道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2012年08月

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-ヨハネ伝4章より-

イエス答へて言ひ給ふ 『なんぢ若し神の賜物を知り、また「我に飲ませよ」といふ者の誰なるを知りたらんには、之に求めしならん、然らば汝に活ける水を與へしものを』 

イエス答へて言ひ給ふ 「すべて此の水をのむ者は、また渇かん。然れど我があたふる水を飲む者は、永遠に渇くことなし。わが與ふる水は彼の中にて泉となり、永遠の生命の水湧きいづべし」    -ヨハネ伝4:10、13-

サマリヤのヤコブの泉のほとりで主イエス・キリストが旅路に疲れて坐しておられると、サマリヤ人の女が水を汲みにやってきた。

この泉の水を巡って二人の会話が繰り広げられる。

そこからイエス様の伝道が始った。そして、ヤコブの泉の水に勝る、人にとって大切な生命の水である「聖霊」のことを説き明かされた。

これは、独りサマリヤの女に対する言葉に止まらず、凡ての人に対する主イエス・キリストのメッセージである。

祭の終の大なる日にイエス立ちて呼ばりて言ひたまふ 『人もし渇かば我に來りて飲め。我を信ずる者は、聖書に云へるごとく、その腹より活ける水、川となりて流れ出づべし』 これは彼を信ずる者の受けんとする御霊を指して言ひ給ひしなり。  -ヨハネ伝7:37~39-

主イエス・キリストは、ただ一人の亡ぶるをも望み給わず、凡ての人が悔改めに至らんことを望んでおられることを知って福音の種まきと刈入に努むべきである。

イエス言ひ給ふ 『われを遣し給へる者の御意を行ひ、その御業をなし遂ぐるは、是わが食物なり。・・・我なんぢらに告ぐ、目をあげて畑を見よ、はや黄みて収穫時になれり。』   -ヨハネ伝4:34,35-

 この所、証の伴う洗礼式が続いている。神様が働いておられるのを感じている。

                        カット写真 ⇒ 雲も残暑を告げる

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御霊の声に証-15 イエス之御霊教会教団の牧師になる を載せました。              

当ブログの中に 削除済 と表示がでる項目がありますが、削除はしておりません。

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主ヱホバの霊(みたま)われに臨めり こはヱホバわれに膏(あぶら)をそゝぎて貧きものに福音をのべ傳ふることをゆだね 我をつかはして心の傷める者をいやし 俘囚(とらはれびと)にゆるしをつげ 縛(いまし)められたるものに解放(ときはなし)をつげ ヱホバのめぐみの年とわれらの神の刑罰の日とを告げしめ 又すべて哀しむものをなぐさめ, 灰にかへ冠をたまひてシオンの中のかなしむ者にあたへ 悲哀にかへて歓喜(よろこび)のあぶらを予へ うれひの心にかへて讃美の衣をあたへしめたまふなり かれらは義の樹 エホバの植たまふ者 その栄光をあらはす者ととなへられん     -イザヤ書61:1~3-

と、主イエス・キリストより840年前の預言者イザヤが、こう預言して言った。

そして、世に現れた主イエス・キリストは、ナザレの町の会堂で、安息日に手渡されたイザヤ書を繙き、この同じ聖言を見出して読み上げられた。

「主の御霊われに在す。これ我に油を注ぎて福音を宣べしめ・・・」 

「この聖書は今日なんぢらの耳に成就したり」  -ルカ伝4:16~22-

福音とは、主イエス・キリストによる喜びのおとずれ。神が人類に与える至福の喜び。

その為に主イエス・キリストはこの世に来たり、罪人なる我らのために十字架に架かり、尊い御血を流して贖いの業を成して下さった。

主は死してのち甦り、さらに昇天して、約束の御霊を注いでくださり、今やその御霊が我らの内に宿り給うのである。

異邦人の使徒パウロもまた福音に就いて斯く言う。

兄弟よ、さきにわが傳へし福音を更に復なんぢらに示す。汝らは之を受け、之に頼りて立ちたり。・・・・・わが第一に汝らに傳へしは、我が受けし所にして、キリスト聖書に応じて我らの罪のために死に、また葬られ、聖書に応じて三日目に甦へり、ケパ(ペテロ)に現れ、後に十二弟子に現れ給ひし事なり。 -コリント前15:1~5-

                                                                          カット写真 教会の庭で

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   イエス言ひ給ふ

  『我は復活なり、生命なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。

  凡そ生きて我を信ずる者は、永遠に死なざるべし。汝これを信ずるか』

  彼いふ

  『主よ然り、我なんぢは世に来るべきキリスト、神の子なりと信ず』

                             -ヨハネ伝11:25~27-

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われ善き戦闘(たたかひ)をたたかひ、走るべき道程を果し、信仰を守れり。今よりのち義の冠冕(かんむり)わが爲に備はれり。かの日に至りて正しき審判主(さばきぬし)なる主、これを我に給はん、啻(ただ)に我のみならず、凡てその顕現(あらはれ)を慕ふ者にも賜ふべし。  -テモテ後書4:7,8-

汝また汝の子等の多くなり汝の裔(すゑ)の地の草の如くになるを知らん 汝は遐齢(よきよはひ)におよびて墓にいらん 宛然(あたかも)麦束を時にいたりて運びあぐるごとくなるべし  -ヨブ記5:25,26-

我らの同労者である喜界イエス之御霊教会の牧師宗村盛作(そうむらもりおき)先生が天に召された。73歳であった。

告別式が療養先の娘さんのおられる神戸の舞子平安葬祭会館で行われ、空路出席した。

祭壇には遺影を囲んで、生花が飾られ、愛歌である霊讃歌133番「御足の跡」始め多くの讃美と、聖言とをもって先生を天にお送りした。

前夜祭、告別式と通して先生に関わる証を拝聴した。

先生は、沖永良部島の出身。島で伝道しておられた清村東風元先生の導きにより15歳で洗礼を受け、太鼓を叩いて伝道を手伝い、20歳で献身し、日本聖書大学院で学び、卒業後奄美大島古仁屋の瀬戸内イエス之御霊教会に遣わされて伝道を開始した。

清村先生の息女敬子先生と結婚され、4人の娘さんが与えられる一方、尼崎イエス之御霊教会を経て、1968年より喜界イエス之御霊教会を委ねられて今日に至った。

喜界島の伝道では、風上からスピーカーで島の人々に水と霊の福音を宣伝えたという。信者さんがサトウキビ畑を献げ、最初の教会が建った。

2009年には、名瀬での南西諸島大聖会に引き続き、喜界イエス之御霊教会の新会堂の献堂式が行われて参列した。先生ご夫妻の多年にわたる労が報われたのだと思う。

嘗て先生とは瀬戸内海大聖会で相部屋になり、語り合った思い出がある。

前夜祭で敬子先生が披露された宗村先生の遺訓が心に残る。

      良い悪いではない。

      目立つ目立たないではない。

      大きい小さいではない。

      強い弱いではない。

      イエス様は全てご存じである。 

生くるにも死ぬるにも我が身によりて、キリストの崇められ給はんことを切に願ひ、また望むところに適へるなり。我にとりて、生くるはキリストなり、死ぬるもまた益なり。   -ピリピ書1:20,21-

                                                                                カット写真 ⇒ 明石城・坤櫓

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視よ今は恵のとき、視よ今は救の日なり  -コリント後6:2下半句

今週は、二人の兄弟が導かれて聖霊を受け、主イエス・キリストの聖名により洗礼を受けた。

また、身代り洗礼も行われた。

洗礼を受けたいという予約も入っていて感謝である。

イエス様が、

一人の亡ぶるをも望み給はず、凡ての人の悔改に至らんことを望み給ふ -ペテロ後3:9-

お方であるのを感じ、神の愛の大いなる故に聖名をほめたたえる。

イエス様が救われる魂を次々教会に送ってくださるように祈る。ハレルヤ!

まして天の父は求むる者に聖霊を賜はざらんや  -ルカ伝11:13-

                                                             カット写真 ⇒ 洗礼式場と更衣室 

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