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ヤラベアム其の悪き途を離れ帰ずして また凡(よのつね)の民を崇邱(たかきところ)の祭司と為り 即ち誰にても好む者は之を立てければ 其の人は崇邱の祭司と為り 此の事ヤラベアムの家の罪戻(つみ)となりて 遂に之をして地の表面(おもて)より消失せ 滅亡に至らしむ。 -列王紀略下13:33,34-

イスラエルの王ソロモンは、その盛んなるに及んで多くの妻妾を抱えた。彼女たちは、異教徒であった。そして異なる神々の教えをソロモンに吹き込み、ソロモンもまた偶像教の教えに従った。

主なる神は、ソロモンが心変わりをし、真の神を離れて偶像教に走ったのを見て怒り、その子の時代には必ず国を二分して、その一つを他の者に与えると言われた。

果たしてソロモンの死後、その子レハベアムの時代に家臣ヤラベアムが謀反を起こしてレハベアムに対抗し、王国はユダとイスラエルに二分された。神が言われた通りである。

エルサレムを都とし、神殿を持つ南王国ユダの王レハベアムに対抗して、北王国イスラエルの王となったヤラベアムは、もし民がエルサレムの神殿に行って献げ物をするならば、民心が離反して自分の身に危害が及ぶと考え、そうならないため、ベテルとダンの二ヵ所に崇邱(たかきところ)を定め、金の犢(こうし)を造リ、これを神と称えて置き、自らこれに仕えると共に民にも仕えさせた。

またレビ人以外の只人を祭司に立てたので、北王国に住まうレビ人は祭司の職を失い、耕地を捨てゝレハベアムに帰した。またヤラベアムは8月15日にユダにある節期に合わせてイスラエルの節期を設け、自らその作った金の犢に礼物を献げ香をたいた。

これをヤラベアムの罪と云い、ヤラベアムの道と云う。

この後、イスラエルの諸王はヤラベアムの道に歩み、神の怒りを積み重ね、アッシリアに捕え行かれることになる。また南王国ユダもこれに倣い、真の神を離れて神の怒りを買い、遂にはバビロンに捕囚されることになった。

預言者エレミヤによって言われた如く、70年後に捕囚を解かれてエルサレムに帰ったユダとイスラエルの民は、聖書学者エズラに導かれ心を一つにして神を信じ、再び偶像教になることはなかった。

今日、キリスト教徒が唯一の神を信じ、ただこれにのみ仕え奉るのは、聖書に基づく信仰に発している。

我等には父なる唯一の神あるのみ、萬物これより出で、我らも亦これに帰す。また唯一の主イエス・キリストあるのみ、萬物これに由り、我らも亦これに由れり。 -コリント前8:6-

聖霊と我等とは左の肝要なるものの他に何をも汝らに負はせぬを可しとするなり。即ち偶像に献げたる物と血と絞殺したる物と淫行とを避くべき事なり、汝等これを慎まば善し、なんぢら健かなれ。 -使徒行伝15:28、29-