道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2011年10月

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學者の一人、かれらの論じをるを聞き、イエスの善く答へ給へるを知り、進み出でて問ふ 『すべての誡命(いましめ)のうち、何か第一なる』 イエス答へたまふ 『第一は是なり 「イスラエルよ聴け、主なる我らの神は唯一の主なり。なんぢ心を盡し、精神を盡し、思ひを盡し、力を盡して、主なる汝の神を愛すべし」 第二は 是なり 「おのれの如く汝の隣を愛すべし」 此の二つより大なる誡命はなし』 學者いふ 『善きかな師よ 「神は唯一にして他に神なし」 と言ひ給へるは眞なり。 「こころを盡し、智慧を盡し、力を盡して神を愛し、また己のごとく隣を愛する」は、もろもろの燔祭および犠牲に勝るなり 』 イエスその聡く答へしを見て言いひ給ふ、なんぢ神の國に遠からず』      -マルコ傳12:28~34-

主イエス・キリストと学者の一人との対話である。学者は凡ての誡命のうち、どの誡命が一番大切かと問うた。当時の聖書学者の多くは、誡命と言えばモーセの十誡を思い浮かべ、その中からどれが一番かという回答を求めたことだろう。 出エジプト記20:3~17、および申命記5:7~21参照-

然しイエス・キリストを答えは違っていた。第一の誡命は申命記6:4,5であり、第二の誡命はレビ記19:18下半句であった。

主が言い給うた第一の誡命には、十誡の第1条から第4条までの神に関わることが包含されており、第二の誡命には,十誡の第5条から第10条の人に関わることが包含されている。

しかも、モーセの十誡は、それぞれ「・・・すべからず」という語で終結されているのに対して、主イエスが挙げられた聖言は、「・・・愛すべし」という語で終えている。前者は律法の持つ厳しさを表しているのに対し、後者はキリストの積極的な愛と寛容を示している。ここに旧約と新約の違いを見ることができる。

ヨハネ第一書4:7~21で使徒ヨハネは、神の人に対する愛を説いた。即ち主イエス・キリストが我らの罪のために宥めの供え物となり、我らに御霊を与えて神に居る者にして下さったこと。我らが神を愛し、また人を愛するのは、神が先ず我らを愛してくださったからだと教えた。

主イエス・キリストは新しい誡命として ” ” を教えて下さった。

われ新しき誡命を汝らに與ふ、なんぢら相愛すべし。わが汝らを愛せしごとく、汝らも相愛すべし。互に相愛する事をせば、之によりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん         -ヨハネ傳13:34,35-

わが誡命は是なり、わが汝らを愛せしごとく互に相愛せよ。人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。   ヨハネ傳15:12,13-

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ねがはくは神われらをあはれみ われらをさきはひて その聖顔をわれらのうへに照したまはんことを 此はなんぢの途のあまねく地にしられ なんぢのもろもろの國のうちに知られんがためなり・・・    -詩篇67篇-

全世界を巡りて凡てのひ造られしものに福音を宣傳へよ    -マルコ傳16:15-

世界伝道のために祈ろう!

主言いひ給ふ 『 往け、この人は異邦人・王たち・イスラエルの子孫のまへに我が名を持ちゆく我が選びの器なり・・・ 』   -使徒行伝9:14-

キリスト教会を迫害したサウロは、ダマスコへの途上イエス・キリストに逢い、回心するに至る。

聖霊を受けるやいなや、彼は180度転換して熱心にイエス・キリストを宣伝へる者となった。 

サウロまたの名パウロ(小さい者の意)は、上からの能力を着せられて世界へ向かって主を證して行く。

我らもまた臆することなく、福音宣教の使命に燃えて進もう!

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兄弟よ、われ汝らが自己を聡しとする事なからん為に、この奥義を知らざるを欲せず、即ち幾許のイスラエルの鈍くなれるは、異邦人の入り來りて数満つるに及ぶ時までなり。斯くしてイスラエルは悉く救はれん。  -ロマ書11:25,26-

主イエス・キリストを排斥して十字架に付けたイスラエル人は、神によって捨てられ、四方の世界に散らされた。 今は、聖書の預言に從って、先祖アブラハムの地へと帰りつつある。然し、神との関係が回復したのではない。

彼らが、主イエスを捨てたが故に、神は彼らに代わって異邦人を救いに入れ、神の嗣業を継ぐ者とされた。今日我らが主に在る如くである。

主イエス・キリストが切に願っておられることは、異邦人が速やかに救われることである。 それを行う責務は信ずる我らに懸かっている。

大切なことは、異邦人の救いは人数か決まっているということだ。その数が満ちれば、イエス・キリストは再臨される。 そして、その時イスラエル人は、イエスこそキリストなることを知り、主イエスを信じて悉く救われるのだ。

同時に、今世界を覆う諸々の悩みも、苦しみも、争いも、戦いも、悉く主イエスの御力によって取り除かれ、千年王国が出現し、真の平和と安きが訪れるのだ。

この奥義を知らずして、平和運動だの、慈善運動だのをしても、一時しのぎの徒労に過ぎない。

我らは、これを知る故に、異邦人の数満るために、隣人から始めて全世界に「水と霊」の真の福音を宣伝えて行かねばならない。

●  聖餐式  へブル書9:11~22

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★ 新着情報  PC2ブログ 「御霊の声」 に、証-4 「御霊に導かれて」⑤⑥⑦ を載せましたのでご覧ください。 [E:leftright]    http://dooh-imk.info

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また祈るとき、異邦人のごとくに徒に言を反復すな。彼らは言多きによりて聴かれんと思ふなり。さらば彼らに效ふな、汝らの父は求めぬ前に、なんぢらの必要なる物を知りたまふ。 -マタイ6:7,8-

また誠に汝らに告ぐ、もし汝等のうち二人、何にても求むる事につき心を一つにせば、天にいます我が父は之を成し給ふべし。ニ三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり。-マタイ伝18:19,20-

証 9月19,20日に行われた北海道大聖会の時のこと。 2,3日前に台風15号が沖縄とその周辺に向かっていると報道があった。

OCNの気象情報の天気図を見ると、台風はゆっくり移動していて、9月19日に中心が沖縄の那覇市付近に達するとある。

大聖会には沖縄、名瀬や奄美から十数名の参加申し込みがあったので、皆さんが台風の影響を受けずに来られるよう、9月17日の安息日礼拝の時に皆でお祈りをした。

結局、全員無事に到着し、大聖会に臨まれたが、そちらからお出での先生が語られるには、「台風が迷走状態になりました」と放送があり、一旦近づいた台風が南の方へ戻り、輪を描いて一回転して反れて行ったので、この時とばかり出発してきたというお証であった。

( ※ その時の台風の動きは、台風15号進路図(気象庁発表)ー国際気象海洋(株)提供 の 動画サイトなどでご覧下さい。)

北海道大聖会も、翌21日に函館で行われた道南イエス之御霊教会の設立感謝祭・祝福祭も支障なく行われ、大感謝であった。

主イエス様が、弟子たちと共に伝道中の或る日、ガリラヤ湖で烈しい疾風に遭い、浪うち込み、船に満ちる程になった時、弟子たちは「師よ、我らは亡ぶ」と言って恐れたが、イエス様は、起きて風をいましめ、湖に向かって「黙せ、鎮まれ」と命じられた。すると風が止んで、大いなる凪となったとある-マルコ伝4:35~41-

自然界を、否全宇宙を支配なされるイエス様である。

イエス様は、神の子である我らを愛し、大聖会を祝し、出席する一人日一人の旅路を祝し、良き御配慮の中に天候をも祝して下さるお方である。 ハレルヤ!

 聖餐式 イザヤ書51:11

                       トップ写真  大通公園

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