1 ヱホバよなんぢは我をさぐり我をしりたまへり 2 なんぢはわが坐るをも立をもしり 又とほくよりわが念をわきまへたまふ 3 なんぢはわが歩むをもわが臥をもさぐりいだし わがもろもろの途をことごとく知たまへり 4 そはわが舌に一言ありとも 視よヱホバよなんぢことごとく知りたまふ 5 なんぢは前より後よりわれをかこみ わが上にその手をおき給へり 6 かかる知識はいとくすしくして我にすぐ また高くして及ぶことあたはず
私たちの神様、イエス様は何と偉大なな神様なのだろうかとこの聖言を読んで思う。
ナタナエルが無花果の樹の下に居るを見ていたイエス様(ヨハネ伝1:47~50)、ザアカイの名前を知っていたイエス様(ルカ伝19:1~10)、トマスの疑いの言葉を聞いていたイエス様(ヨハネ伝20:24~29) 主なる神、イエス様の前には何一つ隠れるものはない。
こういう神様によって救われた私たちである。何をくよくよする事があるだろうか。ああ信仰薄き者よとお言葉が返ってくる。イエス様を見上げて大きな気持ちを持って進もうではないか。
7 我いづこにゆきてなんぢの聖霊(みたま)をはなれんや われいづこに往きてなんぢの前をのがれんや・・・
ヨナは二ネべに行って罪を責めよという神の命に逆らってタルシシ行きの船に乗ったが、無事に行けたかというとそうではない。船は大嵐に遭い、彼は責任を取って海中に投げ出された。神のみ前に不従順では御旨を行うことができない。
彼は神が備えた大きな魚に飲まれて救われ、その腹の中で悔改めの祈りを神に捧げた。彼は浜辺に吐き出され、再び原点に立ち戻って二ネべに行くことにな\った。神は用いようと定めた者を用い給う。使徒パウロがそうであったように選びの器を主は興し給うのだ。
16 わが體(むくろ)いまだ全からざるになんぢの目ははやくより之をみ、日々かたちづくられしわが百體の一つだにあらざりし時にことごとくなんぢの冊(ふみ)にしるされたり 17 神よなんぢのもろもろの思念はわれに寶(たふと)きこといかばかりぞや そのみおもひの総計(すべくくり)はいかに多きかな・・・
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証
南アフリカ連邦の首都プレトリアから手紙がきた.ビロンバ・アサ二という兄弟からである。
彼は、1999年にタンザニアのニャルグス難民キャンプで愛媛教会の前田稔先生や同行の先生方に導かれ、イエス之御霊教会の伝道により水と霊の救いを受け、その後、根本教義や世々の経綸、聖書神学を学んで教会の奉仕者となり、以来伝道に励んでいるという。
今は、南アフリカに住んでいて、家々を回り、喜んで迎え入れてくれる人たちに救いを伝え、安息日礼拝に伝道した人たちを導いてクリスチャンにしているのだと書かれてある。ついては霊讃歌や聖書の支援をしてくれまいかという内容だった。
では、なぜこの手紙が私たちの教会に送られてきたのか。
2007年11月に、前田稔先生方の第7回マラウイ伝道があって、道央教会から義哉師が同行した。その時は南アフリカのヨハネスブルグ経由でマラウイへ行ったのだが、乗り継ぎに待ち時間があったので、皆でこの兄弟に会うために尋ねて行った。本人は不在だったが、家族に会うことができ、福音を伝え救いがなされた。その時持ち合わせていた伝道文書を手渡したのだが、それを見てこのたび道央教会宛に手紙を送ってきたのだと推測する。
汝の糧食を水の上に投げよ 多くの日の後に汝ふたたび之を得ん -伝道11:1-
とは、こういうことだろうか。
支援をと言っても、アフリカの言語の霊讃歌も聖書も私たちは持ち合わせていない。
それよりも大切なことは何かと言うに、イエス之御霊教会は、それぞれ自給自足の教会である。空の鳥を見よと仰せになったイエス様の聖言に從い、人に頼らず神のみを見上げ、祈りの中に必要が満たされる体験をしていく教会である。アフリカの人たちもヨーロッパ伝来の物質主義に馴らされた教会であってはならない。真の教会とは霊なる教会であって、イエス之御霊教会とは、その名の如く御霊の教会であり、霊のものを与えていく教会なのだ。
ペテロ言ふ 『 金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め 』 ー使徒行伝3:6ー
兎にも角にも、これは証だ。御霊の実が結んでいると考えるべきだ。主が更に働き、御霊の実の繁からん事を願って、この兄弟から手紙が来た事をアフリカ伝道の使命のために心血を注いでおられる前田先生御夫妻にお伝えした。少しでも福音の前進の為に役立つと幸いである。
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聖餐式
● へブル書9:11~22