P1010930_e



 友人であるO 牧師の奥さんが暫く前に天に召されていた。その人も同労者である。

このことを知ったのは最近のこと。

「なんで知らせてくれなかったんだ」という思いと、「何があったんだ」という思いとがごちゃ混ぜになって電話をかけた。

事情が分かった。

「疲れたから横になるわ」と言って奥さんが床に就いた。それが最後で傍に居ながら気が付いた時には冷たくなっていたという。彼も急な事態の展開で頭の中が一杯になり、周章狼狽の状態に陥った事だろう。

後は、書くことは止そう。人の命は神様が握っている。

生れるに時あり 死ぬるに時あり 神の為したまふところは皆その時に適ひて美麗(うるは)しかり 神はまた人の心に永遠をおもふの思念(おもひ)を賦(さづ)けたまへり -伝道之書3:11-

愛する者が突然いなくなった悲しみは体験した者でなければ分からない。

私たちの周囲のクリスチャンにも高齢者が沢山いて、永年連れ添った伴侶が召されていく。先に逝った方は天国の喜びに入るのだが、遺された方は、一人で残りの人生を歩まなければならない。健気に生きている人もいるが、寂しさを囲っている人もいる。その思いを語れる相手がいる人がいれば良いが、なかなか理解してくれる人はいない。ただ神様は全てご存知と信じて祈るだけだ。

年をとって配偶者を失う人と、若くして失う人とがいる。そのどちらが良いのか、これも神の御意次第だが、後者の方が厳しい年月を経た分、多くの人の悩みを親身に聞いてあげる相手になれるように思う。

今日の安息日礼拝の聖言の一つはこうである。

エホバの言(ことば)われに臨みて言ふ 人の子よ我頓死をもて汝の目の喜ぶ者を取去らん 汝哀(なげ)かず泣ず涙をながすべからず 聲をたてずに哀け 死人のために哀哭(あいこく)をなすなかれ 冠物(かざりもの)を戴き 足に鞋(くつ)を穿べし 髭を掩ふなかれ 人のおくれる食物を食ふべからず 朝に我人々に語りしが 夕べにわが妻死ねり 明朝(あくるあさ)におよびて我命ぜられしごとくなせり 
-エゼキエル24:15~18-

旧約時代の預言者エゼキエルの人生は厳しいものだ。最愛の妻が死んでも泣いてはならないと・・・。

神が妻として喜ぶ者として選んだイスラエルは不信仰の故に亡んでいく。その兆(しるし)として預言者の愛する妻は死ななければならぬ。預言を成就するために愛する者が死んでも泣いてはならないのだ。 きつい!!

けれども今は、新約の時代、恵みの時代である。

愛する者との死別は肉に於いてはつらく哀しい。だが霊に於いてはキリストの復活と再臨の望みがある。ここに慰めがある。

されど我らの國籍は天に在り、我らは主イエス・キリストの救主として其の處より來りたまふを待つ。彼は萬物を己に服はせ得る能力によりて、我らの卑しき状の體を化へて己が榮光の體に象らせ給はん。 -ピリピ3:20,21-