● 創世記32章より
10 我わが杖のみを持ちてこのヨルダンを濟(わた)りしが 今は二隊(ふたくみ)とも成にいたれり
神の祝福は大いなるものである。私達も出発点では殆ど何も持っていなかった。しかし年を経るほどに次第に与えられ、霊肉共に満ち足りた恵の中に置かれるようになった。これ一重に主の恩寵である。感謝を忘れてはならない。
28 其人いひけるは汝の名は重ねてヤコブととなふべからずイスラエルととなふべし 其は汝神と人とに力をあらそひて勝たればなりと
ヤコブは兄エサウと再会するに際して復讐されるのではないかと恐怖を感じた。家族や家畜をそして自分自身をどうやって守ろうかと手立てを尽くし、兄の怒りを和らがそうと贈物も整えた。更にただ一人になって神と向き合い必死になって祈った。その時のことを聖書は、
24 ヤコブ一人遺りしが 人ありて夜の明けるまで角力(ちからくらべ)す と記している。
彼は腿の関節を外された。彼の中に在る自負心や、力みなど凡そ人間的な物が木っ端微塵に打ち砕かれたのであろう。彼は虚しくされたが、唯一の望みは神が嘗てかれに約束された御言葉であった。-6節、12節ー
ヤコブはこの祈りに勝利し、神よりイスラエルという名を戴いた。イスラエルとは、「神の戦士」という意味である。
そしてヤコブは神より祝福を受け、無事に兄エサウとの再会を果した。
聖餐式
● コリント前書5:6~8 同書10:16,17 同書11:23~26
[E:note] 喜び称え 主の聖名ほめよ
十字架に死にて 甦りたり
初穂となりて 我らを救い
御国の民と 集めたまえり
-霊讃歌48番 2節-