● ヨハネ伝6章より
63 活すものは霊なり、肉は益する所なし、わが汝らに語りし言は、霊なり生命なり
68 シモン・ペテロ答えふ 『 主よ、われら誰にゆかん、永遠の生命の言は汝にあり。 69 又われらは信じ、かつ知る、なんじは神の聖者なり』
★ イエス・キリストがユダヤ人の会堂で、人々を前にして御自分を指して言われた。
我は天より降りし活けるパンなり、人このパンを食はば永遠に活くべし、わが與ふるパンは我が肉なり、世の生命のために之を與へん -51節-
これを聞いたユダヤ人は、たがいに争って言った。
この人はいかで己が肉を我らに與へて食はしむることを得ん -52節
そこで主は更に言葉を進めて言われた。
わが肉は真の食物、わが血は真の飲物なり -52節ー
と。
主イエス・キリストは、霊ーこれこそ真実ーの意味で言われたのだが、ユダヤ人はこれを悟り得ず、肉により世の常識に当てはめて聞いたが故に、主の語り給いしことの真意が分からなかったのである。
コリント前書2章には、我らの語るところは、この世の智慧によらず、奥義を解いて神の智慧を語るとある。凡そ神に関することは、世の智者、学者には理解し得ないものである。なぜなら、彼らは頭で理解しようとするが、神の世界は聖霊に由って啓示されなければ到底悟り得ないからである。
主イエス・キリストが、ご自身を十字架上に献げ、身を裂き、血を流す事によって、世界萬民を罪より救い給うとは、何人も考え付かない神の智慧であり計画であった。
弟子たちの一部にも主イエスのお言葉を悟ることができない者たちがいて、
「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」 -60節ー新共同訳ー
と言いだした。
彼らはイエスを離れて去り、世に返って再びイエスと共に歩まなかった。
霊の事に目が開かれぬとは悲しいことである。しかしこういう運命も世の始めの先から定まっていたことと言えよう。彼らは選ばれていなかったのである。
聖霊は、吹き分ける霊である。風が籾ともみ殻を吹き分けるように、また羊と山羊が分けられるように、霊なる者と肉なる者は分けられるのである。
我らはしっかりと主イエス・キリストに結びつき、主に従い、御霊の実を結ぶ者でなければならない。
主は十二弟子に言われた。
『なんぢらも去らんとするか』 -67節ー
と。
ペテロは答えて言った。
『主よ、われら誰にゆかん、永遠の生命の言は汝にあり。又われらは信じ、かつ知る、なんぢは神の聖者なり』 -68,69節ー
と。 アアメン
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聖餐式
● コリント前書11:23~26
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