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萬軍のエホバよ なんぢの帷幄(あげばり)はいかに愛すべきかな わが霊魂(たましひ)はたへいるばかりにエホバの大庭をしたひ わが心わが身は いける神にむかひて呼(よば)ふ -詩篇84:1,2-

詩篇84篇は、ギテトの琴に合わせて指揮者によって歌われたコラの子の歌である。

詩篇そのものは、歌であり、讃美であり、祈祷である。 150篇中、ダビデの作が73あり、アサフの作、コラの子の作、ソロモンやモーセ、エタンの作がある。作者不詳も50あるが、ダビデの作が多数含まれていると考えられている。

これらの詩には曲が付いて歌われた。五線紙の無かった昔のことゆえ、どのような節回しで歌われたのか今日知る由もないが、神を心から崇めて歌ったであろうことは歌詞である詩から読み取れる。 

文中に「セラ」という小さな文字が2ヵ所ある。これは、音楽用語で、「少休止符」と考えられている。1~4節、「セラ」、5~8節、「セラ」、そして、9~12節を歌って終了の形である。  詩篇には「セラ」が71ヵ所あり、ハバクク書3章の祈祷書にも3ヵ所ある。

詩篇84篇は、「新約の雛形は、旧約である」の原則から考えて、教会の事を描いていると考えられる。

上掲の聖句は、主なる神を慕って安息日礼拝をするために教会に集う聖徒方の思いを描いている。主イエス・キリストは安息日毎に会堂に入り、聖書を繙かれた。初代教会の使徒たちも安息日毎に会堂に行って、主を証した。今日の我らも鹿の谷川の水を慕いあえぐが如く、安息日毎に教会に集い、礼拝を守り、主より祝福を受けている。

その力なんぢにあり その心シオンの大路にある者は福(さいはひ)なり かれらは涙の谷をすぐれども 其処をおほくの泉あるところとなす  また前の雨は もろもろの恵みをもて之をおほへり -5,6
節-

ここを読むと、詩篇23篇4節の 「たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害(わざはひ)をおそれじ  なんぢ我とともに在せばなり」 を思い出す。 涙の谷、死のかげの谷は、この世に満ちている。その中で苦しんでいる人たちが大勢いる。でも主は、私の所に来なさい。あなたを休ませてあげようと言ってくださる。その御声に従って教会に来られるならば、救いの道はここにある。

なんじの大庭にすまふ一日は 千日にもまされり われは悪の幕屋にをらんよりは 寧ろわが神のいへの門守(かどもり)とならんことを欲(ねが)ふなり -10節-

神の家である教会に集うことは楽しいことである。心一杯主を崇めて讃美し、祈ることは幸いである。御言葉の味わいはいかばかりであろう。他に比べるものは一つとしてない。

神の隣在のある教会、神の御霊に満ち満ちている教会、主が興された教会、神が地上に置かれたオアシスであるイエス之御霊教会に来られ、天来の豊かな祝福を受けて頂きたく思います。