◎ ヨシュアに就いて

● ヨシュア記13:1~7

1 ヨシュアすでに年邁(すす)みて老たりしが ヱホバかれに言たまひけらく 汝は年邁みて老たるが 尚取るべき地の残れる者甚だおほし 

イスラエルの民を引き連れエジプトを出てより40年。モーセは、カナンの地に入ることを許されず、ピスガの山頂で此れを見た後に死んだ。

主はモーセの後を継いだヨシュアに、ヨルダン川を渡ってイスラエルの子孫に与える地へ進み行けと命じられた。

そしてエリコ、アイを始め、エルサレム、リブナ、ラキシ等を攻め落とし、三十一の王国を平定するに至ったが、主は手を休めることなく更に奥地を攻め取れと命じ、八十歳を越えたヨシュアを叱咤激励するのである。

目的は何か。既にヨルダン川の手前に領地が決まった二つの支派(わかれ)とマナセの半ばを除く、九つの支派とマナセの残り半ばの産業となる領地を得るためである。

そして戦いを進め、五年後に遂に凡ての約束の土地を得て、籤引きをしてそれぞれの支派に分け与えることができた。

嗣業の土地を得ることは大きなことである。子々孫々に至るまでその耕地で生活することができるからである。

転じて新約の時代では、約束の地はどこか。神の国である。天国である。永遠の嗣業はそこにある。一人でも多く神の国に入るために力を尽せと聖書は奨めている。

カレブに就いて

● ヨシュア記14:6~15

9 その日モーセ誓ひて言ひけらく  汝の足の踐(ふみ)たる地は必ず永く汝と汝の子孫の産業となるべし 汝まったく我神ヱホバに従ひたればなりと・・・

10 視よ 我は今日すでに八十五歳なるが 11 今日もなほモーセの我を遣はしたりし日のごとく健剛(すこやか)なり  我が今の力はかの時の力のごとくして出入り戦闘(たたかひ)をなすに堪ふ 12 然らば彼日ヱホバの語りたまひし此の山を我に與よ

ヨシュアがイスラエルの支派(わかれ)に土地を与えた時に当り、カレブがヨシュアの許に来て、モーセが自分に与えると約束した土地を与えよと言った。

四十五年前のこと。主はモーセに告げて支派ごとに一人づつ領袖(かしら)を選び、イスラエルの子孫に与えるカナンの土地を探るように命じた。その中にヨシュアとカレブがいた。選ばれた十二人の者は、行ってカナンの地を探り、その地の果物を持って四十日後にモーセと民の許に戻り復命した。

その内十人は、カナンの地は誠に乳と蜜の流れる良き地であるが、そこに住む民は猛くかつ邑は堅固で大きく、巨人アナクの子孫がいてとても強い。攻め取れるものではないと神を忘れた不信仰な事を言って、民を動揺させた。

しかし、ヨシュアとカレブの二人は信仰の人である。正にそこは良い土地だ。是は乳と蜜の流れる土地だ。主が悦び給うならば此れを我らに賜うのだ。怖れてはならないと励ました。

結果はどうなったか。その時不信仰を抱いた二十歳以上の者は、荒野の四十年の旅路の間に死に失せ、信仰を守ったヨシュアとカレブの二人だけがカナンの地へ入ったのである。

カレブが与えよといった土地とは、アナク人、即ち巨人の住む土地であった。当然激しい戦いが予想された。しかし彼はひるまなかった。年齢が八十五歳になろうとも四十歳の時のように戦える、だから此のへブロンの山を我に与えよと言った。

彼は勝った。そしてヘブロンを手に入れた。信仰者への褒美である。

● マルコ傳16:15~20

全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣伝へよ。信じてバプテスマを受くる者は救わるべし。

我らも取るべき地の残れるもの甚だ多しと、ヨシュアとカレブの如く、信仰による勇気を持って進んで行こう !!

聖餐式

● ヘブル書13:11~15

12 この故にイエスも己が血をもて民を潔めんが為に、門の外にて苦難(くるしみ)を受け給へり。13 されば我らは彼の恥を負ひ、陣営より出でてその御許に往くべし

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信者さんの話  

仕事上毎日ブログを出し、それも全国に数多くの読者を持っている姉妹がいます。この方との会話の中で教えられることがありました。 姉妹によると珍しい話や、心をひきつけるような内容のブログを書いてもアクセス数は増えないそうです。

それよりも休まずにブログを出すのが良い。休むと覿面(てきめん)にアクセスがガタッと減り、挽回するのに時間がかかると言うのです。

継続は力なり !  ということなんですね。