道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-



エリヤの昇天後、主は直ちにエリシャを用いられた。

エリコの町の人々はエリシャに言った、「見られるとおり、この町の場所は良いが水が悪いので、この地は流産を起すのです」。エリシャは言った、「新しい皿に塩を盛って、わたしに持ってきなさい」。彼らは持ってきた。エリシャは水の源へ出て行って、塩をそこに投げ入れて言った、「主はこう仰せられる、『わたしはこの水を良い水にした。もはやここには死も流産もおこらないであろう』」。こうしてその水はエリシャの言ったとおりに良い水になって今日に至っている。
 歴代下:19~22 これがエリシャによる第一の奇蹟である。

また、預言者のひとりの妻がエリシャに呼ばわって言った、「あなたのしもべであるわたしの夫が死にました。ごぞんじのように、あなたのしもべは主を恐れる者でありましたが、今、債主がきて、わたしのうたりの子供を取って奴隷にしようとしているのです」。エリシャは彼女に言った、「あなたのために何をしましょうか。あなたの家にどんなものがあるか、言いなさい」。彼女は言った、「一びんの油のほかは、はしための家には何もありません」。彼は言った、「ほかへ行って、隣の人々から器を借りなさい。あいた器を借りなさい。少しばかりではいけません。そして内にはいって、あなたと子供たちと一緒に戸の内に閉じこもり、そのすべての器に油をついで、いっぱいになったとき、一つずつそれをとりのけておきなさい」。彼女は彼を離れて去り、子どもたちと一緒に戸の内に閉じこもり、子どもたちの持ってくる器に油をついだ。油が満ちたとき、彼女は子供たちに「もっと器を持ってきなさい」と言ったが、子供が「器はもうありません」と言ったので、油はとまった。そこで彼女は神の人のところへきて告げたので、彼は言った。「行って、その油を売って負債を払いなさい。あなたと、あなたの子供はその残りで暮らすことができます」。 同4:1~7

エリシャが主の名によって行った奇蹟、不思議は数多く記されてある。貧しい人からイスラエルの王に至るまで神の栄光を見させ、またスリアのナアマン将軍が病を癒されることを望んでやって来た時には、きれいに癒やして帰らせた。その凡ての人々が救われ、癒され、生ける神の御業を見たのである。

エリシャはエリアの後継者として、主のため人のために善き働きをして、使命を全うしたのである。


エリシャは、エリヤの後継者として神に選ばれ、エリヤにより膏を注がれ代わって預言者とされた人である。

牛を使って畑を耕しているところにエリヤが来て、その上に外套をかけた。エリシャは父母に別れを告げ、エリヤに從いこれに仕えた。「汝は我に従え」と召命の時である。
 列王上19:19~21

エリシャは、エリヤが昇天するときまで共にいて、エリヤの行う事を凡てを見て学んでいた。

今日は別れるという日が来たが、エリシャは何処までもついて行った。ヨルダン川に来たときにエリヤが外套を丸めて水を打つと水が左右に分れたので、二人は乾いた土の上を渡って行った。
 列王下2章

最後に別れる時が来た。エリヤが「あなたのために何ができるだろうか。何なりと願いなさい」と言うと、エリシャは「どうかあなたの霊の二倍の分け前をくださいますように」と答えた。 聖書協会共同訳

エリヤは「あなたは難しい願をするものだ。わたしが取り去られるのを見るならば、願はかなえられる。もし見なければ、願はかなえられない」と言った。

「我を信ずる者は我がなす業をなさん、かつ之よりも大なる業をなすべし、われ父に往けばなり」と言われた主イエス様の御言葉の如くである。
 ヨハネ14:12

火の車と火の馬が現れて二人を隔てた。エリヤは旋風に乗って天に昇り、エリシャは「わが父 わが父 イスラエルの兵車よ その騎兵よ」と叫んだ。そして自らの衣を掴んで二つに裂いた。

エリシャはエリヤの身から落ちてきた外套を持ってヨルダンの岸に立ち、水を打つと左右に分れたので、渡って戻ってきた。遠くから一部始終を見ていた預言者たちは「エリヤの霊エリシャの上にとどまる」と言った。

この日を境にして、主はエリシャと共に在り、神の人エリシャは御霊の力をもて数々の奇跡、不思議を行うようになった。エリヤに言った願のようになったのである。

私たちも、昇天後十日目のペンテコステの日に約束の御霊を注ぎ給うた主イエス様によって、御霊のバプテスマを受けて能力を得、また御霊の諸々の賜物を得た。それに從って尊い主の御用のために用いられるようになった。勇気百倍して用いられて行きたいと願うのである。



 イエス言ひ給ふ 『なんぢらには神の國の奥義を與ふれど、外の者には、凡て譬(たとへ)にて教ふ』 マルコ4:11

人々の聴きうる力に随ひて、御言を語り、譬ならでは語り給はず、弟子たちには、人なき時に凡ての事を檡き給へり。
 同4:33,34

主イエス・キリストは民衆に語る時は、神の国の奥義を地上の物事に置き換えて、譬をもって説かれたのだが、弟子たちに語る時は、奥義そのものを掘り下げて語られたのである。弟子たちにとって主の教室は、神学校であった。

多くの人は神の業を見ても信ぜず、聞いても悟らない。だが主は、聴く耳を持て、見る目を持て、而して悟る心を持てと言い給う。

世の智者、学者には神の事は分からない。なぜか?頭脳をもって考えるからである。

しかし真理の御霊を受ける時、御霊は私たちを導いて真理を悉く悟らせてくださるのである。御霊は凡ての事を究め、神の深き所まで究めておられるからである。

全き頴悟(さとり)の凡ての富を得て、神の奥義なるキリストを知らん爲なり。キリストには智慧と知識との凡ての宝藏(かくれ)あり。
  コロサイ2:2,3




ヱホバその寳(たから)の藏(くら)なる天を啓(ひら)
雨をその時にしたがひて汝の地に降(くだ)
汝の手の諸(もろもろ)の行為(わざ)に祝福(めぐみ)をたまはん

                      申命記28:12

私たちの目に見える物と見えない物とが存在する。

天国は肉眼では見えないが、主が霊眼を啓いて下されば見させていただけるものである。

水と霊とをもって救われ、神の子となる特権を与えられた者は、天国は汝の心にありとされ、御国の心地を味わっているのである。

全能の主なる神は、天には無尽蔵の宝が納められた蔵があると言われる。誰のための宝の藏か。神の世継ぎである私たちのためである。

ヤコブは、旅路で石を枕にした夢の中で、天に達する階段を御使いたちが昇り降りするを見た。神はその上に立たれてヤコブと子孫に祝福を与え、その裔ーイエス・キリストーによって天下の人々は幸いを得ると約束された。

ヤコブは目を覚まし、神がこの処にいますに我知らざりきと、此の処は神の殿、天の門なりと言い、翌朝、枕にしていた石を立て柱とし膏をその上に注ぎ、その地の名をベテル(神の家)と名づけ、神に誓って言った。

「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、安らかに父の家に帰らせて下さるなら、主をわたしの神といたしましょう。またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなてにささげます」と。
 創世記28:20~22

神はヤコブを祝し、約束し給いしことを一つも欠けることなく成就された。イスラエルの十二支族は彼より出た。彼は多くの牛、羊、駱駝と、僕、婢を持った。ヤコブも神に誓いしことを尽く行った。彼は祖父アブラハムの信仰に倣い、神の前に忠実に歩もうとしたのである。



  地よ懼るゝ勿れ 喜び樂しめ
  ヱホバ大なる事を行ひたまふなり

ヨエル書2:21から始まった今年の聖言。

ここを最新刊の聖書教会共同訳で読むとこうである。

  大地よ、恐れるな。楽しみ、喜べ。
  主は偉大な業を成し遂げられた。

と末尾が完了形になっているが、これは預言的完了形であって、未来において必ず実現することを意味している。

事実、23節には「雨が秋の雨と春の雨と二度降る」と記されているが、これは預言であって、雨を聖霊降臨に譬えて一度目は使徒ペテロが言った如く初代教会のペンテコステの日の聖靈降臨を指し、二度目は末の世の聖靈降臨とを指していて、その後に主の再臨があり、教会は天に携え挙げられて、預言が成就するのである。

ともあれ、今年は元日に救いがあった。主が大いなる事を行いたまうと御言葉を戴いたので、感謝し、主の御計画が成就するように教会を挙げて祈りつつ用いられたいと願うのである。ハレルヤ!

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