● マタイ伝6:25-34
31 何を食ひ、何を飲み、何を著んとて思ひ煩ふな。32 是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は凡てこれらの物の汝らに必要なりを知り給うなり。33 まづ神の国と神の義とを求めよ、然らば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。
水と霊のバプテスマを受けて救われた我らクリスチャンは神の子供である。
汝らの父は求めぬ前に、なんぢらの必要なる物を知りたまふ。ー同6:8ー
と主イエスは仰せになった。
イスラエルの民は、荒野の旅で食べ物がないと呟いた。モーセが祈り、神は応えて彼らにマナの与えて生かしめた。肉がないと言えば鶉が舞い降りてきた。また水がないと言えば、岩を打って水が出た。こうして神は彼らを生かしめたが、呟きの故に神の怒りを買い滅ぼされていった。
クリスチャンは斯くあってはならぬ。我らは神に祈れば応えられることを知っている。その体験がある。
鴉の子神にむかひて呼はり 食物なくして徘徊る時 鴉に餌を與ふる者は誰ぞや -ヨブ記38:41ー
と神は言い給うた。
汝の口をひろくあけよわれ物をみたしめん・・・・神はむぎの最嘉をもてかれらをやしなひ磐よりいでたる蜜をもて汝をあかしむべし -詩篇81:10下、16ー
と、アサフは歌い、
なんぢの口を、嘉物にてあかしめたまふ斯くてなんぢは壯健ぎて鷲のごとく新になるなり -詩篇103:5-
と、ダビデは詠った。これ皆体験から出ている言葉である。
我らクリスチャンは、今の困難な時代にあっても世界の経済動向や、物価の変動に振り回されず、その時々に凡てを知り給う神が必要を満たして下さることを信じて祈って行けばそれで良いのである。
我らは、物欲に対して超然たれ!
11 われ窮乏によりて之を言ふにあらず。我は如何なる状に居るとも、足ることを學びたればなり。12 我は卑賤にをる道を知り、富にをる道を知る。また飽くことにも、飢うることにも、富むことにも、乏しき事にも、一切の秘訣を得たり。13 我を強くし給ふ者によりて、凡ての事をなし得るなり。 -ピリピ書4:11-13-
と、パウロは体験を記している。
同時に、我らは神の聖言に聴き従うことが、大切である。
● 神第一の生活をすること。
まず神の國と神の義を求めよ、然らば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし
である。
● 什一献金をささげること。
信仰の父、アブラムが至高き神の祭司メルキゼデクより祝福を受けた時に諸ての物の什分の一を饋(おく)った様に、神の殿に奉げるならば、神は天の窓を開いて容るべきところなきまでに恩澤をそそぐと約束された。-マラキ書3:10-12-
● パン問題に対しては、養い給う神に対する確固たる信仰を持って進もう。
譏饉(うえどし)の日にもあくことを得ん ー詩篇37:19下ー
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聖餐式
● 詩篇37:7-9
● イザヤ書59:16