道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2010年03月

★ 主が世界の各地に水と霊の福音を推し進めておられる証を見聞きし、聖名を崇め、感謝致しました。  栄光主にあれ、ハレルヤ !

証 フランス及びチコにおける主の働き

● コロサイ書 第1章6, 7節

この福音は全世界にも及び、果を結びて増々大になれり。 汝らが神の恩惠(めぐみ)をききて、眞に之を知りし日より、汝らの中に然りしが如し。

★ 末の日に聖書の預言に従って主が興された真のキリスト教会に関る預言。

真の教会は、神の印、即ち聖霊を持つ ⇒ エペソ書第1章13節、コリント後書第1章22節

真の教会は、東の方、即ち日本から興る ⇒ 以下の聖句を拝読する

● ヨハネ黙示録   第7章1~3節

また他の一人の御使の、いける神の印を持ちて日の出づる方より登るをみたり、

● イザヤ書 第41章1, 2節  同25節

たれか東より人をおこしゝや

われ我が名をよぶものを東よりきたらしむ

聖餐式

● 使徒行傳 第2章41~47節

彼らは使徒たちの教を受け、交際(まじはり)をなし、パンを擘(さ)き 祈禱(いのり)をなすことを只管つとむ 

証 副牧師が地方に住む信者を訪問して神癒祈祷をし、産業の祝福を祈りました。

● ヤコブ書 第5章11,13~16節 

汝等のうち病める者あるか、その人、教会の長老たちを招け、彼らは主の名によりて其の人に油をぬりて祈るべし。さらば信仰の祈りは病める者を救はん、主かれを起し給はん、もし罪を犯しし事あらば赦されん。

● ロマ書 第15章29節

われ汝らに到るときは、キリストの満ち足れる祝福をもて到らんことを知る。

● 詩篇 第122篇6節

ヱルサレムのために平安(やすき)をいのれ ヱルサレムを愛するものは榮ゆべし

聖餐式

● コリント前書 第11章23~26節

● エレミヤ記 第32章38~41節

われ彼らに一(ひとつ)の心と 一の途(みち)をあたへて 常に我を畏れしめん こは彼らと其子孫とに福(さいはひ)をえせしめん爲なり

われ悦びて彼らに恩(めぐみ)を施し 心を盡し精神をつくして 誠に彼らを此地に植(うゝ)べし

★ バビロンに捕囚されたイスラエルの民は、70年後に先祖の地に帰る。その日主は彼らを一新し、主を畏れる心を与えて祝福すると約束された。神の一方的な愛である。  我らも水と霊のバプテスマを受けて、罪の縄目から解放され、神の実子とされた。 而して神の国に植えられし者なるを感謝する。

聖餐式

● エゼキエル書 第16章6節下半句

汝が血の中にある時 汝に生(いき)よと言り 

即ち 我なんぢが血の中にある時に 汝に生よといへり

● 列王紀略下 第3章4~27節

ヱホバかくいひたまふ 此谷に許多(あまた)の溝(ほり)を設けよ 

それヱホバかく言ひたまふ 汝ら風を見ず 雨をも見ざるに 此谷に水盈(みち)て汝等と汝等の家畜および汝らの獸(けもの)飲ことを得ん 然るも是はヱホバの目には瑣細(ちいさ)き事なり・・・・・

かくて朝におよびて供物を献ぐる時に 水エドムの途(みち)より流れきたりて 水國に充つ (16~20節)

★ モアブの王と戦わんと、イスラエルとユダとエドムの王たちと軍勢は、出で行くこと7日にして人も家畜も飲む水が無くなった。 イスラエルの王ヨラムは絶望して言った。「神は我ら3人の王を敵の手に渡そうとして集められた」と。 一方ユダの王ヨシャパテは望みを抱いて言った。 「我らがよりて問うべき神の預言者はここにいないのか」と。 いざという時に我らの信仰の有無が問われる。 預言者エリシヤが預言し語ったのがこの聖言。 主は奇蹟を起され、彼らは水を得た。

人も霊魂(たましい)の渇くときに水が必要だ。 その水とは、即ち主イエス・キリストが価なくして与えてくださる生命の水、聖霊である。 

● コリント後書 第5章7節

見ゆる所によらず、信仰によりて歩めばなり。

聖餐式

マルコ傳 第14章12~26節

このページのトップヘ