● ルカ傳:第5章1~11節
・・・・・ 『懼るな、なんぢ今より後、人を漁らん』 かれら船を陸につけ、一切を棄ててイエスに従へり。
● 箴言:第4章23~27節
すべての操守(まもる)べき物よりもまさりて汝の心を守れ そは生命(いのち)の流これより出ればなり・・・
● 創世記:第35章9~15節
・・・・・わがアブラハムおよびイサクに與し地は我これを汝にあたへん我なんぢの後の子孫にその地をあたふべし・・・・・
聖餐式
● ヨハネ第一書:第4章7~15節
● ルカ傳:第5章1~11節
・・・・・ 『懼るな、なんぢ今より後、人を漁らん』 かれら船を陸につけ、一切を棄ててイエスに従へり。
● 箴言:第4章23~27節
すべての操守(まもる)べき物よりもまさりて汝の心を守れ そは生命(いのち)の流これより出ればなり・・・
● 創世記:第35章9~15節
・・・・・わがアブラハムおよびイサクに與し地は我これを汝にあたへん我なんぢの後の子孫にその地をあたふべし・・・・・
聖餐式
● ヨハネ第一書:第4章7~15節
● イザヤ書:第44章3節
われ渇けるものに水をそゝぎ 乾(ひ)たる地に流をそゝぎ わが靈(みたま)を汝の子輩(こら)にそゝぎ わが恩恵(めぐみ)を汝の裔にあたふべければなり
● イザヤ書:第55章1~2節
噫なんぢら渇ける者ことごとく水にきたれ 金なき者もきたるべし (1節)
● ヨハネ傳:第15章1~6節
我は葡萄の樹、なんぢらは枝なり。人もし我にをり、我また彼にをらば、多くの果を結ぶべし。汝ら我を離るれば、何事をも為し能はず。(5節)
聖餐式
● ヨハネ第一書:第2章1~2節
わが若子よ、これらの事を書き贈るは、汝らが罪を犯さざらん爲なり。 人もし罪を犯さば、我等のために父の前に助主あり、即ち義なるイエス・キリストなり。 彼は我らの罪のために宥の供物たり、啻に我らの爲のみならず、全世界の爲なり。
● イザヤ書:第60章1~3節
起きよひかりを發て なんぢの光きたりヱホバの榮光なんぢのうへ照出たればなり ・・・・・もろもろの國はなんぢの光にゆき もろもろの王はてり出るなんぢが光輝(かがやき)にゆかん
● 詩篇:第95篇(全篇)
彼はわれらの神なり われらはその草苑(まき)の民 その手(みて)のひつじなり 今日なんぢらがその聲(みこゑ)をきかんことをのぞむ (7節)
● 使徒行傳:第12章1~19節 =主の御使いがペテロを牢獄から救い出す=
● 使徒行傳:第16章16~40節 =パウロも牢獄から救い出されて福音を語る=
聖餐式
● コリント後書:第5章14~15節
キリストの愛われらに迫れり。我ら思うに、一人すべての人に代りて死にたれば、凡ての人すでに死にたるなり。 その凡ての人に代りて死に給ひしは、生ける人の最早おのれの爲に生きず、己に代り死にて甦へり給ひし者のために生きん爲なり。
● テトス書:第3章4-7節
我らの行ひし義の業にはよらで、唯その憐憫により、更生の洗と我らの救主イエス・キリストをもて、豊に注ぎたまいふ聖靈による維新とにて、我らを救ひ給へり。 これ我らが其の恩恵によりて義とせられ、永遠の生命の望にしたがひて世嗣とならん爲なり。
● 使徒行傳:第10章1節~11章18節 =異邦人の救い=
御使いふ『なんぢの祈と施済とは、神の前に上りて記念とせらる』(10章4節)
聲再びありて言ふ『神の潔め給ひし物を、なんぢ潔からずと為な』(15節)
『・・・・神は偏ることをせず、何れの國の人にても神を敬ひて義をおこなふ者を容れ給ふことを』
(35節)
異邦人にも聖霊のそそがれしに驚けり。そは彼らが異言をかたり、神を崇むるを聞きたるに由る。 (45節)
『この人々われらの如く聖霊をうけたれば、誰か水を禁じて其のバプテスマを受くることを拒み得んや』 (47節)
聖餐式
● マタイ傳:第26章19~30節