わが恩恵なんぢに足れり、わが能力は弱きうちに全うせらるればなり
-コリント後書12:9-
使徒パウロは身に病を持っていたようである。ガラテヤ書4:14でこう言っている。
わが肉体に汝らの試練となる者ありたれど・・・ と。
誰でも病は嫌なものだ。ましてや、伝道者のパウロは、主イエスの御名によって信者方の病の為に神癒祈祷をする立場にある。「どんな病でもイエス様が癒してくださいますよ」と人に語って祈る器でもある。それな自分が病弱であるとは・・・である。
だから彼は主に向かい、三度までも之を取り去り給えと祈った。しかし主の答えは、上述の如くであった。
彼はいみじくも言う。
彼は第三の天まで取り去られて、文字通り神の国を見た人である。他の人には知り得なかった神の国の奥深さを味わった人である。故に、この病は彼が高慢にならないために神が彼を撃つべく許したサタンの使いであるのだと。
我らは、恵みに恵みを加え給えと祈る祈りが多いと思う。だが全てを定めるのは神による事を知らねばならぬ。パウロは秘訣を悟った。
キリストの能力の我を庇はんために、寧ろ大いに喜びて我が微弱を誇らん。この故に我はキリストの為に微弱・恥辱・艱難・迫害・苦難に遭ふことを喜ぶ、そは我よわき時に強ければなり。 -同章9,10節ー
聖餐式
コリント前書10:16,17 同11:23~26