道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

● エペソ書:第6章18~24節

常にさまざまの祈りと願とをなし、御靈によりて祈り、また目を覺して凡ての聖徒のためにも願ひて倦まざれ。 又わが口を開くとき、言を賜はり、憚らずして福音の奥義を示し、 語るべき所を憚らず語り得るやうに、我がためにも祈れ、我はこの福音のために使者となりて鎖に繫がれたり。・・・・・

● ガラテヤ書:第5章1節

キリストは自由を得させん爲に我らを釋き放ちたまへり。 然れば堅く立ちて再び奴隷の軛に繫がるな。

● ガラテヤ書:第5章16~26節

我いふ、御靈によりて歩め、さらば肉の慾を遂げざるべし。・・・・・

聖餐式

● 雅歌:第5章10節

わが愛する者は白くかつ紅にして萬人の上に越ゆ

● イザヤ書:第53章5節

彼はわれらの愆のために傷けられわれらの不義のために碎かれみずから懲罰をうけてわれらに平安をあたふそのうたれし痍によりてわれらは癒されたり

●出エジプト記:第29章43節

其處にて我イスラエルの子孫に會ん幕屋はわが榮光によりて聖なるべし

●  詩篇:第26編8節

エホバよ我なんぢのまします家となんぢが榮光のとヾまる處とをいつくしむ

● ヨハネ黙示録:第7章2節

また他の一人の御使の、いける神の印を持ちて日の出づる方より登るを見たり、・・・・・

● ヨハネ黙示録:第7章9~10節

・・・・・ 大聲に呼ばわりて言ふ 『救は御座に坐したまふ我らの神と羔羊とにこそ在れ』

聖餐式

● マタイ伝:第26章26~30節

お証し= I 兄弟のお父様(聖霊を受けておられる)が3月11日に召されました。12日にご家族によって身代り洗礼が為され、納棺式、前夜祭。13日は告別式、納骨式。14日は安息日礼拝。 姉妹も出席してお証しを語り、ハレルヤ。15日には牧師がニュージーランド大聖会に出発。 凡て主のご計画の中に進められ大感謝です!

● 傳道之書:第3章1~15節

天が下の萬の事には期あり 萬の事務(わざ)には時あり 生るゝに時あり死ぬるに時あり・・・・・神のなしたまふところは皆その時に適ひて美麗しかり・・・・・

● テサロニケ前書:第4章13~18節

兄弟よ、既に眠れる者のことに就きては、汝らの知らざるを好まず、・・・・・その時キリストにある死人まづ甦へり、後に生きて存れる我らは彼らと共に雲のうちに取り去られ、空中にて主を迎へ、斯くていつまでも主と偕に居るべし。・・・・・

● コリント前書15章29節

もし復活なくば、死人の爲にバプテスマを受くるもの何をなすか、死人の甦へること全くなくば、死人のためにバプテスマを受くるは何の爲ぞ。

● 使徒行傳:第16章30~31節

『君等よ、われ救はれん爲に何をなすべきか』 二人は言ふ 『主イエスを信ぜよ、然らば汝も汝の家族も救はれん』

聖餐式

● コリント前書:第11章23~26節

● 詩篇:第106篇1~5節

エホバよ なんじの民にたまふ恵をもて 我をおぼえ なんぢの救いをもて われに臨みたまへ さらば 我なんぢの撰びたまへる者のさいわひを見 なんじの國の歡喜をよろこび なんぢの嗣業(ゆずり)とともに誇ることをせん

● エレミヤ記:第17章5~10節

おほよそエホバをたのみ エホバを其恃(たのみ)とする人は福なり 彼は水の旁に植たる樹の如くならん 其根を河にのべ 炎熱きたるも恐るゝところなし その葉は青く 亢旱(ひでり)の年にも憂へずして 絶えず果を結ぶべし

● 出エジプト記:第20章5~6節

我を悪む者にむかいては父の罪を子にむくいて三・四代におよぼし 我を愛しわが誡命を守る者には恩恵をほどこして千代にいたるなり

● 創世記:第26章2~5節

・・・・是はアブラハムわが言に順ひわが職守(つとめ)とわが誡命(いましめ)とわが律法を守りしに因てなり

● 創世記:第27章28~29節

諸の民汝につかへ諸の邦(くに)汝に躬(み)を鞠(かがめ)ん 汝兄弟等の主となり 汝の母の子等汝に身をかがめん 汝を詛ふ者はのろはれ 汝を祝する者は祝せらるべし

聖餐式

● ヘブル書:第5章7~10節

● コリント前書:第11章23~26節

● イザヤ書:第55章6節   

なんぢら遇ことをうる間にエホバを尋ねよ 近くゐたもふ間によびもとめよ

● ヨブ記:第5章9節

神は大にして測りがたき事を行ひたまふ 其不思議なる事を爲たまふこと數しれず

● マタイ傳:第6章19節,33~34節

なんぢら己がために財寶を地に積むな、ここは蟲と錆とが損ひ、盗人うがちて盗むなり。

まづ神の國と神の義とを求めよ、然らば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。 この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。 1日の苦勞は1日にて足れり。

● テモテ前書:第3章15節下半句  

神の家は活ける神の教會なり、眞理の柱、眞理の基なり。

● イザヤ書56章7節下半句

わが家はすべての民のいのりの家ととなえらるべければなり

聖餐式

● ルカ傳:第22章7~23節

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