● ルカ傳:第21章29~33節
天地は過ぎゆかん、然れど我が言は過ぎゆくとなし。(33節)
● ルカ傳:第13章22~30節
力を盡して狭き門より入れ、我なんぢらに告ぐ、入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん。
● ルカ傳:18章18~30節
なんぢなほ足らぬこと一つあり、汝の有てる物を、ことごとく賣りて貧しき者に分ち與へよ、然らば財寶(たから)を天に得ん。かつ来たりて我に従へ。
聖餐式
● ルカ傳22章7~23節
● ルカ傳:第21章29~33節
天地は過ぎゆかん、然れど我が言は過ぎゆくとなし。(33節)
● ルカ傳:第13章22~30節
力を盡して狭き門より入れ、我なんぢらに告ぐ、入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん。
● ルカ傳:18章18~30節
なんぢなほ足らぬこと一つあり、汝の有てる物を、ことごとく賣りて貧しき者に分ち與へよ、然らば財寶(たから)を天に得ん。かつ来たりて我に従へ。
聖餐式
● ルカ傳22章7~23節
● ガラテヤ書:第1章12節
我は人より之を受けず、また教えられず、唯イエス・キリストの默示に由れるなり。
● 列王紀略上:第18章21~24節
汝等何時まで二の物の間にまよふや ヱホバ若し神ならば之に従へ・・・・・而して火をもて應(こたふ)る神を神と為べし (21, 24節)
● ヱレミヤ記:第2章11~13節
わが民はふたつの悪事をなせり 即ち活る水の源なる我をすて 自己(みづから)水溜(みずため)を掘れり すなはち壊(やぶれ)れたる水溜にして水を有(たも)たざる者なり
聖餐式
● ヨハネ傳:第6章35節 ・ 47~59節
● ルカ傳:第18章26~27節
『さらば誰か救はるる事を得ん』 イエス言ひたまふ 『人のなし得ぬところは、神のなし得る所なり』
● ヨハネ傳:第11章1~35節
イエス言ひ給ふ 『我は復活なり、生命なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。 凡そ生きて我を信ずる者は、永遠に死なざるべし。 汝これを信ずるか』 彼いふ 『主よ然り、我なんぢは世に來るべきキリスト、神の子なりと信ず』 = 《25~27節》
● ヨハネ默示録:第7章15節 =(2009年・合同喜霊祭の聖言)=
この故に神の御座の前にありて晝も夜もその聖所にて神に事ふ。 御座に坐したもふ者は彼らの上に幕屋を張り給ふべし。
聖餐式
● ヨハネ傳:第11章49~52節
● 詩篇:第126編
涙とともに播(ま)くものは歡喜(よろこび)とともに穫(かりと)らん その人は種をたづさへ涙をながしていでゆけど 禾束(たば)をたずさへ喜びてかへりきたらん
● エゼキエル書:第44章15~31節
彼らわが民を教へ 聖き物と俗(つね)の物の區別(わかち)および汚(けが)れたる物と潔(いさぎよ)き物の區別を之に知しむべし -25節-
汝等その諸(すべて)の麥粉の初(はつ)を祭司に与ふべし 是汝の家に幸福(さいはひ)あらしめんためなり -30節-
● コリント前書:第6章9~20節
・・・・・主イエス・キリストの名により、我らの神の御靈によりて、己を洗ひ、かつ潔められ、かつ義とせらるることを得たり。 -11節-
汝らの身はその内にある、神より受けたる聖靈の宮にして 汝らは己の者にあらざるを知らぬか。 汝らは價(あたひ)をもて買はれたる者なり、然らばその身をもて神の榮光を顯わせ。 -19,20節-
聖餐式
● ヨハネ傳:第6章49~59節
● ヨハネ傳:第3章27節
人は天より與へられずば、何をも受くること能はず
● 出エジプト記:第15章13節
汝はその贖ひし民を恩恵をもて導き 汝の力をもて彼等を 汝の聖き居所に引たまふ
● ヱレミヤ記:第10章12~16節
ヱホバはその能(ちから)をもて地をつくり 其智慧をもて世界を建て その明哲(さとり)をもて天を舒(の)べたまへり ー12節ー
ヤコブの分は是(かく)のごとくならず 彼は萬物の造化主(つくりぬし)なり イスラエルはその産業の杖なり その名は萬軍のヱホバといふなり -16節-
聖餐式
● コリント前書:第11章23~26節