P1000571_2  与論島

ヤコブ書5:7,8

7 兄弟よ、主の来たり給ふまで耐忍べ。視よ、農夫は地の貴き實を、前の雨と後の雨を得るまで耐忍びて待つなり。8 汝らも耐忍べ、なんぢらの心を堅うせよ。主の来り給ふこと近づきたればなり。

● ヨエル書2:23

シオンの子等よ 汝らの神ヱホバによりて楽しめ喜べ  ヱホバは秋の雨を適當(ほどよく)なんぢらに賜ひ また前のごとく秋の雨と春の雨とを汝らの上に降らせたまふ

イスラエルは夏は乾期で、秋と春に雨が降るという。

秋の雨の時期に播いた種は、年を越して春の雨の時期を迎え、大麦の刈入れをして初穂の祭りを行い、その後小麦の収穫をして五旬節を祝う。

キリスト教会の歴史においても二度雨が降った。この雨とは聖霊降臨のことである。

前の雨、秋の雨とは、初代教会におけるペンテコステの日以降200年程続いた聖霊降臨であり、後の雨、春の雨とは、二十世紀に入ってから注がれた聖霊降臨であって、今や我らはこの幸いな恵みの時代、救いの時代、聖霊時代、教会時代の只中に置かれている。

イエス之御霊教会は旧教にも非ず、新教にも非ず、初代教会の復興した教会であって、真のキリスト教会は、過去、現在、未来を通じて唯一の教会である。

この教会に入るには如何にすべきか。

キリストの御霊なき者はキリストに属する者にあらず。 ロマ書8:9

と聖書は言い、また、

人は水と霊とによりて生まれずば、神の国に入ること能はず。 ヨハネ伝3:5

我に對ひて主よ主よと言う者、ことごとくは天国に入らず、ただ我が父の御意をおこなふ者のみ、之に入るべし。 マタイ伝7:21

と主イエス御自身が言い給うたごとく、水と霊のバプテスマを受け、神が定められた確実な救いに与ることである。

ヨハネ黙示録3章14-22節には、現代キリスト教会の有様が記されている。

16 かく熱きにもあらず、冷かにもあらず、ただ微温が故に、我なんぢを我が口より吐出さん。

と。主は、また 

我は火を地に投ぜんとて来たれり。此の火すでに燃えたらんには、我また何をか望まん。 ルカ伝12;49

 と言われた。主は我らが熱く燃えることを望んでおられる。これは肉の熱心ではなく、御霊による熱心である。御霊を受けずしては真の信仰は持ちえない。

17 なんぢ、我は富めり、豊なり。乏しき所なしと言ひて、己が悩める者・憐むべき者・貧しき者・盲目なる者・裸なる者たるを知らざれば、18 我なんぢらに勧む、なんぢ我より火にて練りたる金を買ひて富め、白き衣を買ひて身に纏ひ、なんぢの裸體の恥を露さざれ、目薬を買ひて汝の目に塗り、見ることを得よ。

火にて練たる金とは、聖書の聖言であり、白き衣とは、主イエス・キリストの名による洗礼であり、目薬とは聖霊である。

我らは、使徒と預言者の基の上に立てられた者であって、キリスト・イエス自らが隅の首石となられている。この聖書の真理に立脚し、イエス・キリストの御名による洗礼を受けて一切の罪より贖われ、聖霊の光に照らされて明るき信仰と希望と愛に満たされたキリストの証人としての道を進む者であらねばならない。

聖餐式

● ヨハネ、第一書4:9-10

10 愛といふは、我ら神を愛せしにあらず、神われらを愛し、その子を遣して我らの罪のために宥の供物となし給ひし是なり。