道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2010年07月

● 創世記14:17~24

18 時にサレムの王メルキゼデク、パンと酒を携(もち)出せり 彼は至高(いとたか)き神の祭司なりき 19 彼アブラムを祝して言ひけるは 願くは天地の主なる至高神アブラムを祝福(めぐ)みたまへ 20 願はくは汝の敵を汝の手に付したまひし至高神に稱譽(ほまれ)あれと アブラム乃ち彼に其諸(すべて)の物の什分の一を饋(おく)れり

エラムの王ケダラオメルら4人の王は同盟を結び、ソドムの王ベラら5人の王の連合軍に戦いを挑んだ。ソドムの連合軍は敗走し、アブラムの甥ロトも捕らえられて引き行かれた。

急を聞いたアブラムは、家の子郎党318人を率いて敵を追い、夜に乗じて奇襲をかけて大勝利し、ロトと民と物を取り返して帰ってきた。

時にサレムの王であり、至高き神の祭司であるメルキゼデクはパンと酒を持参してアブラムを出迎え、天地の主である至高き神が、アブラムを祝福(めぐ)みたもうように祝し、神を称えたのである。

このパンと酒とは、主が我らのために備えてくださった御肉と御血、すなわち聖餐のパンと葡萄汁の影である。

メルキゼデクの言葉によってアブラムは、己の信ずる神が ”天地の主なる至高き神” であることを知った。そこで彼は、ソドムの王が 「人を我に与え、物を汝に取れ」 と言った時に、天地の主なる至高き神を指して、人から物は取らない、人に誉れを与えることはしない、この神からのみ祝福を受け、富ませていただくのだと言ったのである。

● 詩篇110:4

ヱホバ誓をたてて聖意(みこころ)をかへさせたまふことなし 汝はメルキゼデクの状にひとしく とこしへに祭司たり

ダビデはこの詩のなかで、主イエス・キリストの出現に就いて語り、メルキゼデクの状に等しい永遠の祭司であると預言した。

● ヘブル書7章

 此のメルキゼデクはサレムの王にて至高き神の祭司たりしが、王たちを破りて還るアブラハムを迎えて祝福せり。・・・・

2 その名を釈けば第一に義の王、次にサレムの王、すなはち平和の王なり。3 父なく、母なく、系図なく、齢の始めなく、生命の終なく、神の子のごとくして限りなく祭司たり。

何と言う人なのだろう、このメルキゼデクという祭司は。人であって、人でない。神が人の姿をとって顕われたというべきであろう。

大祭司にはアロンの大祭司と、メルキゼデクの位に等しい大祭司とがある。

アロンの大祭司は、アブラハムの曾孫レビの族の中の、アロンの直系の者が選ばれて代々なった。しかも罪ある人がなったので、しばしば自分の為に贖罪の捧げ物をする必要があった。 しかし、メルキゼデクの位に等しい大祭司、すなわち主イエス・キリストは、ユダの家系の末裔に生まれて、ただ一度の十字架の死によって、全人類の贖罪を全うしてくださった。、

● ヘブル書4:14~16啻

14 我等には、もろもろの天を通り給ひし偉(おほい)なる大祭司、神の子イエスあり。然れば我らが言ひあらはす信仰を堅く保つべし。15 我らの大祭司は我らの弱を思ひ遣ること能はぬ者にあらず、罪を外にして凡ての事、われらと等しく試みられ給へり。16 この故に我らは憐憫(あわれみ)を受けんが為、また機に合ふ助となる恵を得んがために、憚らずして恵の御座に来るべし。

聖餐式

● ヨハネ第Ⅰ書1,2

彼は我らの罪のために宥の供物たり、啻に我らの為のみならず、また全世界の為なり。

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ご報告 会堂建設後10年を迎えた今年、改修工事をしました。

1.会堂のエアコンを冷房専用機から、冷暖房兼用機に取り替えました。室外機の容量が多きくなりました。メリットは、冬季間、室温を上げるのに床暖房だけでは、長時間かかるのに対して、急速に暖めることができるという点です。春先に完成したので、早速効果が現れました。

2.車庫の前の歩道のロードヒーテングを、灯油式から電気式に切り替え工事をしました。燃料費の節減が見込まれます。エコの点からも良いと思います。今年の冬から威力を発揮することと思います。

3.牧師館の給湯機のボイラーを交換しました。とても便利になりました。

4.あと一つ、8月中に床暖房のボイラー交換をします。今までは、2階と3階が一つのボイラーで不凍液が循環されていましたが、面積が広いので不経済でした。今度今までの配管を生かしたまま2階、3階を分離し、それぞれにボイラーを取り付けることにし発注しました。

凡ての必要が常に豊に満たされるようお祈りいただければ、幸です。

● イザヤ書45章より

 われはヱホバなり 我のほかに神なし 一人もなし 汝われをしらずといへども我なんぢを固うせん  而して日のいづるところより 西のかたまで 人々我のほかに神なしと知るべし 我はヱホバなり他にひとりもなし

22 地の極なるもろもろの人よ なんぢら我をあふぎのぞめ 然らばすくはれん われは神にして他に神なければなり

証 後志管内、倶知安町のN 兄弟から聖別祭をして欲しいと依頼があったので、15日の木曜日に訪問しました。

兄弟は、二十数年前に某教会で 「水と霊」 を受けたと言うのですが、その数年前から色々な宗教を信じ、それに固執していたために牧師と衝突して、その教会から離れていたと言います。

その後、兄弟はますます深みに嵌まり、悪鬼の霊に取り付かれ、人生が分らなくなり、定職もなく、心療内科に掛りもし、癒されずに悩んでいました。

それが、数年前に突然道央教会に電話をかけてきたのです。

「自分も家族も呪われていて悪いことが続いている。どうしたらよいのか」 と兄弟は言いました。

手相や運命学など色々やったが、全部当っていて、正しく自分は呪われていると言います。彼はノストラダムスの大預言を信じ、色々な宗教書を買って研究していました。その一方、聖書にも詳しく、何処に何が書いてあるかも知っています。それらが入り混じっていよいよ迷いに迷っていました。

教会に二、三度来ましたが、自分の意見だけを主張し、私たちが 「イエス様だけ信じなさい」 という言葉に耳を傾けませんでした。一見して強い霊力を持っていて、悪魔来のものだと分りました。

聖言に從おうとしないので、凡てイエス様にお任せしていると、急に手のひらを返したように 「聖別祭をしてください」 と言ってきたのです。

彼の話によると、十日ほど前に申命記の13章を読んでいたら

「預言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。あなたたちは、あなたたちの神、主に従い、これを畏れ、その戒めを守り、御声を聞き、これに仕え、これに従わねばならない。」  ー新共同訳ー 

と書かれてある聖言を読み、自分が間違っていた。牧師の言うことが正しかったと教えられ、牧師を招いて聖別祭をしてもらおうと思ったと云うことです。

そこで副牧師と二人で車で兄弟を訪ねていき、聖別祭をしました。家の中には、兄弟をだましてきた思想の篭った宗教書があちこちに置いてありました。私は福音を語り、聖別の祈りをし、兄弟の身と、この家からサタンの霊よ出て行け!と命じました。

すると兄弟は、両手で頭を抱えて 「ああ、自分はずっとサタンにだまされていた。今まで間違ったことを正しいと信じ込んできた。この何十年という人生が勿体無い。」と改めて気づいたと言います。

私たちは、兄弟に再び悪鬼の奴隷に戻らぬように訓戒し、彼が多年買い集めていた宗教書を引きとり、教会に持って帰って聖別しました。

イエス様以外は全部止めます」 と兄弟からの礼状の中で、この言葉を受けたので、感謝です。ハレルヤ!

● コリント後書4:4

この世の神は此等の不信者の心を暗まして神の像(かたち)なるキリストの栄光の福音の光を照さざらしめたり。

● エペソ書2:2

この世の習慣に従ひ、空中の權を執る宰、すなはち不従順の子らの中に今なほ働く霊の宰にしたがひて歩めり。

聖餐式

● ルカ傳22:7~23

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感謝!  ブログ開設以来の延アクセス数が、今週、10,000回を越えました。

多くの方々が、このブログを訪れ、「お気に入り」にして、読んでくださっていることを感謝しています。

今後とも宜しくお願いします。          [E:mailto] 管理人より



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● コリント前書3:6,7

6 我は種(う)え、アポロは水灌げり、されど育てたるは神なり。7 されば種うる者も、水灌ぐ者も数うるに足らず、ただ尊きは育てたまふ神なり。

コリントの教会において、信者の或る者はアポロを、また或る者はパウロと言って自分の師事する教師を立て、他を蔑ろにする傾向があった.パウロはこういう考えは肉に属するものであって、世の人と変らないと言って厳しく戒め、神のみが我らの信仰を育てゝ下さる唯一のお方であると教えた。

● 使徒行伝19:8~20

11 神はパウロの手によりて尋常(よのつね)ならぬ能力ある業を行ひたまふ。12 即ち人々かれの身より或は手拭あるひは前垂をとりて病める者に著くれば、病は去り悪霊は出でたり。

神の癒しの御業は、昔も今も変らずに行われている。教会には癒しの賜物が主によって備わっており、講壇には神癒祈祷のためのオリーブ油が入った瓶が置かれている。病める信者は牧師に願い出て、牧師はその信者に油を塗り、手を按いて主イエス・キリストの名によってその病の癒されんことを祈るのである。そうすれば、主はその聖名の故をもって病を癒してくださる。

聖餐式

● マタイ傳26:36~56

「わが父よ、この酒杯もし我飲までは過ぎ去りがたくば、御意のままに成し給へ」


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   先週(7/3)証をした富山から転勤で札幌に来られたA 兄弟ですが、水と霊を受けて救われて直ぐに大口の契約が二つも取れたと証をされました。産業の祝福が約束されていますから感謝です。

  この兄弟を導いたS姉妹ですが、3年前に急に体調不良になり、初めは風邪かと思って近所の病院に行ったところ、詳しい検査を受けるように勧められ、その結果、急性白血病に罹り、悪性リンパ腫が幾つもでき、脾臓も腫れていることが分って、国立ガンセンターに入院しました。5カ月間抗がん剤治療を受け、髪の毛もすっかり抜けて痛々しい状態になりましたが、何度も神癒祈祷をしてきました。医師から脾臓の摘出手術を受けるように勧められ、どうしようかと牧師に相談したら、「手術を受けないように」と神の示しがあったので受けませんでした。

病状は一進一退で、入退院を繰り返し、試練を受けましたが、凡てイエス様の御意の中にあると信じてお祈りして来ました。その後、医師から「良い抗がん剤ができたから使いましょう」と話があったので待っていましたが、数が足りず自分には廻ってきませんでした。がっかりしていると、後で分ったのは、その抗がん剤は自分には合わないものだったのです。そして別の抗がん剤ができてそれを使って良い結果がでました。

同じ病気で一緒に入院した人たちの中で既に何人もの人が亡くなっているのです。姉妹は凡てイエス様に委ねて、力まず、主の憐れみを乞い祈って来ました。そして守られて、健康を次第に取り戻し、外出や買い物にも出れるようになり、教会にも来れるようになりました。また娘さんも姉妹を車に乗せてくるようになって、親子一緒に教会に集うようにもなりました。こう考えると神の恵みに感謝せざるを得ません。

この度病院でCT 検査の結果、リンパ腫がなくなり、脾臓も小さくなってきて、白血球や血小板の数値が上がっているという診断で、医師が「脾臓を取らなくて良かったですね」と言ってくれたとのことです。姉妹は病を通して、イエス様が身体を癒して下さるだけでなく、心の癒しも与えてくださるという得難い体験をしたと言います。元気になると共に伝道意欲も湧いて来て、色々な人にイエス様のことを証しています。

  今日の安息日礼拝に室蘭に住むN 姉妹が出席し、礼拝後にご先祖の身代り洗礼を受けました。姉妹が救われたのは9年前で、そのとき自分の洗礼後、母方の祖父母の身代り洗礼を受けました。

その後、父親が「うちの家系は良いことがない」とこぼしていたので、父方の先祖の身代り洗礼を受けようと思い、2年前に亡くなった祖母や曾祖父母、叔母方のために身代り洗礼を受けました。するとそれ以来、不思議に父の口癖だった「うちの家系は・・・」という愚痴が出なくなったと言います。

今度気づいたのは、母方の人たちが「どうしてうちの家系はこうなんだろう」と言っていることでした。確かに母親の家系には寝たきりの人が何人もいたり、破産や離婚などした人がいます。そこで前に身代り洗礼を受けた祖父母以外の母方の先祖のために身代わり洗礼を受けるなら、そういうことは無くなるだろうと思い、母親に話をして、先祖の名前と続柄を聞いて紙に書き、教会に持って来て、今日の身代り洗礼になりました。

今生きている親戚の人たちに伝道するのは勿論のことですが、亡くなった先祖の救いのためには身代り洗礼が備えられており、コリント前書10:29に「死人の為にバプテスマを受ける者」と記されていることですから、聖書に従ってこれを行えば亡き霊魂は黄泉から天に移され、代わって受けた信者も祝福され、主は聖言に伴うところの徴をもて、証を与えてくださいます。聖書の真理は、上から光が来て断行しなければ啓示されないものです。

● テモテ前書6:3~19

6 されど足ることを知りて敬虔を守る者は、大なる利益を得るなり。 7 我らは何をも携へて世に来らず、また何をも携へて世を去ること能はざればなり。 8 ただ衣食あらば足れリとせん。 9 されど富まんと欲する者は、誘惑と羂(わな)また人を滅亡と沈淪(ちんりん)とに溺す愚かにして害ある各様の欲に陥るなり。10 それ金を愛するは諸般の悪しき事の根なり、或る人々これを慕ひて信仰より迷ひ、さまざまの痛をもて自ら己を刺しとほせり。

11 神の人よ、なんぢらは此等のことを避けて、義と敬虔と信仰と愛と忍耐とを追い求め、12 信仰の善き戦闘をたたかへ、永遠の生命をとらへよ。汝これが為に召しを蒙り、また多くの證人の前にて善き言明をなせり。

17 汝この世の富める者に命ぜよ。高ぶりたる思ひをもたず、定めなき富を恃まずして、唯われらを楽ませんとて萬の物を豊に賜ふ神に依頼み、18 善をおこなひ、善き業に富み、惜しみなく施し、分け与ふることを喜び、19 斯くて己のために善き基を蓄へ、未来の備をなして真の生命を捉ふることを為せと。

”一年を裸で暮らすいい男”  言わずと知れた ”お相撲さん” を詠んだ川柳である。(昔は、"一年を十日で暮らすいい男" と言ったそうだ。)

日本の国技と言われ、老若男女を問わずフンが多い。その大相撲の人気がこの所陰っている。一頃のような一世を風靡した名力士は影を潜め、強いのは外人ばかりで、日本人で強い力士はなかなか出てこない。これが国技なのかと訝る声さえもある。

その大相撲の世界にまた嵐が吹き荒れた。一部の力士や親方が野球賭博に手を染めていたというニュースが流れ社会問題になった。一生懸命稽古に励む真面目な力士たちにとっては迷惑千万なことに違いない。膿を出し切って少年達も憧れる相撲社会になってもらいたいものである。

そもそもお金とは、物々交換時代ならいざ知らず、現代社会に於いては必要欠くべからざるものである。衣食住凡てがこれに関っている。何処へ行くにも、何をするにも必要なものである。それ故にお金が欲しいという誘惑が常に人に付き纏っている。

「おおよそ肉の欲・目の欲・所有の誇などは、御父より出づるにあらず、世より出づるなり ヨハネⅠ2:16 

とあるように、果てしない欲望は、悪魔からのものである。これに引き込まれたら、まるで蟻地獄に落ち込んだも同然となる。

アダムとエバは禁断の樹の実を食べて、神に対して罪を犯した。ダビデもウリヤの妻バテシバを見初め、彼女欲しさにウリヤを殺害した。イスカリオテのユダは銀貨30枚をもって主イエスを祭司長に売った。アナニアとサッピラの夫婦はお金惜しさと名誉心に駆られ、主の御霊を試みて打たれ、倒れて息絶えた。どれもこれも皆、サタンの誘惑に負けた結果である。

我らクリスチャンにとって、凡てのお金や富は神様が与えてくださるという意識と信仰を持つことが大切だと思う。必要に応じて神が与えてくださると信じ、求めて祈り、与えられたら感謝すればよいのである。

「オメルをもてこれを量るに 多く斂(あつ)めし者にも余るところなく 少なく斂めし者にも足らぬところ無かりき」 出エジプト記16:18

● ペテロ前書5:8,9

8 慎みて目を覚ましをれ、汝らの仇なる悪魔、ほゆる獅子のごとく歴廻(へめぐ)て呑むべきものを尋ぬ。 なんぢら信仰を堅うして彼を禦(ふせ)げ。

● エペソ4:27

悪魔に機会を得さすな

● ヤコブ書4:7

この故に汝ら神に服へ、悪魔に立ち向かえ、さらば彼なんぢらを逃げさらん。

聖餐式

●コリント前書5:6~8   同10:16,17   同11:23~26

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 今日は富山県出身のA 兄弟が救われました。転勤で札幌に来たばかりの方です。教会に導いたS 姉妹が、話をしてみるととても素直な方なので、ぜひ救われてくださいと勧めたら「はい」と返事をして、車で教会に来られたのです。福音を伝えてお祈りしたら直ぐに聖霊を受け、イエス・キリストの御名による洗礼と洗足を受け、とても喜んでいました。

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