道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2012年05月

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ー 詩篇71篇に託して ー

主ヱホバよ なんぢは我が望なり わが幼少(おさなき)よりの恃みなり われ胎をはなるゝより汝にまもられ 母の腹にありしときより汝にめぐまれたり 我つねに汝をほめたゝへん     -5,6節-

わが年老ぬるとき我をすてたまふなかれ わが力おとろふるとき我をはなれたまふなかれ  -9節-

神よなんぢわれを幼少より教へたまへり われ今にいたるまで 汝のくすしき事蹟(みわざ)をのべつたへたり  -17節-  

神よねがはくは われ老て頭髪(かみのけ)しろくなるとも我がなんぢの力を次代(つぎのよ)にのべつたへ なんぢの大能を世にうまれいづる凡のものに宣傳ふるまで我をはなれ給ふなかれ  -18節-

⦿ 兵庫教会の田内偉恵先生が召されたと知らせを受けた。昨年か今年か、どこかの大聖会でお会いし互に握手を交わし、安否をを尋ねあったのが昨日のことのように思い出される。

先生との接点は、同労者、同年の生れ、場所は違えど同じ時代を生き、福音を伝えてきたこと。

第2の人生を主に捧げ、伝道に身を投じ、病と闘いつつ使命に生きられた。

その名の如く、「大なるかな、主の」と、天国に在っても証して行かれることであろう。

われ善き戦闘をたたかひ、走るべき道程を果し、信仰を守れり。今よりのち義の冠冕わが為に備はれり。かの日に至りて正しき審判主なる主、これを我に賜はん、啻に我のみならず、凡てその顕現を慕ふ者にも賜ふべし。  -テモテ後書4:7,8-

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FC2ブログ 「御霊の声」に 証-11 始の確信 を載せました [E:leftright] 道央イエス之御霊教会HP    

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「神いひ給はく、末の日に至りて、我が霊を凡ての人に注がん。汝らの子女は預言し、汝らの若者は幻影を見、なんぢらの老人は夢を見るべし。その世に至りて、わが僕・婢女(はしため)に、わが霊を注がん、彼らは預言すべし。・・・・・・

すべて主の御名を呼び頼む者は救われん」 ー使徒行伝2章16~21ー 

ペンテコステの日に聖霊が弟子たちの上に降った。彼らは皆聖霊に満たされ、御霊の宣べしむるままに異邦の国の言葉で語り始めた。

時に敬虔なるユダヤ人が天下の国々から来てエルサレムに住んでいたが、この音が聞こえたので、集ってきた。

彼らは、使徒たちが、それぞれに彼らの住んでいる国の言葉を語っているのを聞いて驚いて言った。

「私たちは諸処方々からやってきた者なのに、どうしてガリラヤ人であるこの人たちが、私たちの国言葉で、私たちの神の大いなる御業を語るのを聞くのか」と。 

それに対して、ペテロは十一弟子たちと共に立って、預言者ヨエルの言葉を引いて、主イエス・キリストが復活し、約束の聖霊を父より受けて、

「汝らの見聞きする此のものを注ぎ給うた」 -33節-

と証したのである。

これは、聖霊を受けた事実が第三者にも分かると云うことである。

聖書には、聖霊を雨に譬えて、雨は2度降るとある。即ち秋の雨と春の雨である。          -ヨエル書2:23-

また、前の雨と後の雨とも記されている。  -ヤコブ書5:7-

ペンテコステの日の初代キリスト教会における聖霊降臨は、前の雨=秋の雨であって、20世紀になって私たちに下った聖霊降臨は後の雨=春の雨である。

今、私たちは幸いな春の雨の時代に生きている。聖霊が豊かに注がれている時代である。

主なる神イエス・キリストは何人も拒まず、来る凡ての人に約束の聖霊を与えて、神の子たる印を与えてくださる。

聖霊を受けると誰でも異言で祈ることができる。御霊自ら内住されたことを証してくださるのである。

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愛する者よ、われ我らが共に與る救ひにつき勵みて汝らに書き贈らんとせしが、聖徒の一たび傳へられたる信仰のために戦はんことを勧むる書を、汝らに贈るを必要と思へり   -ユダ書3節-

ユダ書を書いたのは、主イエス・キリストの母であるマリヤから生まれた四人の弟の一人ユダである。(マタイ伝13:55)

彼は、初代キリスト教時代に、早くもその純粋な信仰を覆そうとして出現した異端に対して断固として戦えと、この書を以って勧めた。

パウロもまたガラテヤの教会に対し 「我らの曾て宣伝へたる所に背きたる福音を汝らに宣伝ふる者あらば詛わるべし」 と書き送っている。 -1:6~9-

神の聖言から外れた教えはパン種である。純粋な福音を宣伝することこそ神の求め給うところである。

我らが宣べ伝える福音は 『水と霊』 !   この福音を高くかざして進んで行こう!

       カット写真 ≪ 国道でエゾ鹿と遭遇 ≫ 十勝清水での祝福祭の帰り道 義哉師撮影

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