返事である。沿海州から来た若い船員さんだった。教会に着いて聖霊待望をすると、すぐに受霊し、次いで主イエス・キリストの名によって洗礼を受け、大変喜ばれた。終わってから小樽の市街まで送っていくと、「買い物があります」というので別れたが、こうして又一人救われて感謝であった。


◎道東の知床に転勤されたA兄弟、教職に携わっているが、前任地では、新参者は受け入れて貰えぬ環境で、厳しい状態に追い込まれたが、神様が働いて、職場そのものが無くなり、惜しまれて転勤という形になった。新任地には良き先輩や理解者何人もいて、校舎は新しく、環境も良く、思いきり仕事ができると感謝しておられる。
なんぢら神の御意を行ひて約束のものを受けん為に必要なるは忍耐なり。『いま暫くせば、來るべき者きいたらん、遅からじ。』 
へブル10:36,37


われ必ず、なんぢを恵み恵まん、なんぢを殖し殖さん へブル6:14 

神は、アブラハムを祝福すると約束して、御自身より勝る者がいないので、己を指して誓われた。

即ち、アブラハムが獨子イサクを捧げたので、「我大に汝を祝み又大に汝の子孫を増して天の星の如く濱の沙のごとくならしむべし」と誓って約束されたのである。

この祝福は、アブラハムへの約束であると共に、その裔である主イエス・キリストによって私たちに約束された祝福である。


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今年のGWは、10日間の大型連休であった。この間に皇室の御代替わりがあり、元号が、平成から令和に変わった。
この間に教会もいろいろなことがあった。先ず第一は、恒例の関東大聖会に家族と聖徒方と共に出席し、大いなる祝福に与ったことである。

第二に、それに続いて教会に、聖徒方に祝福が注がれたことである。

毎週の礼拝はもとより、結婚式や祝福祭、聖別祭などが続いて行われた。新しいことが主によって為されて感謝であった。

結婚式は、函館在住の兄弟姉妹であった。主イエス・キリストの御名により誓約をし、祝福を受けて人生の出発をされた。

最果ての地、知床に赴任されたA兄弟の住居の聖別とお仕事の祝福祭が行われ、冬は流氷に閉ざされる酷寒の地で情熱を燃やして進まれる兄弟に祝福あれと祈った。

ヴォーカル教室「PROVE」を開いているS姉妹のLIVEは楽しかった。市内の貸スタジオで土、日の2回に分けて生徒さん方が歌うのである。皆さん熱唱し、最後にS姉妹がプロの歌声(今回は英語4曲)を披露して終わったのであるが、私たちの役割は、礼拝後に行ってこのLIVEが祝福されるように祈ることであった。

今日メールで届いたお祈りの問題は、高校生のK君とO君とからで、互に別々の学校のチームでサッカーをやっているのだが、共に勝ち上がってきて、今日の試合でぶつかることになった。全力を尽くすから勝てるように祈ってほしいと云うことである。

K君の母親は信者で、O君の母親は未信者なので、今日は息子たちの試合を観に車で一緒になるから、行きしなに伝道をし、帰りには教会に連れて来たいという伏線もあって、楽しみに祈らされています。
 



日の出る處より没(い)る處までの列國(くにぐに)の中に我名は大ならん 又何處(いづこ)にても香と潔き献物(ささげもの)を我名に献げん そはわが名列國の中にて大なるべければなりと萬軍のヱホバいひ給ふ  マラキ1:11

旧約時代にヱホバと称された神が、我が名は日の出る處より没する處までの国々の中に大ならんと言い給うた。即ち、日の出る国「日本」から始まって、日の没する多くの国々に至るまで福音が宣伝えられ、主なる神の御名が崇められるという預言である。

そして、その神が言われる 「我が名」 とは何か。言うまでもなく 「イエス」 である。

「あなたは神のお名前を御存じですか?」と問われる時に、答えられないクリスチャンが世に多くいる。

使徒行伝を読むと、ここに記されている神の御名は全部 「イエス」 であって、他の名はないことを知るのである。

イエス、又、イエス・キリスト、主イエス・キリストとあり、全部 「イエス」 である。

主の使徒たちは皆、イエス・キリストの御名によってバプテスマを施し、病を癒し、悪鬼を追い出した。それによって 「主イエスの名が崇めらる」 となったのである。
 使徒19:17

私たちは、それぞれに眞の福音「水と霊」を携え、主イエス・キリストの名を高く掲げてて進み行こうではありませんか。



我らはユダヤ人・ギリシャ人・奴隷・自主の別なく、一體とならん爲に、みな一つ御霊にてバプテスマを受けたり。而してみな一つ御霊を飲めり。 コリント前12:13

主イエス・キリストは、全世界の人々を救わんとして来り給うた。人種・国籍・言語などの様々な壁を超えて、神を信じ、愛する人々を求めておられる。

異邦人であるコルネリオがペテロを招いた時、ペテロは口を開いてこう言った如くである。
『われ今もことに知る、神は偏ることをせず、何れの國の人にても神を敬ひて義をおこなふ者を容れ給ふことを。神はイエス・キリスト(これ萬民の主)によりて平和の福音をのべ、イスラエルの子孫に言をおくり給へり。・・・』
 使徒10:34~

また、斯く言う。
されば記憶せよ、肉におりては異邦人にして、手にて肉に行ひたるかの割礼ありと稱へらるる汝ら、曩(さき)にはキリストなく、イスラエルの民席に遠く、約束に属する諸般の契約に與りなく、世に在りて希望なく、神なき者なりき。されど前に遠かりし汝ら今キリスト・イエスに在りて、キリストの血によりて近づくことを得たり。・・・そはキリストによりて我ら二つのものを一つ御霊にありて父に近づくことを得たればなり。
 エペソ2:11~

水と霊との救いを受けた者同士が一つになり、神の教会となり、互に主イエス・キリストに在って兄弟姉妹と呼び合えるのだ。




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