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イエス答へて言ひ給ふ『すべて此の水をのむ者は、また渇かん。然れど我があたふる水を飲む者は、永遠(とこしへ)に渇くことなし。わが與ふる水は彼の中にて泉となり、永遠の生命(いのち)の水湧きいづべし』 -ヨハネ4:13,14-

ヤコブの井戸の傍らで、サマリヤ人の女に活ける生命の水を与えようと言われるイエス様。

『主よ、わが渇くことなく、又ここに汲みに來ぬために、その水を我に與へよ』とサマリヤの女は言う。-15節- その水とは何か・・。

祭りの終の大なる日にイエス立ちて呼はりて言ひたまふ『人もし渇かば我に來りて飲め。我を信ずる者は、聖書に云へるごとく、その腹より活ける水、川となりて流れ出づべし』これは彼を信ずる者の受けんとする御霊を指して言ひ給ひしなり。イエス未だ榮光を受け給はざれば、御霊いまだ降らざりしなり。-ヨハネ7:37~39-

活ける生命の水とは、我らに約束された御霊なのだと主は言い給う。

(あゝ)なんぢら渇ける者ことごとく水に來れ 金なき者もきたるべし 汝等きたりてかひ求めてくらへ きたれ金なく價(あたひ)なくして葡萄酒と乳とをかへ なにゆゑ糧にもあらぬ者のために金をいだし 飽ことを得ざるもののために勞するや われに聴き從へ さらばなんぢら美物(よきもの)をくらふをえ 脂(あぶら)をもて その霊魂(たましひ)をたのしまするを得ん -イザヤ5:1,2-

イザヤ書に記された預言。生命の水と霊の糧、主イエス様に従うならば全てを与えると約束してくださった。

『渇く者はきたれ、望む者は價なくして生命(いのち)の水を受けよ』-黙示録21:17- とヨハネは言う。教会に来られ、主に求めて聖霊を受けられよ。

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かれは誰にをしへて知識をあたへんとするか 誰にしめして音信(おとづれ)を嘵(さと)らせんとするか 乳をたち懐をはなれたる者にするならんか そは誡命(いましめ)にいましめをくはへ 誡命にいましめをくはへ 度(のり)にのりをくはへ 度にのりをくはへ 此にもすこしく 彼(かしこ)にもすこしく教ふ 

このゆゑに神あだし唇と異なる舌とをもて この民にかたりたまはん 曩(さき)にかれらに言ひたまひけるは此は安息(やすみ)なり 疲困(つかれたる)者にやすみをあたへよ 此は安慰(なぐさめ)なりと されど彼らは聞くことをせざりき 

斯るがゆへにヱホバの言かれらにくだりて 誡命にいましめをくはへ 誡命にいましめをくはへ 度にのりをくはへ 此にもすこしく 彼にも少しくをしへん 之によりて彼等すゝみてうしろに仆れ そこなはれ(わな)にかゝりて捕へらるべし -イザヤ28:9~13-

聖霊を受けるならば、異言を以って豊かに祈ることができる。魂に安息が与えられる。心に安らぎが来る。イエス様に養われる。

それなのになぜ異言に反対し、代わりに人が作った教理を求め、神学を追い求めるのか。人には賢そうに見えるが、実は神の前では愚かだ。それは聖霊に背き、益々主から離れることになるではないか。立ち返れよ!