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斯く汝ら神の子たる故に、神は御子の御霊を我らの心に遣して 『アバ、父』 と呼ばしめ給ふ。然らば最早なんぢらは僕にあらず、子たるなり、既に子たらば亦神に由りて世嗣(よつぎ)たるなり。 -ガラテヤ4:6,7-
すべて神の御霊に導かるる者は、これ神の子なり。汝らは再び懼を懐くために僕たる霊を受けしにあらず、子とせられたる者の霊を受けたり、之によりて我らは アバ父 と呼ぶなり。御霊みづから我らの霊とともに我らが神の子たることを証す。もし子たらば世嗣たらん。神の世嗣にしてキリストと共に世嗣たるなり。 -ロマ8:14~17-
主イエス・キリストが律法の下に人の子となって生れたのは、律法の下にある物を贖い、神の子とするためであった。而して主を信ずる者に、御霊を授けて神の子として下さった。故に、
キリストの御霊なき者は、キリストに属するにあらず。 -ロマ8:9-
御霊を受けてこそ、神に向かいて、
『アバ父よ』 と呼ぶことができるのだ。
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聖書は何と云へるか 『婢女(はしため)とその子とを逐(お)ひいだせ、婢女の子は自主の女の子と共に業を嗣ぐべからず』 とあり。されば兄弟よ、われらは婢女の子ならず、自主の女の子なり。 -ガラテヤ4:30,31-
アブラハムは二人の子を得た。しかし、先に生れた婢女ハガルとの子イシマエルは、肉に由れる子であったため、家から逐い出すことになった。
後から生まれた妻サラとの子イサクは、約束の子であったので、嗣業を得た。
第一の人アダムは、第二の人キリストに勝らず、
人も、生まれつきの肉なる者は、神の国を嗣ぐことはできず、水と霊とのバプテスマを受けて新生することによって、神の子となり、嗣業の保証を得るのである。
真のキリスト教会に来たり、主の約束し給いし水と霊とのバプテスマ受けて、確たる救いを得よ!
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御霊の声に、証ー16 『私の出エジプト記』 を載せました。
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