道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2010年11月

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● ヨハネ伝9章

1 イエス途(みち)往くとき、生まれながらの盲人(めしひ)を見給ひたれば、2 弟子たち問ひて言ふ 『 ラビ、この人の盲目(めしひ)にて生まれしは、誰の罪によるぞ、己のか、親のか 』 イエス答へ給ふ 『 この人の罪にも親の罪にもあらず、ただ彼の上に神の業の顕れんためなり。・・・』

この世の中には、常人とは異なるハンデキャップを持った人が多くいる。そのことで本人が劣等感を抱いたり、いじめの対象になったりして、苦難の道を歩むことも多い。

一昔前までは 「かたわ者」 などという意地汚い言葉がこういう人たちに向けられていたが、今は差別用語として避けられるようになり、健常者に対し、心身の障害者と呼ばれるようになった。これは社会の良識であると思う。

ここで、主イエスと弟子たちが一人の盲人に出会う。彼は働くことができず道端に坐して物乞いをしていた。弟子たちはイエスに「誰の罪で生まれつきの盲人になったのか」と問うた。原因があっての結果だ、と思っての事だろう。

「因果応報」という言葉がある。仏教用語なのだそうだが、前世の悪行がたたり、宿命としてこうなったのだから諦めるより外ないと言うことだ。以前伝道に行った先の人が、目の前にいる猫を指して 「この猫は可哀相だ。きっと前世は悪い事をした人に違いない。だから今猫になって人から餌を貰って生きているのだ」と真顔で言ったのには驚いた。

イエス様はこう答えられた。「本人が罪を犯したからでも、親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人の上に現れるためである。・・・」と。

そしてイエス様は地に唾し、泥を作って彼の目に塗り、「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われた。エルサレムには、ほかにも池があった。しかしイエス様は「シロアムの池」と指定されたのである。それは、シロアムとは 『遣わされた者』 という意味であって、天の父から世の救い主として遣わされた主イエス・キリスト御自身を指しているからである。ゆえに人は皆、救われるために、シロアムなる主イエス様の許に行かなければならない。

彼は信仰をもって主の御言葉に従がい、杖を突き、手探りでシロアムの池へ行き、そして目を洗った。ああ何たる歓喜か! 彼は生まれて始めて光を見たのだ。

キリスト教には諦めはない。なぜか。神は生きておられるからだ。主イエス様は我らの罪の贖いのために十字架にかけられて死なれたが、聖書の預言に従い三日目に死人の中から甦り、天に昇られて、そこから聖霊を注いで我らの中に住んで下さるからだ。だから神は愛なのだ。生命なのだ。光なのだ。希望なのだ。

彼はイエス様を信じないパリサイ人から迫害を受ける。信ずれば除名するというのだ。しかし彼はこれらの人々に向って言った

『我はただ一つの事を知る。即ち我さきに盲目たりしが、今見ゆることを得たる是なり』

ー25節 と。

得たる確信の大きさよ。我らも彼のように大胆にイエス・キリストを証していこう。

聖餐式

● コリント前書10:16、17

17 パンは一つなれば、多くの我らも一體なり、皆ともに一つのパンに與るによる。

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観劇   イ オ ラ ン タ ーIolantaー 

S 兄弟のお招きを受けて、札幌教育文化会館で開かれたチャイコフスキー作曲:歌劇 『イオランタ』 のリハーサルを観る機会を得た。

このたびは、S 兄弟の演出により、オペラ歌手と室内楽団員と人形劇役者の三者が一体になった劇作りである。日本では珍しいが、外国では表現の一手法として用いられているそうである。

主人公 『イオランタ』 は盲目の姫である。父レネ王に愛されて幸せな日々を送り、自分が盲目であることに気付かない。美しい音楽を聴いて涙が流れる。『目とは涙を流すためにあるの?』 と、レオランタは訊く。

やがて、騎士ボデモンが姫の前に現れて花をささげるが、姫には花の色が見えない。盲目であると知ったボデモンは、イオランタに 『光は美しいもの。神の創れるもの』 と告げる。

医師ハキアの治療を受けることになったイオランタ・・・・・。

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★ 主は神の器を送ってくださり、御言葉を沢山頂きました。感謝です。

    「預言は教会の徳を建つ」 コリント前書14:4ー 

= 教会に集うことは大切なことです、個人の家でお祈りをしているからこれで良いという人がいます。でもそれは信仰生活の一部分です。教会は神の家であって礼拝する場所です。

また教会はキリストの体です。私達がこの地上にあってキリストに触れようとするならば、教会にくるより外に道はないのです。教会に来なければ損をします。というのは教会には特権が置かれているからです。その一つは主とのお交わりと、聖徒の交わりです。これをしていなければ天国に行った時にひとりぼっちで寂しい思いをしなければならないかも知れません・・・・。

また教会には人事百般の祝福というのがあります。これも教会に来なければ受けられません・・・・。

教会に来て救われる人は多いです。しかし教会に集って信仰生活をする人は少ないです。集う人の数は氷山の一角に過ぎません。でもこの僅かな信者の皆さんがイエス様にとって大切な人たちなのです・・・・。

聖書はこの僅かな信仰者たちを「遣れる者」と呼んでいます・・・・。

● イザヤ書1:9

萬軍のヱホバわれらに少しの遺(のこ)りをとどめ給ふことなくば我儕(われら)はソドムのごとく又ゴモラに同じかりしならん

● ロマ書11:3,4

われバアルに膝を屈めぬ者、7千人を我ために遣し置けり

● ゼパニヤ書3:12,13

われ柔和にして貧しき民をなんじの中にのこさん 彼らはヱホバの名に依頼むべし

● ゼカリヤ書8:11,12

葡萄の樹は果を結び 地は産物を出し 天は露を与へん 我この民の遣餘者(のこれるもの)にこれを盡(ことごと)く獲さすべし

聖餐式

● ルカ傳22:7ー23

● コリント前書11:23ー26

       Photo 大通公園

● マタイ傳14:13~21

18 イエス言ひ給ふ 『それを我に持ちきたれ』  19 斯くて群集に命じて、草の上に坐せしめ、五つのパンと二つの魚とを取り、天を仰ぎて祝し、パンを裂きて、弟子たちに與え給へば、弟子たち之を群集に與ふ。 20 凡ての人、食ひて飽く。

イエス様が為し給うた奇蹟の一つである。

イエス様の話を聞きに、病の癒しを求めて大群集がやって来た。夕方になり弟子たちは気を揉み、イエス様に「群集を去らせて、食物を買わせ給へ」と言った。しかしイエス様は「かれら往くに及ばず、汝ら之に食物を與へよ」と言われた。

ヨハネ傳6:5~14によれば、イエス様がピリポに「われら何処よりパンを買ひて、此の人々に食はすべきか」と言ひ給ふた。斯く言ひ給ふはピリポを試むるためにて、自ら為さんとする事を知り給ふなりとある。

そして、一人の童子が捧げたパン五つと肴二つを、イエス様が手に取って祝福して裂くと増えに増え、5千人以上の人々の空腹を満たした。神の業を見て味わった大群衆に驚きと喜びを与えたのである。

● ヨハネ傳6:47ー59,63

51 我は天より降りし活けるパンなり、人このパンを食はば永遠(とこしへ)に活くべし。我が與ふるパンは我肉なり、世の生命(いのち)のために之を與へん

53 イエス言い給ふ『まことに誠に、なんぢらに告ぐ、人の子の肉を食はず、その血を飲まずば、汝らに生命なし。54 わが肉をくらひ、我が血をのむ者は永遠の生命をもつ、われ終りの日にこれを甦へらすべし。55 (それ)わが肉は眞の食物、わが血は眞の飲物なり。』

主イエス様は、我らの罪の贖いのために、自ら身を棄て、十字架上に磔刑され、貴い血を流された。

神の独り子であるイエス・キリストが、我ら罪ある世界万民を救うために貴いお身体を裂かれたのである。そしてその肉体から流れ出でた御血によって、我らは罪赦されたのである。

彼はわれらの愆(とが)のために傷けられ われらの不義のために砕かれ みづから懲罰(こらしめ)をうけてわれらに平安をあたふ そのうたれし痍(きず)によりてわれらは癒されたり   -イザヤ書53:5-

とある如くである。

この 「わが肉を食ひ、我が血を飲む」 とは何か。具体的に言うならば、主の聖餐に与ることである。主イエス様の死を記念し、主の愛が如何に大きく広く深く豊なものであるかを、この身をもって味わい知ることである。これは精神的あるいは表面的な信仰の遠く及ばぬところである。

初代キリスト教会では、どのようにしていたのだろうか。 聖書を読むと、

● 使徒行伝2:41ー47 には、こう書かれてある。

42 彼らは使徒たちの教を受け、交際(まじわりをなし、パンを擘(さ)き祈祷をなすことを只管つとむ。・・・ 46 日々、心を一つにして弛みなく宮に居り、家にてパンをさき、歓喜と眞心とをもて食事をなし、47 神を讃美して、一般の民に悦ばる。斯くて主は救はるる者を日々かれらの中に加へ給へり。

初代教会の信者達が、家の教会に集り、使徒たちの教を受け、讃美と、祈祷と、パンを擘いて(聖餐に与ること)、主イエスの恵を喜び、感謝していた日常の姿を、ここに見るのである。

パンを擘くとは、食事のことではない。食事は食事として別に書かれてあることに刮目したい

今の世は聖餐式に対する意識が、初代教会時代に比べて希薄なのではなかろうか。初代教会時代は、眼前に起こったイエス様の死と復活を目の当たりにし、身も心も震わすほどに、救われた感謝と喜びが大きかったのだと思う。だから毎日のように集会を開いてパンを擘き、主に対する感謝の念を現したのだと思う。

今この末の時代に真の教会の復興した教会を標榜する我らは、愈々初代教会の聖徒があゆみし如くあらねばならない。

聖餐式

上記の聖言を拝読する

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★ 長万部(オシャマンベ)の大学に I 姉妹が就職したので、祝福を祈るため、7日の日曜聖会の後、ご両親の車で一緒に出かけました。秋晴れの天候に恵まれ、道央自動車道路沿いの紅葉を愛でつつ長万部に着きました。アパートと車の聖別祭をし、合わせて姉妹自身のお仕事のため感謝祭・祝福祭を行いました。翌日から3日続きの雨模様の天気になったので、神様が良い時を与えて下さったと感謝しています。

★ 救われている E 画伯から所属する会の展覧会の案内状を頂いたので、大通公園の近くのその名も大通美術館に観に行きました。白地に赤で大小の楕円状の輪を幾つも描いた抽象画です。(素晴らしい作品をお見せできないのが残念です)。一通り展示されている絵や彫刻や書や写真を全部見終えた上、E 画伯の姿もみえないので、帰ろうかなと思っていると、横から声をかける人がいます。みると いつ来られたのでしょうか、E 画伯ではありませんか。お会いできました。神様のお導きだなと思いました。

E画伯から、この度の展示作品の説明や、これから目指す作品作りの抱負など熱っぽくお話を聞かせて頂き、こちらからもイエス様の証を語り,霊の良きお交りが出来たことを、主に感謝しています。

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