証 今週は、葬儀が教会で行われた。
故人は、少年時代に鳥取県のキリスト教会に熱心に通っていた人だった。
中学校を終えるとすぐ東京に出て板前の仕事に就き、その後札幌に移ったのだが、自分の意志に副わない方向に流れて行ったという。
結婚し、妻と娘が教会に通いはじめたが、自分は神に対して相応しくない人間だと思い、行くことはなかった。
年をとり病に罹り、明日をも知れぬ身となったとき、少年時代の自分を思いだし、家族に語った最後の願いは一つ、教会で自分の葬儀をして欲しいということだった。
そして臨終の時を迎えた。
娘さんから、今は自分も母もどこの教会にも行っていないのだが、そちらの教会で父の望みを叶えて葬儀をしてもらえぬものかと電話で問い合わせが来た。
急なことであったが、イエス様の導きを感じて、救われることを条件にお引き受けした。
早速、娘さんのご家族全員が教会に来られた。
水と霊との全き福音をお伝えし、主の前に祈って聖霊を戴き、イエス・キリストの御名による洗礼と洗足を受けて、救いが全うされた。
そして、故人の身代わり洗礼が行われた。
教会に出入りの葬儀屋さんが来て、準備万端整った。
主は、故人と家族のために聖言を与えて下さった。
今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし ールカ伝23:43ー
ささやかに行われた家族と親族のみの葬儀。だが主の恵みと慈しみの豊かなるを覚えた葬儀であった。
終り良ければ全て良しである。これより先の信仰生活に神の祝福あれと祈るものである。
ハレルヤ!
● ロマ書6:3~5