道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2011年08月

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 今週は、葬儀が教会で行われた。

故人は、少年時代に鳥取県のキリスト教会に熱心に通っていた人だった。

中学校を終えるとすぐ東京に出て板前の仕事に就き、その後札幌に移ったのだが、自分の意志に副わない方向に流れて行ったという。

結婚し、妻と娘が教会に通いはじめたが、自分は神に対して相応しくない人間だと思い、行くことはなかった。

年をとり病に罹り、明日をも知れぬ身となったとき、少年時代の自分を思いだし、家族に語った最後の願いは一つ、教会で自分の葬儀をして欲しいということだった。

そして臨終の時を迎えた。

娘さんから、今は自分も母もどこの教会にも行っていないのだが、そちらの教会で父の望みを叶えて葬儀をしてもらえぬものかと電話で問い合わせが来た。

急なことであったが、イエス様の導きを感じて、救われることを条件にお引き受けした。

早速、娘さんのご家族全員が教会に来られた。

水と霊との全き福音をお伝えし、主の前に祈って聖霊を戴き、イエス・キリストの御名による洗礼と洗足を受けて、救いが全うされた。

そして、故人の身代わり洗礼が行われた。

教会に出入りの葬儀屋さんが来て、準備万端整った。

主は、故人と家族のために聖言を与えて下さった。

   今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし  ールカ伝23:43ー

ささやかに行われた家族と親族のみの葬儀。だが主の恵みと慈しみの豊かなるを覚えた葬儀であった。

終り良ければ全て良しである。これより先の信仰生活に神の祝福あれと祈るものである。

ハレルヤ!

● ロマ書6:3~5

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汝その業に巧みなる人を見るか 斯る人は王の前に立ん かならず賤者(いやしきもの)の前にたゝじ            -箴言22:29-

一芸を極めた人は、万人これを認めて高き所に置かれる。 

好きこそ物の上手なれと言うが、どれほど多く時間をかけて学び、研鑽を積んだことか。 天性の才能は、磨けば光る珠のようだ。

更に、これが神に御用に役立てばどれ程幸なことであろうか。

モーセの時代にベザエルと、アホリアブいう人がいた。共に優れた芸術家だった。神がモーセに命じて集会の幕屋を造られるに際し、この二人が用いられた。

エホバ、モーセに告て言ひたまひけるは 我ユダの支派(わかれ)ホルの子なるウリの子ベザエルを名指て召し 神の霊をこれに充たして智慧と了知と知識と諸々の類の工に長しめ 奇巧みを尽して金銀及び銅の作をなすことを得せしめ 玉を切り嵌め 木に彫刻みて 諸の類の工をなすことを得せしむ

視よ 我またダンの支派のアヒサマクの子アホリアブを与えて彼とともならしむ 凡て心に智ある者に我智慧を授け 彼等をして我が汝に命ずるところの事を尽くなさしむべし  -出エジプト31:1~11-

と。

また、時が変わってソロモンの時代になり、エルサレムに神殿を建てた時には、こう記されている

爰に ソロモン人を遣わしてヒラムをツロより召び来れり 彼はナフタリの支派なる嫠婦(やもめ)の子にして 其の父はツロの人にて銅(あかがね)の細工人なり ヒラムは銅の諸々の細工を為すの智慧と慧悟(さとり)と知識の充ちたる者なりしが ソロモン王の所に來りて其諸(すべて)の細工を為り  -列王紀略上7:13、14-

これらの人たちは、日頃切磋琢磨して得た技能が神に嘉せられ、更に聖別されて貴い御用のために用いられたのである。

我らも、主より与えられた賜物に順ってお役に立ちたく願うものである。

されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲によりて汝らに勧む、己が身を神の悦びたまふ潔き活ける供物として献げよ、これ霊の祭りなり。 又この世に效ふな、神の御意の善にして悦ぶべく、かつ全きことを弁へ知らんために心を更へて新にせよ。         -ロマ書12:1,2-

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 フランス教会で救われた江川博画伯(札幌在住)から個展の案内状を頂いたので、初日の8月15日に会場の札幌時計台ギャラリーに観に参りました。

御夫妻とも会場におられ、参観者の方たちが次々来られて盛況でした。

江川兄弟は、昨年突然病で倒れました。ちょうど娘婿の澤兄弟が人形劇の仕事でチコから北海道に来ており、電話で「お祈りしてください」と急報を受けたので、病院に駆けつけて神癒祈祷をしました。

幸い病気の程度が軽く、主の癒しの御業がなされて全快し、再び画筆を執るようになりました。

今年は、2月に東京銀座のみゆき画廊で個展を開き、この度は札幌で、次週は夕張で・・・と続きます。

江川兄弟の画風は、抽象画です。主に朱色を基調にして黒色で線を描く作品が多いのです。

ここ数年は「地と図」というテーマで描かれていましたが、病気を克服してからは「無限 ooとテーマが変わりました。心意気を感じます。

札幌市が地下鉄東西線「大通~バスセンター前」間の地下通路にギャラリーを作る構想が決まり、出品する三十人の作家の一人に選ばれたと聞きました。キャンバスを張って準備開始とのこと、活躍の場が更に開けることを幸いに思い、祝福を祈ります。 ハレルヤ!

         

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● ルカ伝16:19~31   ● ペテロ前書3:18~22  ● ヨハネ黙示録7:9~17

     P1010300a_edited サイクリングロード

汝らは使徒と預言者との基の上に建てられたる者にして、キリスト・イエス自らその隅の首石(おやいし)たり。 おのおのの建物、かれに在りて建て合せられ、弥増に聖なる宮、主のうちに成るなり。汝等もキリストに在りて共に建てられ、御霊によりて神の御住ひとなるなり。  -エペソ書2:20~22-

我らは神の賜ひたる恩恵に随ひて熟練なる建築師のごとく基を据えたり、而して他の人その上に建つるなり。然れど如何にして建つべきか、おのおの心して為すべし、既に置きたる基のほかは誰も据うること能はず、この基は即ちイエス・キリストなり。人もし此の基の上に金・銀・宝石・木・草・藁をもって建てなば、各人の工は顕るべし。・・・・・汝ら知らずや、汝らは神の宮にして神の御霊なんぢらなの中に住み給ふを。  -コリント前書3:10~17-

イエス之御霊教会の信仰は、水と霊とに由る救いに立脚している。これなくしては何も語れない。

この世の教会は、十字架までで止まっている。その先が無い。どうして、それで満足できるのだろう。

幾ら愛だ、信仰だ、希望だと叫んでみても、先ず水と霊とをもって救われていなければ、中途半端なものに過ぎず、神の御前では如何ほどの価値もない。

神の御意は、凡ての人が御霊を受け、その導きに從って御霊の善き実を結ぶことであり、それによって神の栄光が顕される。

使徒パウロは、各地に伝道し、福音を語り、基を据えて行った。即ち、イエス・キリストの死と甦りに就いて語り、「汝等信者となりし時、聖霊を受けしか」と問い、水と霊とのバプテスマを授けて、その救いを堅うしていったのである。

救われた者は、各人自己責任でしっかりと主に従って歩むように勧めたのである。

我らは、金・銀・宝石に比する信仰を持つべきである。木・草・藁の如きものであってはならない。 やがて主イエス・キリストは御再臨し給う。その日に価値ある者として御前に立ち得る者でありたい。

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エホバはシオンを擇(えら)びておのが居所(すみか)にせんとのぞみたまへり  曰くこれは永遠にわが安居處(やすみどころ)なり われここに住まん そはわれ之をのぞみたればなり  -詩篇132:13,14-

 今年は、牧師の父矢巻榮藏兄弟が、土地・家屋を求めてこの地に導かれて50年目に当たる。

そしてそれが献げられて、教会が建った。それから早30年、主の祝福の年でもある。

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聖餐式  出エジプト記24:9から11

     P1010292 がくあじさい

わが傳えたる福音は、人に由れるものにあらず。我は人より之を受けず、また教えられず、唯イエス・キリストの黙示に由れるなり。  -ガラテヤ書1:11,12-

ガラテヤ教会は、パウロの伝道によって始まった異邦人の教会である。 

彼が伝えたのは、主イエス・キリストから直接黙示に由って示された真の福音であって、イエス・キリストを信じ、約束の御霊を受ければ救われるというものであった。

ところが、彼がガラテヤを去ったあとにユダヤ人がやってきて、モーセの律法を守り割礼を受けなければならないと異なる教えを伝えた。

これを知ったパウロは、ガラテヤの教会に手紙を送り、それは真の福音に背いた教えであり、ガラテヤ人を誑かした者たちは詛わるべき者だと告げた。

彼は言う。

愚かなる哉、ガラテヤ人よ、十字架につけられ給ひしままなるイエス・キリスト、汝らの眼前に顕されたるに、誰が汝らを誑かししぞ。我は汝等より唯この事を聞かんと欲す。汝らが御霊を受けしは律法の行為に由るか、聴きて信じたるに由るか。汝らは斯くも愚かなるか、御霊によりて始りしに、今肉によりて全うせらるるか。  ー3:1~3ー と、

彼は更に、アブラハムの如く、義人は信仰に由りて活くべきことを告げ、

これアブラハムの受けたる祝福のイエス・キリストによりて異邦人におよび、且われらが信仰に由りて約束の御霊を受けん爲なり。  -3:14-

と記し、

凡そバプテスマに由りてキリストに合いし汝らは、キリストを衣たるなり  -3:14-

と言いて、水と霊とのバプテスマを受けることこそ、全き福音なのだと、原点に立ち返るよう教えた。

そして更に、我らの信仰の歩みは、肉に由るものでなくして、御霊の導きに由って歩み、御霊の実を多く結ぶべきであると教えた。  -5:16~26参照-

パウロは、

それ割礼を受くるも受けぬも、共に数うるに足らず、ただ貴きは新に造らるる事なり。  -6:15-

と言って、この書を終えている。

翻って、世の教会を見よ! 歩み歩みと言っているが、御霊なくして何の歩みか。己の義を誇って何の益になるか。それでは偽善者ではないか。人を躓かせ、イエス・キリストから離れしむるのものは、真の福音と言い難い。

キリストの御霊なき者はキリストに属する者にあらず  -ロマ書8:9-

なんぢら信者となりしとき聖霊を受けしか  -使徒行伝19:3-

と聖書は言う。

されば、聖書通りに、主イエス・キリストの御名による水のバプテスマと、異言の徴の伴う聖霊のバプテスマを受けて、真の救いに与れよ。

聖餐式  ロマ書5:8~11

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● 8月に入って、漸く夏本番がやってきた。 札幌は、昨日30.4度、今日31.9度。 暫くは暑さが続きそう[E:sun]

たが、本州・四国・九州・沖縄の猛暑には比ぶべくもない。 こう言ってはなんだが、冬の長い北海道民にとっては、やはり夏は暑いのが嬉しい

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