:2011年6月25日
ヤベヅはその兄弟の中にて最も尊ばれたる者なりき その母我くるしみてこれを産たればといひて その名をヤベヅ(くるしみ)と名けたり ヤベヅ、イスラエルの神に龥(よば)はり 我を祝福(めぐみ)に祝福て我が境を擴(おしひろ)め 御手をもて我を助け 我をして災難に罹りてくるしむこと無らしめたまへと言り 神その求むる所を允したまふ ー歴代志略上4:9,10ー
ヤベヅの母は超難産で苦痛のため息も絶え絶えに子を産み落とした。そこでその子の名を苦難を意味する「ヤベヅ」と名付けたと云うのだ。
普通の親ならば、その子の将来を祝福する意味で、ふさわしい良い名前を名づけるだろう。ひょっとしたらヤベヅの父親や祖父母は、それなりに良い名前を考えていたかもしれない。
それがである。
苦しみ悶えて産んだ母親本人が、私がこれ程苦しんで産んだのだから絶対にこの子の名を「ヤベヅ」と付けると言い張った時に、誰も反対はできなかったことだろう。
でも、一旦付けられた名前は一生続くものである。嫌だからと言って変更できるものではない。
一番大変だったのはヤベヅ本人だっただろう。誰だって「苦しみ」と云う名を一生背負って生きて行きたくはない。彼はその名のためにどれほど悩んだことだろう。
けれども、彼には拠り頼む神がいた。彼は声を振り絞って神に祈り求めた。
「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いから私を守り、苦しみから遠ざけてください」 ー新共同訳ー
と。
この祈りを神は聞きいれてくださった。そして彼は栄える者となった。それで兄弟たちが彼を尊敬したというのである。
もしも彼の名がヤベヅではなく、他の良い名であったなら彼はこのような祈りをすることもなく、平凡な人生を歩んだかもしれぬ。
そう考えると信仰者にとって意味のないものは一つもない。このこと無かりせば、斯く成らじと、凡てが感謝に変えられていくのである。
神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の為には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る. -ロマ書8:28-
もう一つ開いた聖言を記そう。
見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ。神から富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、其の労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから。 -伝道之書・新共同訳コヘレトの言葉5:17~19-
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聖餐式
● マタイ伝26:17~30