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15 彼らに言ひたまふ 『なんぢらは我を誰と言ふか』 16 シモン・ペテロ答へて言ふ 『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』  17 イエス答へて言ひ給ふ 『バルヨナ・シモン、汝は幸福(さいはひ)なり、汝に之を示したるは血肉にあらず、天にいます我が父なり。 18 我はまた汝に告ぐ、汝はペテロなり、我この磐(いは)の上に我が教会を建てん、黄泉(よみ)の門はこれに勝たざるべし。 19 われ天国の鍵を汝に與へん、凡そ汝が地にて縛(つな)ぐ所は、天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり』  -マタイ伝16:15~19-

カトリック教会は、ペテロの墓の上に教会を建てたが故に、正当な教会だと称している。 だが、その解釈は世に属する血肉なる解釈であって、聖書的ではない。

聖書は聖書が解く故に、このとは、即ち、「その岩は即ちキリストなりき」 とある如く、キリストを指している。 -コリント前10:4-

由って、ここはペテロが告白した 『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』 という信仰の基の上に建った教会というのが、霊なる正しい解釈である。

汝らは使徒と預言者の上に建てられた者にして、キリスト・イエス自らその首石(おやいし)たり。 -エペソ2:20-

とある如くである。

さて、天国の鍵を与えられたペテロはどのように用いられたか?

使徒行伝2:14以降には、ペンテコステの日にユダヤに人々に甦りの主イエス。キリストを証して、イエス・キリストの名によりてバプテスマを受け、聖霊の賜物を受けるように勧め、また使徒行伝10章においては、異邦人伝道の先駆者としてイタリヤの軍隊の百卒長であるコルネリオと周りの人々とに福音を宣伝え、彼等が聖霊を受け、更にイエス・キリストの御名による洗礼を授けられるに至ったと記されている。

18 誠になんぢらに告ぐ、すべて汝らが地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり。19 また誠に汝らに告ぐ、もし汝等のうち二人、何にても求むる事につき地にて心を一つにせば、天にいます我が父は之を成し給ふべし。 20 二三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり』     -マタイ伝18:18~20-

18節は、16章19節と同じ聖言に見えるが、注意して読むと、16章はペテロを指して(単数)と言われていて、18章の方では、汝ら(複数)と言われている。これは集合体なる教会を指している。我ら真のキリスト教会は、主イエス・キリストから救いに関わる権威を与えられた教会として、真の福音を世に伝えて行かねばならない。

◎ 教会に対する主の御旨  イザヤ書43章より

われ看てなんぢを寶とし尊きものとし亦なんぢを愛す -4節-

なんぢはわが證人わがえらみし僕なり -10節-

この民はわが頌美(ほまれ)をのべしめんとて我おのれのために造れるなり  -21節-

                    カット写真  ロシア・ナホトカ海岸での洗礼式