-ルカ伝5:17~26-

17 病を醫すべき能力(ちから)イエスと偕にありき。

20 イエス彼らの信仰を見て言ひたまふ 『人よ、汝の罪ゆるされたり』

24 -中風を病める者に言ひ給ふ-『なんぢに告ぐ、起きよ、床をとりて家に往け』

人々が、中風を患っている人を床に乗せて、主イエスに癒して頂きたいと連れて来たが、群衆が一杯で入ることができなかった。そこで屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中の主イエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。

主イエスはその人たちの信仰を見て「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。 (本人に信仰があってもなくても、連れて来る人の信仰を見て、主は願いを聴いてくださるのである。)

周りにいたパリサイ人や律法学者たちは、神以外に罪を赦す権威を持つ者はいないのに、「汝の罪ゆるされたり」というこの人は何者なのだと思ったが、主イエスは彼らの考えを知って答えられた。

「何を心の中で考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威をもっていることをしらせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。

その人はすぐさま皆の前で立ち上り、寝ていた台を取り上げ、神を讃美しながら家に帰って行った。

人々は皆大変驚き、神を讃美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。  -新共同訳参照

神 癒

「寿命は神によるもの、病いは癒やさるべきもの」、この真理の実現のために、教会には神癒の賜物が置かれてある。故に病める時には、唯主の命に従い(ヤコブ書5章14~16節)教会に行き、油を塗って祈って貰うものということが、常道になれば、そこに神癒のみ業が常に現れて来るのである。本人に信仰が有っても無くても、油を注ぐ教役者に信仰が有っても、無くても、それはどうでもよい。有るは無きに勝るのであるが、その信仰の有る無しに関わらず、主は必ず癒し給うて自ら栄光を取り給うのである。  -初代監督村井じゅん牧師著 聖書神学 第十一章-二より-