● ピリピ書 第4章より

何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願いをなし、感謝して汝らの求めを神に告げよ。さらば凡て人の思にすぐる神の平安は汝らの心と思いとをキリスト・イエスによりて守らん (6,7節)

凡てを主にお任せし、祈りと讃美の生活をすれば、いつも心に平安が与えられ,主が共にいて下さる。大感謝!

如何なる徳、いかなる譽にても汝等これを念へ。・・・聞きしところ、見し所を皆おこなへ、然らば平和の神、なんぢらと偕に在さん。 (8,9節)

主の御旨に沿った言動をとっていれば恐れなし。神が共にいて下さるのが一番心強い!

我は卑賤(いやしき)にをる道を知り、富にをる道を知る。また飽くことにも、飢うることにも、富むことにも、乏しき事にも、一切の秘訣を得たり。我を強くし給ふ者によりて、凡ての事をなし得るなり。 (12,13節)

イスラエルの民は、昼は雲の柱が離れずして導かれ、夜は火の柱が離れずして照らし、行くべき途を示された。善き御霊に教えられ、マナが口に与えられ、水が彼らの喉を潤した。彼らは神に養われ40年の間荒野の旅を続けることができた。その衣服も古びず、その足も腫れなかった。 空の鳥を見よ、野の百合は如何にして育つかをを思え、と宣う主に完全き信仰を寄せる者は恥しめられることはない。 (ネヘミヤ記第9章19~21節、マタイ傳第6章24~34節)

聖餐式

● 申命記 第21章22,23節

人もし死にあたる罪を犯して死刑(しおき)に遇うことありて 汝これを木に懸て曝すときは、翌朝までその體(からだ)を木の上に留めおくべからず 必ずこれをその日の中に埋むべし 其は木に懸らるゝ者はヱホバに詛はるゝ者なればなり・・・

● ガラテヤ書 第3章13,14節

キリストは我等のために詛はるる者となりて律法の詛より我らを贖ひ出し給へり。 録して『木に懸けらるゝ者は凡て詛はるべし』と云へばなり。 これアブラハムの受けたる祝福のイエス・キリストによりて異邦人におよび、且われらが信仰に由りて約束の御霊を受けん為なり。

主の十字架なかりせば、我らの罪は赦されず、御霊のバプテスマに与ることはない。ただ恩寵あるのみ!

今週の証 ①  S姉妹は、ご主人の転勤により、日高の静内に住まわれることになったので、備えられたマンションの部屋の聖別祭、感謝祭、祝福祭に行きました。途中の道筋はサラブレッドの生産地だけあって、牧場が続き、放牧された駿馬たちが昨秋名残の枯れ草を黙々と食み(ちょっと可哀相、いや逞しい)、寄り添う仔馬の可愛い姿も見えました。春の到来が待たれるところです。 姉妹から教会までは距離が遠くはなりましたが、2週に1度は安息日礼拝に通いますとの力強い言葉で、ハレルヤ。 エルサレムを愛する者は栄ゆべし!

その ②  港での伝道で、久し振りにフリピン人の兄弟2人が教会に導かれ、水と霊のバプテスマを受けました。『人は水と霊とによりて生まれずば、神の国に入ること能はず』 感謝です。