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主ヱホバの霊(みたま)われに臨めり こはヱホバわれに膏(あぶら)をそゝぎて貧きものに福音をのべ傳ふることをゆだね 我をつかはして心の傷める者をいやし 俘囚(とらはれびと)にゆるしをつげ 縛(いまし)められたるものに解放(ときはなし)をつげ ヱホバのめぐみの年とわれらの神の刑罰の日とを告げしめ 又すべて哀しむものをなぐさめ, 灰にかへ冠をたまひてシオンの中のかなしむ者にあたへ 悲哀にかへて歓喜(よろこび)のあぶらを予へ うれひの心にかへて讃美の衣をあたへしめたまふなり かれらは義の樹 エホバの植たまふ者 その栄光をあらはす者ととなへられん -イザヤ書61:1~3-
と、主イエス・キリストより840年前の預言者イザヤが、こう預言して言った。
そして、世に現れた主イエス・キリストは、ナザレの町の会堂で、安息日に手渡されたイザヤ書を繙き、この同じ聖言を見出して読み上げられた。
「主の御霊われに在す。これ我に油を注ぎて福音を宣べしめ・・・」
「この聖書は今日なんぢらの耳に成就したり」 -ルカ伝4:16~22-
福音とは、主イエス・キリストによる喜びのおとずれ。神が人類に与える至福の喜び。
その為に主イエス・キリストはこの世に来たり、罪人なる我らのために十字架に架かり、尊い御血を流して贖いの業を成して下さった。
主は死してのち甦り、さらに昇天して、約束の御霊を注いでくださり、今やその御霊が我らの内に宿り給うのである。
異邦人の使徒パウロもまた福音に就いて斯く言う。
兄弟よ、さきにわが傳へし福音を更に復なんぢらに示す。汝らは之を受け、之に頼りて立ちたり。・・・・・わが第一に汝らに傳へしは、我が受けし所にして、キリスト聖書に応じて我らの罪のために死に、また葬られ、聖書に応じて三日目に甦へり、ケパ(ペテロ)に現れ、後に十二弟子に現れ給ひし事なり。 -コリント前15:1~5-
カット写真 教会の庭で