Photo 大通公園

● マタイ傳14:13~21

18 イエス言ひ給ふ 『それを我に持ちきたれ』  19 斯くて群集に命じて、草の上に坐せしめ、五つのパンと二つの魚とを取り、天を仰ぎて祝し、パンを裂きて、弟子たちに與え給へば、弟子たち之を群集に與ふ。 20 凡ての人、食ひて飽く。

イエス様が為し給うた奇蹟の一つである。

イエス様の話を聞きに、病の癒しを求めて大群集がやって来た。夕方になり弟子たちは気を揉み、イエス様に「群集を去らせて、食物を買わせ給へ」と言った。しかしイエス様は「かれら往くに及ばず、汝ら之に食物を與へよ」と言われた。

ヨハネ傳6:5~14によれば、イエス様がピリポに「われら何処よりパンを買ひて、此の人々に食はすべきか」と言ひ給ふた。斯く言ひ給ふはピリポを試むるためにて、自ら為さんとする事を知り給ふなりとある。

そして、一人の童子が捧げたパン五つと肴二つを、イエス様が手に取って祝福して裂くと増えに増え、5千人以上の人々の空腹を満たした。神の業を見て味わった大群衆に驚きと喜びを与えたのである。

● ヨハネ傳6:47ー59,63

51 我は天より降りし活けるパンなり、人このパンを食はば永遠(とこしへ)に活くべし。我が與ふるパンは我肉なり、世の生命(いのち)のために之を與へん

53 イエス言い給ふ『まことに誠に、なんぢらに告ぐ、人の子の肉を食はず、その血を飲まずば、汝らに生命なし。54 わが肉をくらひ、我が血をのむ者は永遠の生命をもつ、われ終りの日にこれを甦へらすべし。55 (それ)わが肉は眞の食物、わが血は眞の飲物なり。』

主イエス様は、我らの罪の贖いのために、自ら身を棄て、十字架上に磔刑され、貴い血を流された。

神の独り子であるイエス・キリストが、我ら罪ある世界万民を救うために貴いお身体を裂かれたのである。そしてその肉体から流れ出でた御血によって、我らは罪赦されたのである。

彼はわれらの愆(とが)のために傷けられ われらの不義のために砕かれ みづから懲罰(こらしめ)をうけてわれらに平安をあたふ そのうたれし痍(きず)によりてわれらは癒されたり   -イザヤ書53:5-

とある如くである。

この 「わが肉を食ひ、我が血を飲む」 とは何か。具体的に言うならば、主の聖餐に与ることである。主イエス様の死を記念し、主の愛が如何に大きく広く深く豊なものであるかを、この身をもって味わい知ることである。これは精神的あるいは表面的な信仰の遠く及ばぬところである。

初代キリスト教会では、どのようにしていたのだろうか。 聖書を読むと、

● 使徒行伝2:41ー47 には、こう書かれてある。

42 彼らは使徒たちの教を受け、交際(まじわりをなし、パンを擘(さ)き祈祷をなすことを只管つとむ。・・・ 46 日々、心を一つにして弛みなく宮に居り、家にてパンをさき、歓喜と眞心とをもて食事をなし、47 神を讃美して、一般の民に悦ばる。斯くて主は救はるる者を日々かれらの中に加へ給へり。

初代教会の信者達が、家の教会に集り、使徒たちの教を受け、讃美と、祈祷と、パンを擘いて(聖餐に与ること)、主イエスの恵を喜び、感謝していた日常の姿を、ここに見るのである。

パンを擘くとは、食事のことではない。食事は食事として別に書かれてあることに刮目したい

今の世は聖餐式に対する意識が、初代教会時代に比べて希薄なのではなかろうか。初代教会時代は、眼前に起こったイエス様の死と復活を目の当たりにし、身も心も震わすほどに、救われた感謝と喜びが大きかったのだと思う。だから毎日のように集会を開いてパンを擘き、主に対する感謝の念を現したのだと思う。

今この末の時代に真の教会の復興した教会を標榜する我らは、愈々初代教会の聖徒があゆみし如くあらねばならない。

聖餐式

上記の聖言を拝読する

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★ 長万部(オシャマンベ)の大学に I 姉妹が就職したので、祝福を祈るため、7日の日曜聖会の後、ご両親の車で一緒に出かけました。秋晴れの天候に恵まれ、道央自動車道路沿いの紅葉を愛でつつ長万部に着きました。アパートと車の聖別祭をし、合わせて姉妹自身のお仕事のため感謝祭・祝福祭を行いました。翌日から3日続きの雨模様の天気になったので、神様が良い時を与えて下さったと感謝しています。

★ 救われている E 画伯から所属する会の展覧会の案内状を頂いたので、大通公園の近くのその名も大通美術館に観に行きました。白地に赤で大小の楕円状の輪を幾つも描いた抽象画です。(素晴らしい作品をお見せできないのが残念です)。一通り展示されている絵や彫刻や書や写真を全部見終えた上、E 画伯の姿もみえないので、帰ろうかなと思っていると、横から声をかける人がいます。みると いつ来られたのでしょうか、E 画伯ではありませんか。お会いできました。神様のお導きだなと思いました。

E画伯から、この度の展示作品の説明や、これから目指す作品作りの抱負など熱っぽくお話を聞かせて頂き、こちらからもイエス様の証を語り,霊の良きお交りが出来たことを、主に感謝しています。