道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-


日本聖書協会から 『 聖書 聖書協会共同訳』が刊行されました。
『新共同訳』の発行以来31年ぶりに0ゼロからの翻訳とのこと。

聖書はほぼ30年ごとに翻訳されており、明治元訳1887(明治20)に始まって、大正改訳 新約聖書のみ、1917(大正6)、口語訳1955(昭和30) 新共同訳1987(昭和62)そしてこのたびの 聖書 聖書協会共同訳 2018(平成30)となります。 

また、いのちのことば社からは「新改訳」が出版されており、最新刊は「新改訳2017」です。

私的には、このブログで用いている 「文語訳聖書」 (旧約・明治元訳+新約・大正改訳)と並行して新しい訳の聖書を読み進めて行きたいと思います。
 

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御使ガブリエルのマリヤへの言葉
 『めでたし、恵まるる者よ、主なんぢと偕に在せり』
 『視よ、なんぢ孕りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし』

マリヤの問い
 『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』

御使いの答え
 『聖霊なんぢに臨み、至高者の能力なんぢを被はん、此の故に汝が生むところの聖なる者は、神の子と称へらるべし』

マリヤの言葉
 『視よ、われは主の婢女なり。汝の言のごとく、我に成れかし』

斯く選ばれ、従がった者によって救い主イエス・キリストは此の世に来たり給うた。


                              ルカ伝1:26~38抜粋

 
                ♪ 馬槽の中に 生れ給いし
         羔羊なる主は 救い主なり
         天には栄光 地には平和
         人には恩恵 あれと歌いぬ


               霊讃歌 6番 クリスマス 3節



ヱホバに感謝せよ ヱホバはめぐみふかし 
         その憐憫(あはれみ)はとこしへに絶(たゆ)ることなければなり

                              詩篇136篇1節

詩篇136篇は26節からなっている。その凡ての節は前句と後句の二つの語句から成り、前句では、26種のなになにを爲す(理由) 神に(対象) 感謝せよ(命令形)と言い、後句はすべて「その憐憫はとこしへに絶ることなければなり」と応じて結んでいる。

冒頭の1節は、「ヱホバはめぐみふかいが故に感謝せよ」と言っている。旧約のヱホバは、新約のイエス・キリストであるから、ここは主イエス・キリストが私たちに与えてくださった恩恵に感謝しなさいという意味である。罪深かった私たちのために主イエス・キリストが救い主となって世に来たり、尊い命を捨てて十字架に架り、贖罪(あがない)の業を成し終えてくださった。これを信じて感謝して、水のバプテスマを受ける時に、私たちは罪赦されて雪よりも白くされるのである。更にイエス・キリストの御霊を戴いて神の実子となるのである。このことを思う時ただ感謝あるのみである。ああ神の愛は大いなるかな、その憐憫はとこしえに絶えざるかなと平伏すの外はない。

 ヱホバに感謝せよ ヱホバはめぐみふかし 
                その憐憫はとこしへに絶ることなければなり

 もろもろの神の神にかんしゃせよ 
             その憐憫はとこしへにたゆることなければなり

 もろもろの主の主にかんしゃせよ  
             その憐憫はとこしへにたゆることなければなり

 たゞ獨(ひと)りおほいなる奇跡(くしわざ)なしたまふものに感謝せよ
             その憐憫はとこしへにたゆることなけるばなり

 智慧をもてもろもろの天をつくりたまへるものにかんしゃせよ
             そのあはれみは永遠に絶ることなければなり

 地を水のうへに布(しき)たまへるものに感謝せよ
             そのあはれみ永遠に絶ることなければなり

 巨大(おほい)なる光をつくりたまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへに絶ることなければなり

 晝をつかさどらするために日をつくりたまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへにたゆることなければなり

 夜をつかさどらするために月ともろもろの星とをつくりたまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへにたゆることなければなり

10 もろもろの首出(うひご)をうちてエジプトを責たまへるものにかんしゃせよ
             そのあはれみは永遠にたゆることなければなり

11 イスラエルを率てエジプト人のなかより出したまへる者にかんしゃせよ
             そのあはれみはとこしへに絶ることなければなり

12 臂(かひな)をのばしつよき手をもて之をひきいだしたまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへにたゆることなければなり

13 紅海をふたつに分たまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへにたゆることなければなり

14 イスラエルをしてその中をわたらしめ給へるものに感謝せよ
             そのあはれみは永遠にたゆることなければなり

15 パロとその軍兵(つはもの)とを紅海のうちに仆したまへるものに感謝せよ
             そのあはれみは永遠にたゆることなければなり

16 その民をみちびきて野をすきしめたまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへにたゆることなければなり

17 大なる王たちを撃ちたまへるものに感謝せよ
             そのあはれみは永遠にたゆることなければなり

18 名ある王等をころしたまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへに絶ることなければなり

19 アモリ人のわうシホンをころしたまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへにたゆることなければなり

20 バシャンのわうオグを誅(ころ)したまへるものに感謝せよ
             そのあはれみは永遠にたゆることなければなり

21 かれらの地を嗣業(ゆづり)としてあたへたまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへにたゆることなければなり

22 その僕イスラエルにゆづりとして之をあたへたまへるものに感謝せよ
             そのあはれみは永遠にたゆることなければなり

23 われらが微賤(いやし)かりしときに記念したまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへに絶ることなければなり

24 わが敵よりわれらを助けいだしたまへる者にかんしゃせよ
             その憐憫はとこしへに絶ることなければなり

25 すべての生るものに食物(くひもの)をあたへたまふものに感謝せよ
             そのあはれみはとこしへに絶ることなければなり

26 天の神にかんしゃせよ       
             その憐憫はとこしへに絶ることなければなり




先月ある兄弟が召されて葬儀が行われた証を記したが、そこで知り合った男性の方が先週、雪の降る日に車で教会を訪ねてこられた。

この教会に興味を持っておられるようで、色々質問されたので、一つ一つお答えをした。

そのうちに「私は〇〇教会に通っています」と仰ったので、「聖霊を受けていますか?」尋ねると、明確な答がなく、その上、洗礼は「滴礼を受けています」とのことであった。

そこで私は、使徒行伝19:1~8に基づき、正しい救いであるイエスの名による水のバプテスマと、聖霊のバプテスマとに就いて語ったのである。

「なんぢら信者となりしとき聖霊を受けしか」
 9:2

そして、「ハレルヤ」と唱えて祈れば聖霊を受けることができると勧め、共に祈ると、主は聖霊を注いでくださり、鮮やかに異言をもって主を崇めたのである。

次いで洗礼は主イエス・キリストの名による浸礼であると語って勧めると、「受けます」ときっぱりした答えをいただき、洗礼式場に下り、副牧師が主イエス・キリストの名によって水のバプテスマを施し、次いで私が洗足式を行い、主イエス・キリストの名によって兄弟の足を洗ったのである。

冬の初であり、日中ながら気温がー2℃位であったが、寒さ冷たさに関わらず洗礼を受けて、救いが全うされた。

こうして先に召された兄弟なかりせば、この救いも無かったと思い、「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにた在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」と御名を称えたのである。

今週は、また「先生、今伝道している人を一人連れて行きます」とA兄弟から水と霊の予約があり、感謝して待っていると、姉妹を一人連れてきた。早速「水と霊」が行われて救われ、持病の腰痛のために聖書の約束に從い油を塗り神癒祈祷を行った。

「凡そ此河の往ところには諸の動くところの生物みな生ん」
 エゼキエル47:9である。ハレルヤ!


さらば凡て我がこれらの言をききて行ふ者を、磐の上に家をたてたる慧き人に擬へん。雨ふり流漲り、風ふきて其の家をうてど倒れず、これ磐の上に建てられたる故なり。すべて我がこれらの言をききて行はぬ者を、沙の上に家を建てたる愚なる人に擬へん。雨ふり流漲り、風ふきて其の家をうてば、倒れてその顚倒はなはだし。 マタイ7:24~27   

既に置きたる基のほかは誰も据うること能はず、この基は即ちイエス・キリストなり。人もし此の基の上に金・銀・寳石・木・草・藁をもって建てなば、各人の工は顕るべし。かの日これを明らかにせん。 コリント前3:11~13

汝らは使徒と預言者との基の上に建てられたる者にして、キリスト・イエス自らその隅の首石(おやいし)
たり。おのおのの建物、彼に在りて建て合せられ、弥増に聖なる宮、主のうちに成るなり。汝等もキリストに在りて共に建てられ、御靈によりて神の御住となるなり。
  エペソ2:20~22

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