:6月30日
ヱホバに感謝し その名(みな)をよび その作(なし)たまへることをもろもろの民輩(たみら)の中にしらしめよ ヱホバにむかひてうたへ ヱホバを讃(ほめ)うたへ そのもろもろの奇しき跡(みわざ)をかたれ -歴代史略上16:8,9-
尊貴(たふとき)と稜威(みいづ)とはその前(みまへ)にあり 能(ちから)とよろこびとはその聖所にあり -27節-
ダビデが王となり、戦乱の時代が終わった。
彼が最初に行ったことは、契約の箱をペリシテ人の手から取り戻すことだった。
その契約の箱は、彼がまだ幼少の頃か、生まれる以前に、祭司エリの子ホフニとピネハスの犯した罪により、ペリシテ人との戦いで奪われ、先の王サウロの時代にもそのままになっていたのだった。
ダビデは心に定めたことを実行し、契約の箱を国境の街キリアテヤリムからオベデエドムの家に移し、さらに讃美と感謝と舞踏をもってダビデの街に舁(かき)のぼり、神のために備えた幕屋の中に安置した。
そして、神に燔祭と酬恩祭を献げ、民には祝いの食物を振る舞い、諸々の楽器と讃美をもって契約の箱の前に侍ったのだった。
彼は感謝を忘れぬ人だった。そして感謝を表した詩歌を数多く作った。それが詩篇に収められている。
我等もまた、神に対して感謝する。
感謝の祈りと、讃美と、献げ物をもって神を崇めるのだ。
新約聖書から幾つかの聖句を引照しよう。
酒に酔ふな、放蕩はその中にあり、寧ろ御霊にて満され、詩と讃美と霊の歌とをもて語り合ひ、また主に向ひて心より且うたひ、かつ讃美せよ。凡ての事に就きて常に我らの主イエス・キリストの名によりて父なる神に感謝し、キリストを畏みて互ひに服へ。 -エペソ5:18~21-
汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ。凡ての人に汝らの寛容を知らしめよ、主は近し。何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求めを神に告げよ。さらば凡て人の思にすぐる神の平安は汝らの心と思とをキリスト・イエスによりて守らん。 -ピリピ4:4~7-
汝らキリスト・イエスを主として受けたるにより、其のごとく彼に在りて歩め。また彼に根ざして、その上に建てられ、かつ教へられしごとく信仰を堅くし、溢るるばかり感謝せよ。 -コロサイ2:6,7-
常に喜べ、絶えず祈れ、凡てのこと感謝せよ、これキリスト・イエスに由りて神の汝らに求め給ふ所なり。 -テサロニケ前5:16~18-
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◎ お知らせ FC2ブログ 御霊の声に 証-13 「水と霊」か「悔改め」か? を載せました。
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※ 6月28日付けの某検索エンジンのサイトに 「聖言」 を何と読むかということが載っていました。 解答例として〇〇辞典では 「せいげん」 と読むとありました。
このブログのカテゴリでは、文語体の旧約聖書に基づき 「聖言」 と書いて 「みことば」 と読みます。
例 → なんぢの聖言(みことば)はいときよし 此故になんぢの僕はこれを愛す(詩篇119:140)
ちなみに、「聖」 を 「み」 と読むのは、聖名=みな(詩篇137:7)、聖意=みこころ(138:2)、聖霊=みたま(139:7)、聖顔=みかお(51:9)、などがあります。
カット写真 [E:leftright] 白石サイクリングロード・厚別南緑地の自然林