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● テサロニケ前書5:1~11

3 人々の平和無事なりと言ふほどに、滅亡にはかに彼らのうえに來らん、妊める婦に産の苦難の臨めるがごとし、必ず遁るることを得じ。 4 されど兄弟よ、汝らは暗に居らざれば、盗人の來るごとく其の日なんじらに追及くことなし。 5 れ汝等はみな光の子ども晝の子供なり。我らは夜に属く者にあらず、暗に属く者にあらず。 6 されば他の人のごとく眠るべからず、目を覚まして慎むべし。

イエス様の再臨はいつか。それは神御自身の外だれも分らない。その日は我らの待望の日である。いつであっても良いように心して、肉の欲に走らず、主の御旨を行い、御霊の実を結ぶよう努むべきである。

水と霊によって救われ、イエス・キリストを証して歩むことが大切である。

● ロマ書13:11~14

11 なんじら時を知る故に、いよいよ然なすべし。今は眠より覚むべき時なり。始めて信ぜし時よりも今は我らの救近ければなり。12 夜ふけて日近づきぬ。然れば我ら暗黒(くらき)の業をすてて光明(ひかり)の甲(よろひ)を著るべし。13 晝のごとく正しく歩みて宴楽・酔酒に、淫楽・好色に、争闘(あらそひ)・嫉妬(ねたみ)に歩むべきに非ず。14 ただ汝ら主イエス・キリストを衣(き)よ、肉の欲のために備すな。

● エペソ書5:1~14

8 汝ら舊(もと)は闇なりしが、今は主に在りて光となれり、光の子供のごとく歩め。

14 『眠れる者よ、起きよ、死人の中より立ち上れ。然らばキリスト汝を照し給はん 』

       今は末のとき 今は末の世

       悪魔は必死に 汝(な)れを窺う

       再臨近し再臨近し 備え如何や

       再臨近し 備えいかにや

                  ー 霊讃歌11番  今は末の時 ー

聖餐式

●ルカ傳22:7~23

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[E:impact] チリのサンホセ鉱山の落盤事故の救出に思う

イエス様が 「シロアムの櫓たふれて、圧し殺されし十八人は、エルサレムに住める凡ての人に勝りて罪の負債ある者まりしと思ふか。われ汝らに告ぐ、然らず、汝らも悔改めずば、みな斯の如く亡ぶべし」 と当時エルサレムで起きた出来事を例に挙げて話されたことがある。 ールカ傳13:1~5ー

今週、新聞やテレビを通して世界の耳目を集めた出来事は、チリ北部の都市コピアポに近いサンホセ鉱山で8月5日に起きた落盤事故のため、地下700㍍に閉じ込められた33人の作業員の救出だった。

事故から17日後、捜索用のドリルを引き上げたところ、その先端に「我々33人は生きている」という手紙が結び付けられていたことから救出作業が始まった。

当初救出はクリスマスまでかかると言われたが、懸命の掘削作業が続けられた結果、縦穴が貫通し、「フェニックス」と名づけたカプセルを使って全員救出されるに至った。69日振りに地上に生還した作業員たちが家族と抱き合って喜ぶ姿を見て本当に良かったと思う。

作業員の一人が、地下から家族に送った手紙の中で「ここは地獄だ。もう耐えられない」とあった。凡そ常人では律し難い状況を乗り越えたのは一人の現場監督が作業員たちを一つに纏めたからだと言う。彼は自力で地上に出ることは不可能だと確認し、発見されるまで持ちこたえられるように食料を僅かづつ分配し、全員が理解をもって従ったという。彼は常々沈着冷静で皆の信望を得ていた人物だと思う。

救出に当っても彼が一番最後になった。善い指導者は常に自分を最期にするものだ。

ー 初代監督の村井ジュン先生もそうだった。大聖会などで地方に行かれ、乗り物に乗る時は、いつも外の皆を先に乗せ、全員が乗り終えるのを見届けてから最期に乗られたものだった。ー

地上から地下に入った救出隊員は6人。皆勇気ある責任感のある隊員だった。最初に地下に入った救出隊員は特に選ばれた人で、彼は皆が地上に生還したあと、ただ一人で、残っている人はいないかと坑道内を確認した上で、最期に地上に戻ったという。偉いものだ。

数々の美談あり、人生の縮図ありのできごとだった。

これを映画化しようという話があるそうだ。手記を本にして出版したらという話もある。旅行に招待ましょう等引く手あまたな話もあるという。このようなことは果たしてよいのだろうか?

「この世の子らは己が時代の事には、光の子らより巧なり」  ールカ傳16:8ー

と主イエス様が言われたが、何か抜け目のない第三者たちが彼らを商業ペースに巻き込んで用いようとしていように思える。 当人達の気持ちはどうなのか?

「そっとしていて欲しい。」 「私たちはただの人です。」 「外にもこういう事故にあった人がいる。特別扱いにしないで欲しい。」 とは正直な声ではないだろうか。

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この出来事から、イエス様の救いのことを考えた。

この地上に居ながら、「 ここは地獄だ。」と思い悩んでいる人が大勢いる。「 ここから出たい。でも出ることができない。誰か救ってくれる人はいないか。」 と救いを求めている人が大勢いる。

この意味では、世界中の人が救われなければならないのだ。

そして救いを持ち行く伝道者は、イエス様の心を心とし、霊魂(たましい)を愛し、聖霊と救いの熱情に満たされて伝道に赴くべきである。