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キリストの己を捨て給ひしは、水の洗をもて言によりて教会を潔め、これを聖なる者として、汚點(しみ)なく皺なく、凡て斯のごとき類なく、潔き瑕なき尊き教会を、おのれの前に建てん爲なり。 斯くのごとく夫はその妻を己の體のごとく愛すべし、妻を愛するは己を愛するなり。己の身を憎む者は曾てあることなし、皆これを育て養ふ、キリストの教会に於けるも亦かくの如し。我らは彼の體の肢なり、『この故に人は父母を離れ、その妻に会ひて二人のもの一體となるべし』 この奥義は大なり、わが言ふ所はキリストと教会とを指せるなり。   -エペソ書5:26~32-

神はその大能をキリストのうちに働かせて、之を死人の中より甦へらせ、・・・彼を萬の物の上に首(かしら)として教会に與へ給へり。この教会は彼の體にして萬の物をもて萬の物に満たし給ふ者の満つる所なり。   -エペソ書1:20~23-

◎ 教会の本質 

キリストは教会の夫であり、教会はキリストの妻である。

またキリストは教会の首であり、教会はキリストの體であって、各人はその肢である。

イエス・キリストは、世の中より信ずる者を選び、水と霊によって救い、聖め別って新婦としてくださった。 我らは新郎なるキリストの愛を受け、感謝し、敬い、從う生活をなすべきである。

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彼らに言ひたまふ 『なんぢらは我を誰と言ふか』 シモン・ペテロ答へて言ふ 『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』 イエス答へて言ひ給ふ 『バルヨナ・シモン、汝は幸福なり、汝に之を示したるは血肉にあらず、天にいます我が父なり。我はまた汝に告ぐ、汝はペテロなり、我この磐(いは)の上に我が教会を建てん、黄泉の門はこれに勝たざるべし。われ天国の鍵を汝に與へん、凡そ汝が地にて縛ぐ所は、天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり』     -マタイ伝16:15~19-

◎ 教会の出現

ペテロが答えた 『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』 は正解であった。

主は、ペテロに向かい 『汝はペテロ「磐の義」なり』 と言われ、彼の答えた信仰の上に我が教会を建てると預言し、約束された。

後になって、ペンテコステの日に聖霊が降り、受霊者たちが異言を語って神を崇めた時に、『これ何事ぞ』 と驚き、集ったイスラエルの人々に、預言者ヨエルの言葉を引き、主イエス・キリストの死と復活と聖霊降臨について語り、水と霊をもて救われよと説いたのがペテロであった。

そしてこの日ペテロの言葉を聴納れた者がバプテスマを受けた。その数凡そ3000人であった。ここにキリストの新婦なる教会が誕生した。

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聖餐式  汝主エホバの前に黙せよ そはエホバすでに犠牲を備へ その招くべき者をさだめたればなり    ーゼパニヤ書1:7ー

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 このところ献児式や七五三など、お子さん方の祝福祭が続いています。御両親の信仰が子々孫々千まで受け継がれ、繁栄していきますよう祈ります。