道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2011年05月

       P1010035_a  千葉にて   

斯くのごとく御霊も我らの弱きを助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御霊みづから言ひ難き歎きをもて執成し給ふ。御霊は神の御意に適ひて聖徒のために執成し給へばなり。  ーロマ書8:26,27-

人は皆肉なる者であって、弱きものである。だがこの身の中に主は御霊を与えて、神の子として下さり、アバ父と呼ぶ身としてくださった。我らは僕たる霊を受けたのではなく、子とせられたる者の霊を受けたのである。イエス様が共にいて下さるのである。この御霊に導かれていくのが、我ら真のキリスト者である。

そして、我らの思いも考えも現状も全てお分かりの内住の御霊が我らの為に立ち上り、「この人の祈りはこうですよ。願いはこうですよ。ぜひ聴きあげて下さい」と祈ってくださるのである。この祈りが異言の祈りなのである。

然らば如何にすべきか、我ら霊をもて祈り、また心をもて祈らん。我らは霊をもて謳ひ、また心をもて謳はん     ーコリント前書14:15ー

聖餐式

へブル書9:11~22

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わが恩恵なんぢに足れり、わが能力は弱きうちに全うせらるればなり

                     -コリント後書12:9-

使徒パウロは身に病を持っていたようである。ガラテヤ書4:14でこう言っている。

わが肉体に汝らの試練となる者ありたれど・・・ と。

誰でも病は嫌なものだ。ましてや、伝道者のパウロは、主イエスの御名によって信者方の病の為に神癒祈祷をする立場にある。「どんな病でもイエス様が癒してくださいますよ」と人に語って祈る器でもある。それな自分が病弱であるとは・・・である。

だから彼は主に向かい、三度までも之を取り去り給えと祈った。しかし主の答えは、上述の如くであった。

彼はいみじくも言う。

彼は第三の天まで取り去られて、文字通り神の国を見た人である。他の人には知り得なかった神の国の奥深さを味わった人である。故に、この病は彼が高慢にならないために神が彼を撃つべく許したサタンの使いであるのだと。

我らは、恵みに恵みを加え給えと祈る祈りが多いと思う。だが全てを定めるのは神による事を知らねばならぬ。パウロは秘訣を悟った。

キリストの能力の我を庇はんために、寧ろ大いに喜びて我が微弱を誇らん。この故に我はキリストの為に微弱・恥辱・艱難・迫害・苦難に遭ふことを喜ぶ、そは我よわき時に強ければなり。  -同章9,10節ー

聖餐式

コリント前書10:16,17    同11:23~26

この後、われ四人の御使の地の四隅に立つを見たり、彼らは地の四方の風を引止めて、地にも海にも諸種(もろもろ)の樹にも風を吹かせざりき。また一人の御使の、いける神の印を持ちて日の出づる方より登るを見たり、かれ地と海とを害ふ権を與へられたる四人の御使にむかひ、大聲に呼はりて言ふ 『われらが我らの神の僕の額に印するまでは、地をも海をも樹をも害ふな』  -ヨハネ黙示録7:1~3-

末の世に至りて、主は一人の人村井じゅん先生を選び、聖霊をその上に注ぎ、豊に異言をもて神を崇めしめ、また主イエス・キリストの御名に由るバプテスマを授けて救いを全うしてくださった。

而してその許に多くの選びの器を導き、群となし、イエス之御霊教会教団となった。

その宣伝うる所は、「水と霊との全き福音」であり、御霊の印を神の僕の額に印するために全世界に遣わされる者である。

 

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