道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2010年08月

● マタイ傳8:5~13

  イエス言ひ給ふ 『 われ往きて醫(いや)さん 』

6 一人の百卒長がイエスに近づいて来て懇願し 「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」 と言った。

7 そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」 と言われた。

三大病といえば、心臓病、癌、脳卒中が挙げられる。

この百卒長の僕は、その一つである脳卒中で倒れ、半身不随になり、苦しんでいた。 中風患者の中には、異常な頭痛に悩まされる人もいるという。

身近に病気で苦しむ者を抱えているのは、本人も辛いが、周りの者も辛い。

今日教会では、牧師が病める方々の為に神癒祈祷をしている。

礼拝の後に、何人かの信者方が前に出て、病の癒されんためにお祈りをする。

病が重い場合は自宅に行ったり、入院している病人には病室を訪ねたりしてお祈りをする。

いずれも、ヤコブ書5:14,15の御言葉により、牧師は、病気の人に対し、

主イエス・キリストの名により、オリーブ油を塗って祈る。 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主はその人を起き上がらせてくださる。 そして罪を犯していれば、それも赦してくださる。

牧師が病を癒すのではない。 あくまでも主イエス御自身が癒すのである。

病を医す賜物を頂いている器もいる。この賜物も主が御霊によって与えてくださるものである。(コリント前書14:9, 28)

主イエス・キリストは百卒長の求めに対し、

「わたしが行って、いやしてあげよう」

と言われた。

100パーセント医しの確信のある人でなければ言えない言葉だ。

正しく、主イエスは神だからこそ言えた言葉だと思う。

私たちの主は、何事も100パーセントできるお方だ。

愛の心においても、憐れみの心においても100パーセントお持ちのお方だ。

百卒長は、「私の下に兵隊がおり、私の命ずるままに従います。そのように、主が一言おっしゃて下さるなら、私の僕はいやされます」 と言った。

主イエスは、その信仰に感心し、「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」 と言われた。 ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた、と記されている。

    イエス言ひ給ふ 『われ往きて醫さん』

本日の引用聖句:

● マタイ傳8:17

かれは自ら我らの疾患(わづらひ)をうけ、我らの病を負ふ

列王紀略下20章

ー ヒゼキヤ王の病と癒し ー

聖餐式

● イザヤ書53章 全章

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 フランス教会の信者で、チェコで人形劇作家として活躍中の沢則行兄弟が、札幌市教育文化会館で3年がかりの 「 sapporo×sawa フィギュア・アート・シアター 役者養成講座 」 の講師として2年目のワークショップを開いており、只今在札中です。 今日の安息日礼拝に集ってくださり、昨夜は人形劇のスタッフの方を救いに導いてくださいました。 いつも 「水と霊」 に篤い心を持って行動しておられます。

9月17,18日には、札幌市円山動物園の動物科学館で宮沢賢治原作 「注文の多い料理店」 の人形劇を演出されます。 11月にも札幌でロシアの物語を題材にした人形劇演することになっています。 

奥様の香織姉妹も夏休みで札幌に帰省中は、娘さん共々安息日礼拝に集って下さいました。 

フランス教会の村上先生ご夫妻に感謝致します。 ハレルヤ !

 今週は、床暖房のボイラー交換工事が行われました。二つのボイラーで2階と3階が別々に配管されました。会社の社長と従業員合わせて3人が水と霊の救いに与りました。

また IT 機器関係の兄弟も救われ、感謝です。

                 Photo   教会の近くで

義哉師

● コリント後書5:17

人もしキリストに在らば新に造られたる者なり、古きは既に過去り、視よ新しくなりたり

証 今週も救いの御業が為されました。月曜日はリストラにあったという男性が教会を訪ねて来ました。ネット・カフェを宿にして、でも追い出されて・・・、ハローワークにも行ったし、役所も訪ねた。でも・・・。ネットで探した日高の牧場が使ってくれるというので、これから行くのです・・・。でも、でも・・・。 こんな時、皆さんどうするのかなー? ~~~ 

とにかく、イエス之御霊教会だったら、まず 「水と霊」 ですね。 世々の経綸を図に描いて説明し、イエス様の救いを語り、聖霊待望会をし、受霊の徴に異言を語るのを確認し、次いで洗礼の話をし、洗礼着に着替えて一緒に水に入り、主イエス・キリストの御名によってバプテスマを施し、更に盥に水を入れて、同じく主イエス・キリストの御名によって洗足式をし、頌栄・祝祷を以って終る。(身代り洗礼をすることもありますね)。何よりも救いが大切!

ただ、お金を上げたり、食事を上げたりなら、少し有る人なら誰でもできます。でももっと必要な物は、霊の祝福ですよね。これを上げない教会は本物とは言えません。

ところで、あの兄弟、日高の牧場で一生懸命働いているのかなー。

証 小樽港での伝道でロシア人が6人、教会に導かれて救われました。(男4人、女2人) 感謝 !

矢巻牧師

● 使徒行伝8章1~25

15 彼ら下りて人々の聖霊を受けんことを祈れり。16 これ主イエスの名によりてバプテスマを受けしのみにて、聖霊いまだ其の一人にだに降らざりしなり。17 爰(ここ)に二人のもの彼らの上に手を按きたれば、みな聖霊を受けたり。

ステパノの殉教と同時に、エルサレムに在る教会に対し迫害が起こった。使徒たちの他は皆ユダヤとサマリやの地方に散らされた。この迫害がなければ、福音が他の地方に広がるのは遅れたことであろう。凡ては神の御計画の中にあり、神は善きに為し給う。

その一人ピリポはサマリヤに導かれてキリストを宣べ伝えた。イエスの御名の能力により、悪霊は出て行き、中風の人も足の不自由な人も皆癒されて健やかになり、町中に大いなる歓喜が起こった。 今日もまた主イエスの御名によってこれと等しいことが有って然るべきである。

この町にシモンという魔術者がいて、人々が驚くような魔術を行い、「神の大能」と言われていた。しかしピリポが来て、神の国とイエス・キリストの御名とに就いて語るのを聞いて人々は此れを信じ、バプテスマを受けた。シモンもピリポの語る福音を聞き、バプテスマを受けた。魔術とはサタン来のものである。神より出た真のものには比べるべくもない。魔術者シモンもピリポの行う神の業を見て舌を巻いたのである。

ピリポの役は、イエス・キリストを宣伝え、その名によって水のバプテスマを施すことであった。もう一つの聖霊のバプテスマについては、まだ為されていなかった。

エルサレムにいた使徒たちは、サマリヤ人たちが神の御言を受けたと聞いてペテロをヨハネとを派遣した。二人はサマリヤに下って行き、人々が聖霊を受けるように祈った。それは人々が主イエスの名によってバプテスマを受けていたが、誰一人として聖霊を受けていなかったからである。 現代のキリスト教会において洗礼を受けたら自動的に聖霊を受けると唱える者もいるが、これは聖書的ではない。あくまでも聖霊は神に祈り求むべきものであって、二人が手を按いて祈ったとは、聖霊待望会をしたということである。

使徒たちが按手して御霊が与えられるのを見たシモンは、二人の前に金を持って来て 「わが手を按くすべての人の聖霊を受くるやうに此の権威を我にも与えよ」 と言っているが、それ程、聖霊を受けるという事は驚くべき事柄なのである。即ちシモンは聖霊を受けた人たちが異言を語り出すという事実を目の当たりに見、また聞いたからである。勿論彼の金をもって神の賜物を得ようとした誤った考えは使徒たちによって厳しく譴責され、シモンは悔い改めるのである。

ここの所から識るように聖書は、聖霊を受ければ洗礼、洗礼を受ければ聖霊と、車の両輪の如く 「水と霊」 が記されており、「水と霊」のバプテスマを受けることが、救いの根本であることが明らかに分ります。

聖餐式

● ルカ傳22:7~23

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枇杷の木 平成3年6月のこと、道央教会で初めて北海道大聖会が開催された。その時、関東地方の或る教会から沢山の枇杷(びわ)を頂いた。その教会の信者さんで枇杷を作っておられる方がいて、どこかの教会に捧げたいとお話があったそうである。そこで丁度北海道大聖会があるから、使って頂ければ良いだろうという牧師先生の申し出があって、お受けしたわけである。早速お昼の食事の時に食卓に乗せて皆さんに味わって頂いた。

その時の種を採って庭先に植えたら芽がでた。冬は寒くて雪が積もり越冬しないので、家の中で育てた。あれから19年経つのだが、背丈は2メートル位、幹の直径は2センチ強ほど。花が咲いたこともなければ、勿論実を付けたこともない。それでも植木鉢の中で青々した葉を広げて観葉植物の一つに収まっている。

今年は、思っても見ない猛暑日の連続。水の遣り過ぎか、葉の勢いがない.ひょっとして根腐れを起こしているのかと思い、植木鉢から取り出してみたら、案の定そうだった。

「土を替えてみなさい。助かるかもしれないよ」 行きつけの店でそう言われた。人であれ、植物であれ、ずっと元気でいて欲しいものだ。土を買って植え替えた。

義哉師

● マタイ傳6:33,34

33 まづ神の國と神の義とを求めよ、然らば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。 34 この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦労は一日にて足れリ。

 教会に出入りしていたオフィス機器会社の営業マンが退職し、代わりの方が挨拶に来られた。早速福音を伝え、水と霊のバプテスマを受けられた。

陽子師

● ヨブ記5:7~9,18,19

人の生まれもし我ならんには我はて艱難をうくるは火の子の上に飛ぶがごとし 8 必らず神に告求め 我事を神に任せん  神は大にして測りがたき事を行ひたまふ 其不思議なる事を為たまふこと数しれず

18 神は傷け又裹み撃ていため 又その手をもて善醫したまふ 19 彼はなんぢを六の艱難の中にて救ひたまふ 七のなかにても災禍なんぢにのぞまじ

 かねてよりお祈りを頂いておりました姉 国本師は、8月2日に高松の病院から兄 川口師が引き取り、岡山から空路札幌に搬送され、備えられた病院に入りました。以後当方で毎日病院に通って看ています。

病名は、「左視床出血による後遺症」 という事で、意識は30%だそうです。呼びかけには反応せず、表情に変化はありません。私たちの声が耳から届いているかどうか分りません。でも心に届き、霊に届いていると信じて語りかけています。

本人の意思でなく、神の導きで進んでいます。医師の話ですと何の苦痛も感じていないだろうとの事です。平安の中にいることでしょう。見ゆるところ今が最低の状態です。でも神の栄光の顕われんためにこうして置かれているのだと思います。

● イザヤ書48:9~11

 わが名のゆゑによりて我いかりを遅くせん わが頌美のゆゑにより我しのびてなんぢを絶滅すことをせじ 10 視よわれなんぢを練たり されど白銀の如くせずして艱難の爐をもてこゝろみたり 11 われ己のため我おのれの為にこれを成ん われ何でわが名をけがさしむべき 我わが栄光をほかの者にあたふることをせじ

矢巻牧師

● 詩篇45:3,4

 英雄(ますらお)よなんぢその剣その榮その威をこしに佩べし  なんぢ真理と柔和とたゞしきとのために威をたくましくし勝をえて乗りすゝめ なんじの右手なんぢに 畏るべきことををしへん

 札幌駅近くで透析医療を経営しているH兄姉、世界最高水準の機材と技術を取得して病める方々のために労しています。その実績が認められ、広域医療法人として、関東地方に道が開かれ、クリニック、福祉施設の新設、医療法人の買収など事業を展開中です。新規参入するには開拓精神が必要ですし、戦いも多くあります。何よりも先立ち給う主に導かれ、祝福されなければ実を結びません。今週はその聖別祭・感謝祭・祝福祭に招かれて行って参りました。現地の関係者が救われ、資金が充足され、事業が発展して行きますように祈ります。

雄雄しくあれ!!    勇ましくあれ!!

聖餐式

● コリント前書10:16,17    ● 同書11:23~26

          P1000259a  



●  ヘブル書11章より

 それ信仰は望むところを確信し、見ぬ物を眞實(まこと)とするなり。

 信仰なくしては神に悦ばるること能はず、そは神に來る者は、神の在すことと 神の己を求むる者に報い給ふこととを、必ず信ずべければなり。

信仰に就いて 「聖書は何と言えるか」 と問われるならば、この聖句をもって答えとしたいと思います。

私たちクリスチャンは、いつも見えざる世界に目を向けています。それは神の国です。真実はそこにあります。 見える現実の世界は虚構で満ち溢れています。その果ては滅亡であることを知らずに多くの世の人たちが歩んでいます。

見えないものの一つに先ず " 神 " がおられます。でも真のクリスチャンにとって、神は見える存在です。目をつぶってイエス様と呼びかければ、そこに神はおられます。ハレルヤと主を仰ぎ、御霊により異言を以って祈れば、即、神の臨在に触れます。

イエス様に抱いて頂いたという幼い女の子がいます。神様の声を聞いたという姉妹がいます。「幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん」 マタイ5-8 と神の恵みによって神の御国の幸を味わせていただけるのです。

そしてまた、祈れば必ず応えてくださる活ける神であることを私たちは知っています。

王かれに言けるは 后エステルなんぢ何をもとむるや なんぢの願意(ねがひ)は何なるや 國の半分(なかば)にいたるとも汝にあたふべし エステル書5:3

と約束し、また、

万軍のヱホバ宣ふ 是は権勢(いきおい)に由らず 能力(ちから)に由らず 我霊に由るなり ゼルバベルの前にあたれる大山よ 汝は何者ぞ汝は平地とならん ゼカリヤ書4:6,7

と励まし、人の力によらず、神の御霊の働きによって万事がなされることを知り、その栄光の現れを望んで歩むべきことを勧めています。

聖餐式

● コリント後書5:14,15

14 キリストの愛われらに迫れリ。我ら思ふに、一人すべての人に代りて死にたれば、凡ての人すでに死にたるなり。15 その凡ての人に代りて死に給ひしは、生ける人の最早おのれの為に生きず、己に代り死にて甦へり給ひし者のために生きん為なり。

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ハレルヤ ! !     暑中お見舞い申し上げます。今日はとにかく暑い一日でした。クーラーのある所以外はむっとする暑さ。北海道では一夏に何回かあるかないかの猛暑日でした。でも、兄弟姉妹方は暑さに負けることなく礼拝に集いました。 安息日礼拝の後、御相談あり、お祈りあり、洗礼式あり、喜霊祭あり、昼食は3時半過ぎになりました。それでもお腹が空かないのは不思議です。

御加祷の程を 四国の高松で病に仆れた親族のためには、ご心配、御加祷を頂き感謝申し上げます。8月初めに空路搬送し、札幌の病院に転院しました。なお主が癒しの御手を按いて下さるようお祈りをお願いします。

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