我は葡萄の樹、なんぢらは枝なり。人もし我にをり、我また彼にをらば、多くの果を結ぶべし。汝ら我を離るれば、何事も為し能はず。 ヨハネ15:5
教会の庭にある葡萄の樹を見ていると、この時期、新芽が勢い良くぐんぐん伸びている。葉や蔓の間に小さな実の塊ができて、次第に葡萄らしい形になってきた。
根は地中の養分の含まさった水をを吸い上げ、葉は光化学反応を起こして糖分を作り、それが果になるという。
ともかく、幹に繋がっていなければ、枝は枯れ、果を結ぶことはできない。
私たちも同様に主イエス・キリストに繋がっていなければ、キリスト者としての善き果を結ぶことができないし、キリストの御霊を受けていなければ、御霊の果を結ぶことができない。
葡萄の樹を良く見ると、初めから果の付いていない枝がある。農夫は当然のことながら、この枝を取り除き、果の結ぶ枝を選別して世話をすることだろう。
春から夏を経て、秋になると収穫の時が訪れる。それが楽しみで厭わず世話をする。
汝ら我を選びしにあらず。我なんぢらを選べり。而して汝らの往きて果を結び、且その果の残らんために、又おほよそ我が名によりて父に求むるものを、父の賜はんために汝らを立てたり。 ヨハネ15:16