道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2012年10月

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もろもろの心勞(こころづかひを主に委ねよ、神なんぢらの為に慮ぱかり給へばなり -ペテロ前5:7-

汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ。・・・何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。さらば凡て人の思にすぐる神の平安は汝らの心と思とをキリスト・イエスによりて守らん。 -ピリピ4:4,6,7-

何を食ひ、何を飲み、何を著んとて思ひ煩ふな。是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給ふなり。まづ神の國と神の義とを求めよ、然らば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり。 -マタイ伝6:31~34-

神の力を知り、その大能の御手に全てをお任せすることは、信仰の基本である。

神は我らに御霊を注ぎ、愛する子としてくださった。それ故に凡ての祈りに応えて、ご自身の栄光を顕わさんとして待ち給うのだ。

凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。我は柔和にして心卑ければ、我が軛(くびき)を負いて我に學べ、さらば霊魂(たましひ)に休息(やすみ)を得ん。わが軛は易く、わが荷は輕ければなり。 -マタイ伝11:28~30-

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お知らせ

    ◎ 「御霊の声」に 証-17 「江別伝道事始め」 を載せました

    ◎ ホームページに 「水と霊」 の記事を載せました。

                  URL http://dooh-imk.info

 

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ヱホバの聖徒の死はそのみまへにて貴とし -詩篇116:15-

主の慈しみに活きる人の死は主の目に価高い。 -同・新共同訳-

われ善き戦闘をたたかひ、走るべき道程を果し、信仰を守れり。今よりのち義の冠冕(かんむり)わが爲に備はれり。かの日に至りて正しき審判主(さばきぬし)なる主、これを我に賜はん、啻(ただ)に我のみならず、凡てその顕現(あらはれ)を慕ふ者にも賜ふべし。 -テモテ後4:7,8-

なんぢ死に至るまで忠実なれ、然らば我生命の冠冕を與へん。 -ヨハネ黙示録2:10下-

道央イエス之御霊教会発足の時からの信者であるS姉妹が、10月17日の早朝、ご家族と支えて下さった御親族に看取られて主の御許に召された。

主をこよなく愛し、伝道もし、毎週欠かさず安息日礼拝を忠実に守る姉妹だった。

教会の行事ではいつもお手伝いをして下さり、各地の大聖会に集うことを喜びとしていた。

姉妹が国立がんセンターで、慢性白血病の診断を受けたのは5年前のことだった。

発病した時、どうして自分がこの病気に罹ったのかと思い悩まれたが、間もなく、

「自分のことは、イエス様の御意にお任せします」

と証をしてくださった・・・・・。

それ以来、入退院を繰り返されが、体調の良い時は、ご家族の運転する車で、また時には独りで地下鉄に乗って教会に通われた。

教会で神癒祈祷を重ね、最高の病院で最善の治療を受け、ご家族に支えられ、5年間を歩んでこられたのだった。

生るゝに時あり 死るに時あり -伝道之書3:1-

姉妹が召された時、教会は修復工事の真っ最中で、しかも、この週は礼拝堂を5日間かけて壁面のクロースの張替えをすることになっており、15日(月)は以前のクロースを全部剥がして、16日(火)から張替えが始ったばかりだった。そして17日を迎えた・・・・・。

姉妹の葬儀を教会で行うために、業者の方たちによる突貫工事が行われ、僅か1日で3日分の作業が為されて、ものの見事に仕上げてくださった。

18日からの姉妹の前夜祭と告別式は、ご家族と親族、親しい兄弟姉妹が集って、姉妹の大好きだった花で囲まれ、愛歌の霊讃歌14番「エルサレム」を歌い、真新しくなった会堂での第一号の行事となっで行われた。

勝を得る者には、われ神のパラダイスにある生命の樹の實を食ふことを許さん。 -黙示録2:7下-

勝を得るものは第二の死に害はるることなし。 -同2:11-

勝を得る者には我かくれたるマナを與へん、また受くる者の外、たれも知らざる新しき名を録したる白き石を與へん。 -同2:17-

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   FC2ブログ 「御霊の声」に 証-17 「江別伝道の初め」 を掲載しました。

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我らは成人したる者の中にて智慧を語る。これ此の世の智慧にあらず、又この世の廃らんとする司たちの智慧にあらず、我らは奥義を解きて神の智慧を語る、即ち隠れたる智慧にして神われらの光栄のために世の創の先より預じめ定め給ひしものなり。この世の司には之を知る者なかりき、もし知らば栄光の主を十字架に釘けざりしなり。 -コリント前2:6~8-

京都大の中山伸弥教授らがiPS細胞の研究により医学・生理学分野でノーベル賞を受賞した。再生治療のために役立つと期待されている。率直に快挙を祝いたい。

日進月歩の今日、人類の抱えている多様な要求に応えるべく、研究者が夜を日に徹してそれぞれの分野で研究に没頭しているのは良い事と思う。

唯危惧することは、万事に付けて一線を越えて逸脱することで、神の領分に踏み込み、倫理に反することがあってはならぬと思うのである。

人には欲望があり、思わぬ方向へ舵を向けることがある。その時、幸いを願って行ったことが、逆に不孝を齎す結果を生むものだ。

ノーベルが鉱物の採掘のために発明した火薬は、戦争の具に用いられた。核融合は、核兵器を産み、多くの人命が失われ、且つ恐怖政治の具と化した。平和利用の名の下に造られた原子力発電所も、事故により曲がり角にきているのは周知の事実である。

「必要は発明の母なり」 と言う。 確かに発明や発見は、人類に大きな利益を齎したが、同時に不利益も生じた。人間そのものが変わらなければ、同様な結果を生むことであろう。

人類が行っていることは、宇宙を掌る神の目から見れば、小さなことと思う。人類がこれだけ知ったと言っても、それは、神が許可し見せて下さった範囲の中でしかない。

バベルの塔の愚挙を繰り返してはならない。驕りや高ぶりは禁物だ。

謙虚に神の智慧を求めて欲しいものだ。

至高者 人間の国を治めて自己の意のままにこれを人に與へ また人の中の最も賤しき者をその上に立てたまふといふ事を 一切の者に知らしめんがためなり -ダニエル書4:17-

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 会堂の修復工事は、10月1日から始まり2週目を終えました。現在壁のビニールの張替え中で、3階と、2階のホール部分が完成しました。来週はいよいよ礼拝堂の壁の張替え作業が行われます。

その後4週で完成の予定です。御加祷をお願いします。

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15 彼らに言ひたまふ 『なんぢらは我を誰と言ふか』 16 シモン・ペテロ答へて言ふ 『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』  17 イエス答へて言ひ給ふ 『バルヨナ・シモン、汝は幸福(さいはひ)なり、汝に之を示したるは血肉にあらず、天にいます我が父なり。 18 我はまた汝に告ぐ、汝はペテロなり、我この磐(いは)の上に我が教会を建てん、黄泉(よみ)の門はこれに勝たざるべし。 19 われ天国の鍵を汝に與へん、凡そ汝が地にて縛(つな)ぐ所は、天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり』  -マタイ伝16:15~19-

カトリック教会は、ペテロの墓の上に教会を建てたが故に、正当な教会だと称している。 だが、その解釈は世に属する血肉なる解釈であって、聖書的ではない。

聖書は聖書が解く故に、このとは、即ち、「その岩は即ちキリストなりき」 とある如く、キリストを指している。 -コリント前10:4-

由って、ここはペテロが告白した 『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』 という信仰の基の上に建った教会というのが、霊なる正しい解釈である。

汝らは使徒と預言者の上に建てられた者にして、キリスト・イエス自らその首石(おやいし)たり。 -エペソ2:20-

とある如くである。

さて、天国の鍵を与えられたペテロはどのように用いられたか?

使徒行伝2:14以降には、ペンテコステの日にユダヤに人々に甦りの主イエス。キリストを証して、イエス・キリストの名によりてバプテスマを受け、聖霊の賜物を受けるように勧め、また使徒行伝10章においては、異邦人伝道の先駆者としてイタリヤの軍隊の百卒長であるコルネリオと周りの人々とに福音を宣伝え、彼等が聖霊を受け、更にイエス・キリストの御名による洗礼を授けられるに至ったと記されている。

18 誠になんぢらに告ぐ、すべて汝らが地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり。19 また誠に汝らに告ぐ、もし汝等のうち二人、何にても求むる事につき地にて心を一つにせば、天にいます我が父は之を成し給ふべし。 20 二三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり』     -マタイ伝18:18~20-

18節は、16章19節と同じ聖言に見えるが、注意して読むと、16章はペテロを指して(単数)と言われていて、18章の方では、汝ら(複数)と言われている。これは集合体なる教会を指している。我ら真のキリスト教会は、主イエス・キリストから救いに関わる権威を与えられた教会として、真の福音を世に伝えて行かねばならない。

◎ 教会に対する主の御旨  イザヤ書43章より

われ看てなんぢを寶とし尊きものとし亦なんぢを愛す -4節-

なんぢはわが證人わがえらみし僕なり -10節-

この民はわが頌美(ほまれ)をのべしめんとて我おのれのために造れるなり  -21節-

                    カット写真  ロシア・ナホトカ海岸での洗礼式

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