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主イエス・キリストは祈りについてこう教えてくださいました。


偽善者の如くあらざれ

なんぢら祈るとき、偽善者の如くあらざれ。彼らは人に顕さんとて、会堂や大路の角に立ちて祈ることを好む。かれらは既にその報いを得たり。なんぢは祈るとき、己が部屋に入り、戸を閉じて、隠れたるに在ます汝の父にいのれ。さらば隠れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。 -マタイ6:5,6-


異邦人の如くあらざれ

また祈るとき、異邦人のごとく徒らに言(ことば)を反復(くりかへ)すな。彼らは言多きによりて聴かれんと思ふなり。さらば彼らに效(なら)ふな、汝らの父は求めぬ前に、なんぢらの必要なる物を知りたまふ。-同 7,8-


祈りの時は、神のみを前に置くことが大切で、人の目を意識したりせぬことです。

教会での異言の祈りは、会衆が何人いても関りなく、自分と神とが一対一になって、霊と真をもって祈ることができます。


エルカナの妻ハンナが、エホバの宮で、子の与えられんことを祈った祈りは、心の苦しみと涙を流した祈りでした。祭司エリは、彼女が心の中で物を言って唇が動くのみだったので、酒に酔っていると思い、声をかけたのですが、ハンナは「私を邪な女と見ないでください。憂いと悲しみの多いゆえに今まで神に語っていたのです」と言いました。


これを聞いたエリは「安んじて去れ、願わくはイスラエルの神、汝の求むる願ひを許したまはんことを」と言いました。 ハンナは祭司の言葉を信じて家に帰ったのですが、食事をし、その顔はふたたび哀(かなし)げにならなかったと・・・。そして、神が夫婦を顧みて下さったので、男の子を授かり、その名をサムエル(エホバに聴かる)と名付けたとあります。

祈りが聴かれると、先ず心に平安が来、確信が与えられます。そして現実に願った祈りの答えが来ます。


主の祈り

この故に汝らは斯く祈れ。

「天にいます我らの父よ、願くは、御名の崇められん事を。御國の來らんことを。御意の天のごとく、地にも行はれん事を。我らの日用の糧を今日もあたへ給へ。我らに負債(おひめ)ある者を我らの免(ゆる)したる如く、我らの負債をも免し給へ。我らを嘗試(こゝろみ)に遇せず、悪より救ひ出したまへ」  -同 9~12-


主イエス・キリストは、祈るべきことの要旨を的確な言葉をもって教えてくださいました。「主の祈り」は、多くのクリスチャンが諳んじている祈りですが、真心を込めて祈ることが大切だと思います。