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「神いひ給はく、末の日に至りて、我が霊を凡ての人に注がん。汝らの子女は預言し、汝らの若者は幻影を見、なんぢらの老人は夢を見るべし。その世に至りて、わが僕・婢女(はしため)に、わが霊を注がん、彼らは預言すべし。・・・・・・

すべて主の御名を呼び頼む者は救われん」 ー使徒行伝2章16~21ー 

ペンテコステの日に聖霊が弟子たちの上に降った。彼らは皆聖霊に満たされ、御霊の宣べしむるままに異邦の国の言葉で語り始めた。

時に敬虔なるユダヤ人が天下の国々から来てエルサレムに住んでいたが、この音が聞こえたので、集ってきた。

彼らは、使徒たちが、それぞれに彼らの住んでいる国の言葉を語っているのを聞いて驚いて言った。

「私たちは諸処方々からやってきた者なのに、どうしてガリラヤ人であるこの人たちが、私たちの国言葉で、私たちの神の大いなる御業を語るのを聞くのか」と。 

それに対して、ペテロは十一弟子たちと共に立って、預言者ヨエルの言葉を引いて、主イエス・キリストが復活し、約束の聖霊を父より受けて、

「汝らの見聞きする此のものを注ぎ給うた」 -33節-

と証したのである。

これは、聖霊を受けた事実が第三者にも分かると云うことである。

聖書には、聖霊を雨に譬えて、雨は2度降るとある。即ち秋の雨と春の雨である。          -ヨエル書2:23-

また、前の雨と後の雨とも記されている。  -ヤコブ書5:7-

ペンテコステの日の初代キリスト教会における聖霊降臨は、前の雨=秋の雨であって、20世紀になって私たちに下った聖霊降臨は後の雨=春の雨である。

今、私たちは幸いな春の雨の時代に生きている。聖霊が豊かに注がれている時代である。

主なる神イエス・キリストは何人も拒まず、来る凡ての人に約束の聖霊を与えて、神の子たる印を与えてくださる。

聖霊を受けると誰でも異言で祈ることができる。御霊自ら内住されたことを証してくださるのである。