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なんぢら人に為られんと思ふごとく人にも然せよ。 -ルカ6:31-

早や60年近くなろうか。救われた当時の教会の先生夫妻の娘の A 子ちゃん、当時1歳半くらいだった。妹の M子 ちゃんが年子で生まれて間もなく、母親の Y 師が病を得て召されていった。(既報=2010.05.29/我になんぢの面を見させよ)

父親の J 師は再婚し、新しい母親が来た。そして何人か弟や妹が生まれた。しかし、先の二人の娘たちには幸せは訪れなかった。

アメリカに帰って、学業を終えた後、自立の生活を求めて、それぞれの道を歩み始める二人。その間にも心の中に想うのは、幼くして別れた亡き母のこと。手元にあるのは僅か数枚の写真のみ・・・。

( 私たちの母はどんな人だったんだろう。知っている人はいるのだろうか?)

この問いかけが、回り回って届いてきた。

とうの昔にお別れし、最早、何の関わりもなくなったと思っていたが、この答えを持っているのは、今となってはただ一人のみ・・・。

Y 師とは、1年間の主にあっての交わりであった。その間は近くにいて数多くの信仰の手ほどきを受け、導きを頂いた。御恩を返すにも術がないと思っていた。

あれこれと当時のことを思い返し、PCで一文に綴り、依頼された人を介して A 姉妹に送った。

あれから3年、忘れるともなく月日が流れ去ったが、この程ロスアンゼルス在住の A 姉妹から手紙が届いた。最近、その記録を3度も読み返して感動したというお礼の言葉に加えて、「ほんのすこしのおかねだけれども ひつようなことにつかってください」 とお金と共に、最近友人が撮ってくれたという写真が同封されてあった。

今までは、思い出すたびに脳裡に浮かぶのは、分かれた時の2歳くらいの面影だけだったが、60歳を過ぎた今、御主人と共にいる幸せそうな笑顔がそこにあった。

いつの日にか、再会できる時がくれば幸いだなと思っている。積る話が沢山あるのだから・・・。

人に與よ、然らば汝らも與へられん。人は量りをよくし、押し入れ、揺すり入れ溢るるまでにして、汝らの懐中(ふところ)に入れん。汝らおのが量る量りにて量らるべし。 -同:38-