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コリント前書10章より

我らの先祖はみな雲の下にあり、みな海をとほり、みな雲と海とにてバプテスマを受けてモーセにつけり。   -1,2節-

始めに知らねばならぬことは、旧訳聖書の出来事は、来たらんとする者の影であって、その本体はキリストに属くということである。(コロサイ2:17)

モーセに率いられてエジプトを出たイスラエルの民は、神の力ある御手に導かれて約束の地を目指して進んだ。

ヱホバかれらの前に往たまひ 晝は雲の柱をもてかれらを導き 夜は火の柱をもて彼らを照らして晝夜往すゝましめたまふ  民の前に晝は雲の柱を除きたまはず 夜は火の柱をのぞきたまはず    -出エジプト13:21,22-

雲と海とにてバプテスマを受けた とは何か、これ我らが 御霊と水と をもってバプテスマを受けたことの雛型である。而して彼らがモーセに属した如くに、我らは水と霊とを受けることによりキリストに属したのである。

キリストの御霊なき者は、キリストに属する者にあらず。  ロマ書8:9-

と明記されているごとくである。

而して皆おなじく霊なる食物を食し、みな同じく霊なる飲物を飲めり。これ彼らに随ひし霊なる岩より飲みたるなり、その岩は即ちキリストなりき。 -3,4節-

この意味は何か。 主イエス・キリストがヨハネ伝6章において

『・・・我は天より降りし活けるパンなり、人このパンを食はば永遠に活くべし。我が與ふるパンは我が肉なり、世の生命のために之を與へん』  -51-

『・・・夫わが肉は眞の食物、わが血は眞の飲物なり。』  -55-

と言い給うたように、

即ち、主の聖餐を受けることによって成就する のである。

コリント前書10章には、貪り、偶像崇拝、姦淫、主を試みる、呟きなど神の御意に適わぬ事柄と、之を行った者の亡びが記され、我らの鑑とせよと勧められている。

主を試みた者は、蛇に咬まれて死んだ。その時、モーセが神に祈ると、銅(あかがね)を以って蛇を作り、杆(さを)の上に載せ、之を仰ぎ観なば生きるとお答があったので、モーセは之に従い、銅をもって一條(すぢ)の蛇を作り杆の上に載せた。

凡て蛇に咬れたる者 その銅の蛇を仰ぎ観ば生たり  -民数紀略21:9-

モーセ荒野にて蛇を挙げしごとく、人の子もまた必ず挙げらるべし。すべて信ずる者の彼によりて永遠の生命を得ん爲なり。  -ヨハネ伝3:14,15-

          -ガラテヤ書3:13 及び 申命記21:22,23-  参照

汝らが遭ひし試練(こころみ)は人の常ならぬはなし。神は眞實(まこと)なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試練に遭はせ給はず。汝らが試練を耐へ忍ぶことを得んために、之と共に遁るべき道を備へ給はん。 -13節-

試練に遭う者にとって大きな慰めと励まし、そして希望が与えられる聖言である。