道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2009年01月

● ルカ傳:第19章10節

・・・・・それ人の子の來れるは、失せたる者を尋ねて救はん爲なり』

● ヨハネ傳:第20章24節~29節

・・・・・イエス言ひ給ふ 『なんじら我を見しによりて信じたり、見ずして信ずる者は幸いなり

● コリント後書:第6章1節~2節

・・・・・『われ恵の時に汝に聽き、救いの日に汝を助けたり』

● マタイ傳:第12章22~37節

然れど我もし神の靈によりて悪鬼を逐い出さば、神の國は既に汝らに到れるなり。・・・・・誰にても言をもて人の子に逆らふ者は赦されん、然れど言をもて聖靈に逆らふ者は、この世にても後の世にても赦されじ。

● ヤコブ書:第3章1~12節

われら之をもて主たる父を讃め、また之をもて神に象りて造られたる人を詛ふ。 讃美と呪詛と同じ口より出づ。 わが兄弟よ、斯る事はあるべきにあらず。

聖餐式

● コリント後書:第8章9節

汝らは我らの主イエス・キリストの恩恵を知る。 即ち富める者にて在したれど、汝等のために貧しき者となり給へり。 これ汝らが彼の貧窮によりて富める者とならん爲なり。

● コリント後書:第13章3~4節

・・・・・キリストは汝らに對ひて弱からず、汝等のうちに強し。 微弱によりて十字架に釘けられ給ひたれど 神の能力によりて生き給へばなり。 我等もキリストに在りて弱き者なれど、汝らに向ふ神の能力によりて彼と共に生きん。

● ルカ傳:第18章21~30節

イエス之を見て言ひたもふ 『富める者の神の國に入るは如何に難いかな。 富める者の神の國に入るよりは、駱駝の針の穴をとほるは反つて易し』

● マタイ傳:第4章15~17節・23~25節

『・・・・・暗きに坐する民は、大なる光を見、死の地と死の蔭とに坐する者に、光のぼれり』

● マタイ傳:第9章25~38節

また群衆を見て、その牧ふ者なき羊のごとく悩み、且たふるるを甚く憫み、遂に弟子たちに言ひたまふ 『收穫はおほく労動人はすくなし。 この故に收穫の主に労動人をその收穫場に遣わし給はんことを求めよ』

聖餐式

● コリント前書:第5章1~8節       ● コリント前書:第11章17~26節

● ヘブル書:第10章26~31節

二・三人の證人によりて死に至る。・・・・・恩恵の御靈を侮る者の受くべき罰の重き如何許りとおもうか。

● コリント後書:第13章1~13節

今われ三度なんぢらに到らん二・三の證人の口によりて凡てのこと慥(たしか)めらるべし。

● マタイ傳:第18章15~20節

もし聽かずば一人・二人を伴ひ往け、これ二・三の證人の口に由りて、凡ての事の慥められん爲なり。・・・・・すべて汝らが地にて縛(つな)ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり。また誠に汝らに告ぐ、もし汝等のうち二人、何にても求むる事につき地にて心を一つにせば、天にいます我が父は之を成し給ふべし。 二・三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり』

● エペソ書:第1章1~23節

御前に潔く瑕なからしめん爲に、世の創の前より我等をキリストの中に選び、 御意のままにイエス・キリストに由り愛をもて己が子となさんことを定め給へり。・・・・汝等もキリストに在りて眞の言、すなはち汝らの救の福音をきき、彼を信じて約束の聖靈にて印せらえたり。 これは我らが受くべき嗣業の保證にして、神に屬けるものの贖はれ、かつ神の榮光に譽あらん爲なり。・・・・・萬の物をその足の下にした服はせ、彼は萬の物の上に首として教會に與へ給へり。 この教會は彼の體にして萬の物をもて萬の物に満し給ふ者の満つる所なり。  

聖餐式

● ヨハネ第1書:第4章8~11節      ● コリント前書:第11章23~26節

● マタイ傳:第3章1~17節

ヨハネ之を止めんとて言う われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか』 イエス答へて言ひたまふ 『今は許せ、われら斯く正しき事をことごとく爲遂ぐるは、當然なり』 ヨハネ乃ち許せり。

● マルコ傳:第1章1~11節

我は水にて汝らにバプテスマを施せり。 されど彼は聖靈にてバプテスマを施さん』・・・・・斯て水より上がるをりしも、天さけゆき、聖靈、鴒のごとく己に降るを見給ふ。 かつ天より聲出で『なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悦ぶ』

● 申命記:第10章12~13節   ー 新年の祝福を祈って ー

イスラエルよ今汝の神エホバの汝に要めたまふ事は何ぞや 惟是のみ即ち汝がその神エホバを畏れ その一切の道に歩み 之を愛し心を盡し精神を盡して汝の神エホバに事へ 又我が今日汝らに命ずるエホバの誡命と法度とを守りて身に福祉を得るの事のみ

● 申命記:第11章8~12節

その地は 汝の神エホバの顧みたまふ者にして 年の始より 年の終まで 汝の神エホバの目常にその上に在り

● 申命記;第11章14節

我なんぢらの地の雨を秋の雨 春の雨ともに時に随ひて降し 汝らをしてその穀物を收入しめ且酒と油を獲せしめ

聖餐式

● ゼパニヤ書:第1章7節

汝主エホバの前に黙せよ そはホバの日近づき エホバすでに犧牲を備へ その招くべき者をさだめ給ひたればなり

● 創世記:第2章1~3節下半句  ~安息日の制定~

神七日を祝して之を神聖めたまへり そは神その創造為たまへる工を尽く竣て是日に安息みたひたればなり

● 出エジプト記:第16章21~30節  ~マナを集めるに~

明日はヱホバの聖安息日にして休息なり

● 出エジプト記:20章8~11節  ~モーセの十戒の第4戒~

安息日を憶えてこれを聖潔すべし・・・・・是をもてエホバ安息日を祝ひて聖日としたもふ

● エゼキエル書:第20章18~20節  ~神とイスラエル人の徴~

わが安息日を聖くせよ是は我と汝らの間の徴となりて汝らをして我が汝らの神エホバなるを知しめんと

● 民數記略15章:第15章32~36節

● マタイ傳:第12章1~8節  ~主イエスの教え~

『・・・・・「われ憐憫を好みて、犠牲を好まず」とは以何なる意かを、汝ら知りたらんには、罪なき者を罪せざりしならん。 それ人の子は安息日の主たるなり』

● マルコ傳:第2章27~~28節

また言ひたまふ 『安息日は人のために設けられて、人は安息日のために設けられず。 然れば人の子は安息日にも主たるなり』

● コロサイ書:第2章16~17節下半句  ~主イエスによって安息は来る~

其の本體はキリストに屬けり。

● イザヤ書:第58章13~14節  ~安息日の祝福~

もし安息日になんぢの歩行をとゞめ 我聖日になんぢの好むわざをおこなはず 安息日をとなえて樂日となし エホバの聖日をとなへて尊むべき日となし 之をたふとみて己が道をおこなわず おのが好むわざをなさず おのが言をかたらずば その時なんじエホバを樂しむべし エホバなんぢを地のたかき處にのらしめ なんぢが先祖ヤコブの産業をもて汝をやしない給はん こはエホバ 口より語りたまへるなり

● イザヤ書:66章22~24節  ~安息日は永遠に不変~

・・・・安息日ごとによろづの人わが前にきたりて崇拝をなさん

聖餐式

● コリント前書:第11章23~26節

● ネヘミヤ記:8章10節下半句   =  今年の聖言 =

此日は我らの主の聖日(きよきひ)なり 汝ら憂ふることをせざれ ヱホバを喜ぶ事は 汝らの力なるぞかし

● ピリピ書:4章4~7節

汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ。・・・・・・

● テサロニケ前書:5章16~18節

常に喜べ、絶えず祈れ、凡てのこと感謝せよ、これキリスト・イエスに由りて神の汝らに求め給ふ所なり。

聖餐式

● コリント前書:5章6~8節  10章16,17節  11章23~26節

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