道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-



9月6日、午前3時8分に、

M6.7、震度7の地震が厚真町で発生して4日目、

まだ時々揺れています・・・。

停電は、こちらは2日間で済みましたが、

節電をしなければなりません。

もっと凄く大変な被災地があります。

皆様のお祈りに感謝!

「ありがとう」を申し上げます。







「福音」とは、「良き音信」という意味だが、新約聖書に数多く出てくる。そもそもマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四書はタイトルからして「福音書」になっている訳であるし、新約聖書全体では多数を数えられる。ところが旧約聖書ではイザヤ書61章1節ただ1ヵ所である。これは少なからず驚きである。

イザヤ書の聖言は、こう記されている。
「主ヱホバの御霊われに臨めり こはヱホバわれに膏をそそぎて貧きものに福音をのべ傳へることをゆだね 我をつかはして心の傷める者をいやし俘囚(とらはれびと)にゆるしをつげ 縛(いまし)められたるものに解放をつげ・・・」


主イエス様が伝道の途次、ナザレで安息日に会堂に入り聖書を読もうとして立たれた時に、預言者イザヤの書を与えられたので、其の書を繙き、上記の聖言を見出して読まれた。読み終えて書を巻き、係りの者に返して坐し、こういわれた。「この聖書は今日なんぢらの耳に成就したり」と。 ルカ4:17~21

福音は、正しくイエス・キリストによって成就されたのである。主は言い給うた。「聖書は我につきて証するものなり」 ヨハネ5:39

旧約時代は、福音の準備が為され、イエス・キリストの出現によって、一気に花が咲いたのである。  コロサイ2:17参照

パウロは福音とは何ぞやを教えている。

「わが第一に汝らに傳へしは、我が受けし所にして、キリスト聖書に応じて我らの罪のために死に、また葬られ、聖書に応じて三日めに甦へり、ケパに現れ、十二弟子に現れ給ひしことなり」
 コリント前15:4

而して救いは如何にせば良いか。

福音を「信じてバプテスマを受くる者は救わるべし」 即ち、水と霊とのバプテスマを受ける事である。

是なんぢら初の日より今日に至るまで福音を弘むることに与るが故なり。我は汝らの衷に善き業を始め給ひし者の、キリスト・イエスの日まで之を全うし給ふべきことを確信す。
 ピリピ1:5,6


             2018-08-25 ヨシュア File0194



汝らの事ふべき者を今日選べ 但し我と我家とは共にヱホバに事へん
                                    ヨシュア24:15

モーセの後継者であったヨシュアは、イスラエルの民を率いてヨルダンの西の方を平定し、主はイスラエルに安息を与え給うた。  

久しくして、ヨシュアは年邁(すす)みて老いたる後、凡てのイスラエル人すなわち長老 首領 裁判人 官吏などを招きよせて、先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神なるヱホバを畏れ、赤心と真実とをもて事えよ、而して異邦の神を除けと語り、事うべき神を今日選べ 「但し我と我家とは共にヱホバに事へん」 と語った。

ヨシュアは、このことに就いて民と契約を結び、証しとして大いなる石をとりヱホバの聖所の傍らにある樫の木の下に立てたのである。 ヨシュア記24章

 「主イエスを信ぜよ、然らば汝も汝の家族も救はれん」 使徒行伝16:31
 而して、救われた私たちは、「全家とともに神を信じて喜べり」 同34節
 「我と我家とは共に主に事へん」と、一心一念をもて歩むべきである。  

     ♪ 新しきに地に 踏み出だす
       心にそなえ ありや見よ
       ヨシュアのごとく 我も言はん
       我が家と我は 主に事へん   ♪
             リバイバル聖歌 99番






                                      少年ダビデ


11
ツロの王ヒラム使者をダビデに遣はして香柏および木匠(たくみ)と石工をおくれり 彼らダビデの爲に家を建つ
12 ダビデ、エホバのかたく己をたてゝイスラエルの王となしたまへるを暁(さと)り  またヱホバの其民イスラエルのために其國を興したまひしを暁れり

                                  サムエル後5:11,12

ダビデは、若き日に王となるべく神に選ばれ、サムエルによって膏を注がれた。此の日よりヱホバの霊が彼に臨んだ。

ダビデは、ぺリシテ人との戦いで敵の挑戦者、巨人ゴリアテを神の名により投石器の石をもって倒して大勝利を収め、「サウルは千人をうち殺しダビデは萬をうち殺す」と民に賞賛された。だが、この日より後、ダビデはサウル王の妬みをかい命を狙われるが、神は彼を守り続けられた。

ぺリシテ人との戦いでサウル王と長子ヨナタンの死し後、次子イシボセテが跡を継ぐが、一方ユダの家はヘブロンでダビデを王に立てて從った。

ダビデは益々強くなりサウルの家はますます弱くなった。そして最終的にサウルの家が滅亡した時、イスラエルの長老はみなダビデの許に来て、ダビデに膏を注いでイスラエルの王とした。ダビデは王となった時三十歳にして四十年の間位に在った。即ちヘブロンにてユダを治めること七年と六カ月、またエルサレムにてイスラエルとユダを全く治めること三十三年であった。

ダビデは、エルサレムに行きブス人の手よりシオンの要害を取って住み、ダビデの城邑(まち)と名づけた。

ダビデはますます大いに成りゆき且萬軍の神ヱホバが共におられた。

話は最初の聖言に戻って、これらの事を見ていた隣国ツロの王ヒラムが使者をダビデに遣わして、家を建てるための資材と人員を派遣したと言うのである。隣国の王が確かなる神の祝福がダビデにあるのを見てとったのである。

ヒラムがそのようにしてくれたことによって、ダビデもまた神によって王とされたことと、民の為に神が王国を興されたことを暁ったのである。

曾て神は、イスラエルの民が御自身以外の者を王とするのを善しとし給わなかった。士師サムエルも然りであった。そして結局のところ民が立てたサウル王は、神に從わず、罪を犯す不逞の輩であって、神に捨てられた。その国もぺリシテ人やアマレク人の侵略を受け、戦いの連続であった。

今茲に神によって選ばれ立てられたダビデ王によって、主なる神の聖名が崇められるに至ったのである。  

そして神によりダビデ家とユダとイスラエルの家とに祝福と繁栄とが齎されたのである。

私たち一人々々の上にも祝福が豊かにありますように!

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9 この後われ見しに、視よ、もろもろの國、族(やから)、民、國語(くにことば)の中より、誰も數へつくすこと能はぬ大なる群衆、しろき衣を纏ひて手に棕櫚の葉をもち、御座と羔羊との前に立ち、
10 大聲に呼はりて言ふ 『救は御座に坐したまふ我らの神と羔羊とにこそ在れ』
11 御使みな御座および長老たちと四つの活物(いきもの)との周囲に立ちて、御座の前に平伏し神を拝して言ふ、
12 『アァメン、讃美・榮光・智慧・感謝・尊貴・能力・勢威、世々限りなく我らの神にあれ、アァメン』
13 長老たちの一人われに向ひて言ふ 『この白き衣を著たるは如何なる者にして何處より來りしか』
14 我いふ 『わが主よ、なんぢ知れり』 かれ言ふ 『かれらは大なる患難より出できたり、羔羊の血に己が衣を洗ひて白くたる者なり。
15 この故に神の御座の前にありて晝も夜もその聖所にて神に事ふ。御座に坐したまふ者は彼らの上に幕屋を張り給ふべし。
16 彼らは重ねて飢ゑず、重ねて渇かず、日も熱も彼らを侵すことなし。
17 御座の前にいます羔羊は、彼らを牧して生命の水の泉にみちびき、神は彼らの目より凡ての涙を拭ひ給ふべければなり』
                            ヨハネ黙示録7:9~17

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・アブラハムは、妻サラが死んだときにヘテ人エフロンの持ち物なるマクベラの洞穴を買って己が所有の墓所として葬った。
・アブラハムが175歳で年満ちて死んだとき、息子のイサクとイシマエルは、父を同じ墓所に葬った。
・イサクは180歳で年満ちて死に、その妻リベカも死んだ。その子エサウとヤコブが之をアブラハムの所有なる墓所に葬った。
・ヤコブは147歳でエジプトで死んだが、息子ヨセフに遺命し、同じマムレの洞穴なる墓所に葬った。
・ヨセフは110歳で死んだが、神によってエジプトを出る日には、我が骨を携え出でよと遺命した。四百余年経ってモーセはヨセフの骨を携えてエジプトを発った。
・斯く、マクベラの洞穴は、アブラハムと子孫の代々の墓所となった。

私たちの今日あるは、主イエス・キリストの救いと恵みによるのは勿論のことですが、同時に私たちのために愛を注ぎ、訓育してくださった両親や先祖がいることを忘れず、感謝することが、喜霊祭の意義ではなかろうかと思います。

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