道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2008年12月

● 詩篇:第49篇1~20節

おのが富をたのみ財おほきを誇るもの・・・・・尊貴なかにありて曉らざる人はほろびうする獣のごとし

●             詩篇:第50篇1~23節

世界とそのなかに充るものは わが有なれば縦ひわれ飢るともなんぢに告じ・・・・ 感謝のそなへものを神にさゝげよ なんぢのちかひを至上者につくのへ なやみの日にわれをよべ 我なんぢを援けん而してなんぢ我をあがむべし・・・・・ 感謝のそなえものを獻るものは我をあがむ おのれの行爲をつゝしむ者にはわれ神の救をあらわさん

● 詩篇:第138篇  = 一年を振り返って感謝祭 =

汝わがよばはりし日にわれにこたへ わが霊魂(たましひ)にちからをあたへて雄々しからしめたまへり

● ロマ書:第9章5節(下半句) 

キリストは萬物の上にあり、永遠に讃むべき神なり、アァメン。

● レビ記:第26章11~13節 

我わが幕屋を汝らの中に立ん我心汝らを忌きらはじ 我なんぢらの中に歩み また汝らの神とならん 汝らはまたわが民となるべし 我は汝らの神ヱホバ汝らをエジプトの國より導き出してその奴隷たることを免れしめし者なり 我は汝らの軛(くびき)の横木を砕き 汝らをして眞直に立て歩く事を得せしめたり  

聖餐式

● 出エジプト記:第12章7~14節

而して此夜その肉を火に炙て食ひ又酵いれぬパンに苦菜をそへて食ふべし・・・・・ その血なんぢらが居るところの家にありて汝等のために記號とならん我血を見る時なんぢらを逾越すべし又わがエジプトの國を撃つ時災なんぢらに降りてぼすことなかるべし

● イザヤ書:第5章14節下半句  = クリスマス =

視よ をとめ孕(はら)みて子をうまん その名をインマヌエルと稱ふべし

● イザヤ書:第9章6,7節

ひとりの嬰児(みどりご)われらのために生れたり 我儕(われら)はひとりの子をあたへられたり 政事はその肩にあり その名は奇妙 また議士 また大能の神 とこしへのちヽ 平和の君ととなへられん

● マタイ伝:1章18~25節

かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。己が民をその罪より救ひ給ふ故なり。

● マタイ伝:第2章1~6節

我ら東にてその星を見たれば、拝せんために来れり。

ユダの地ベツレヘムよ、汝はユダの長等(をさたち)の中にて最小き者にあらず、汝の中より一人の君いでて、わが民イスラエルを牧せん。

聖餐式

● ルカ伝:第22章7~23節

われ苦難の前に、なんぢらと共にこの過越の食をなすことを望みに望みたり

● マタイ傳:第10章22節

又、なんじら我が名のために凡ての人に憎まれん。 されど終まで耐え忍ぶものは救はるべし。

●  マタイ傳:第24章13~14節

然れど終まで耐え忍ぶ者は救はるべし。 御國のこの福音は、もろもろの國人に證をなさんために全世界に宣傳へられん、而して後、終は至るべし。

● ヘブル書:第6章9~20節

我らは汝等がおのおの終まで前と同じ勵をあらわして全き望を保ち、 怠ることなく、信仰と忍耐とをもて約束を嗣ぐ人に效はんことを求む。・・・・・ 『われ必ず、なんじを恵み恵まん、なんじを殖し 殖やさん』と、・・・・・

● コリント前書13章13節

げに信仰と希望と愛と此の三つの者は限りなく存らん、而して其のうち最も大なるは愛なり。

● テモテ後書:第4章1~5節

なんじ御言を宣傳へよ、機を得るも 機を得ざるも 常に勵め、・・・・・傳道者の業をなし、なんじらの職を全うせよ。

聖餐式

● ヨハネ傳:第6章35~40節 ・ 53~59節

● ヨブ記:第42章5節 

われ汝の事を耳にて聞ゐたりしが  今は目をもて汝を見てまつる

● ヨブ記:第5章24, 25節

汝はおのが幕屋の安然(やすらか)なるを知らん 汝の住處(すみか)を見まはるに缺(かけ)たる者なからん 汝また汝の子等の多くなり  汝の裔の地の草の如くになるを知ん 汝は遐齡(よきよはひ)におよびて墓にいらん  宛然(あたかも)麥束を時にいたりて運びあぐるごとくなるべし

聖餐式

● コリント前書:第11章23~35節

● マルコ傳:第16章14~20節

斯て彼らに言ひたまふ 『全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣伝えよ。・・・・・

● ヨブ記:第8章5~7節

汝もし神に求め 全能者に祈り 清くかつ正しうしてあらば必ず今汝を顧み汝の義き家を榮えしめたまわん 然らば汝の始は微小くあるとも汝の終は甚だ大ならん

● 創世記:第32章10節

我はなんじが 僕にほどこしたまひし 恩恵と眞實を 一も受るにたらざるなり 我わが 杖のみを持ちて このヨルダンを濟(わた)りしが 今は二隊とも成にいたれり

聖餐式

● ヘブル書:第10章10~14節

この御意に適ひてイエス・キリストの體の一たび獻げられしに由りて 我らはき潔められたり。 すべての祭司は日毎に立ちて事へ、いつまでも罪を除くこと能はぬ同じ犠牲をしばしば獻ぐ。 然れどキリストは罪のために一つの犠牲を獻げて、限りなく神の右に坐し、斯て己が仇の己が足臺とせられん時を待ちたまふ。 そは潔めらるる者を一つの供物にて限りなく全うし給ふなり。

このページのトップヘ