道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2012年12月

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世界とそのなかに充るものとはわが有(もの)なれば 縦(たと)ひわれ飢るともなんぢに告じ  感謝のそなへものを神にさゝげよ なんぢのちかひを至上者(いとたかきもの)につくのへ  なやみの日にわれをよべ 我なんぢを援(たす)けん 而してなんぢ我をあがむべし -詩篇50:12,14,15-

2012年最後の安息日礼拝は、感謝祭とした。

この一年、主は私たちを一人一人を祝福し、力ある御手をもって導いて下さった。共に感謝を主に捧げたく思う。

今年水と霊とを受けて救われた兄弟姉妹は、生命の書にその名が記されたことを感謝しよう。 

伝道の実が結ばれた事を感謝し、病が癒された事を感謝し、進学できたことを感謝し、事業が祝されたことを感謝し、祈りが聴かれた事を感謝しよう。

明日の日曜聖会は子供たちも大勢集う。主を崇めて心楽しい感謝祭としよう。

酒に酔ふな、放蕩はその中にあり、寧ろ御霊に満たされ、詩と讃美と霊の歌とをもて語り合ひ、また主に向ひて心より且うたひ、かつ讃美せよ。凡ての事に就きて常に我らの主イエス・キリストの名によりて父なる神に感謝し、キリストを畏みて互ひに服へ。  -エペソ5:20- 

汝ら常に主にありて喜べ、我また言ふ、なんぢら喜べ。凡ての人に汝らの寛容を知らしめよ、主は近し。何事をも思ひ煩ふな。ただ事ごとに祈りをなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。さらば凡て人の思にすぐる神の平安は汝らの心と思とをキリスト・イエスによりて守らん。 -ピリピ4:4~7-

汝らキリスト・イエスを主として受けたるにより、其のごとく彼に在りて歩め、また彼に根ざして、その上に建てられ、、かつ教へられし如く信仰を堅くし、溢るるばかり感謝せよ。 -コロサイ2:6,7-

常に喜べ、絶えず祈れ、凡てのこと感謝せよ、これキリスト・イエスに由りて神の汝らに求め給ふ所なり。御霊を熄(け)すな、預言を蔑(なみ)すな、凡てのこと試みて善きものを守り、凡て悪の類に遠ざかれ。 -テサロニケ前5:16~22-

ベラカ(感謝) -歴代歴史略下20章-

此の大衆のために懼るゝ勿れ慄くなかれ汝らの戦に非ずエホバの戦なればなり -15節-

ヨシャパテ王とイスラエルの民は、モアブ・アンモンの連合軍から戦いを挑まれた時、預言者ヤハジエルによって神が語られた勝利の預言を信じ、主を讃美し、戦わずして勝利し多くの戦利品を得た。

彼らは、この戦の後、ベラカ(感謝)の谷に集まって神に感謝した。 -26節-

我等も、主にあって常に勝利の生活を送っている。更なる感謝を主に捧げたい。

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                                                                      -霊讃歌第6番-

『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを納るる事を恐るな。その胎に宿る者は聖霊によるなり。かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。己が民をその罪より救ひ給ふ故なり』 -マタイ1:20,21-

『視よ、処女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと称えられん』 之を釈けば、神われらと偕に在すといふ意なり。 -同1:23-

主イエス・キリストの御降誕を祝い、御救いの地にあまねく行き渡らんことを、合せて皆さまの上に主の祝福の豊ならんことをお祈り申し上げます。ハレルヤ!

                              2012年 クリスマス

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イエス・キリストは昨日も今日も永遠までも変り給ふことなし -へブル書13:8-

教会で語られるイエス・キリストの福音は、30年前も60年前も変わらず、聖書をそのまま語っていれば、いつも同じ。

救いのことも、信仰のことも、神癒のことも、御霊のことも、復活のことも、再臨のことも、聖書を語っていれば、いつも同じ。

自分の教会で聴いても、大聖会で聴いても、語る牧師が代わっても、

主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ、凡ての者の父なる神は一つなり。

故に、聖書を語っていれば、みな同じ。

それが、イエス之御霊教会。

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   FC2ブログ 「御霊の声」 に、証-19 「霊の戦い」 を載せました。

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● サムエル後書11,12章より

ダビデ、ヨアブおよびイスラエルの全軍を遣はせり・・・されどダビデはエルサレムに止まりぬ

爰に夕暮にダビデその床より興きいでて王の家の屋蓋(やね)のうへに歩みしが 屋蓋より一人の婦人(おんな)の體をあらふを見たり その婦は観るに甚だ美し

サタンの誘惑は、人が世の富と権力で満ち足りた時にやってくる。ダビデも先帝サウルが死に、自らがイスラエルを支配する時代がやってきた。周囲の敵と戦えば連戦連勝で、もはや怖いものなし。大将ヨアブと軍に任せておけば安心と思ったのであろう、ゆっくりエルサレムに止まって散策の途中、湯あみする美女の姿を見た。

ダビデは人を遣わして彼女の身元を探ると、ウリヤの妻バテシバと知ったが、恋慕の情に耐えがたく使者を遣わして王宮に引き入れた。その結果彼女は孕んだのである。

そうあっては王として面目が立たぬ。汚名を回避するためにダビデは一計を案じた。ヨアブに命じてウリヤを戦場から引き戻し、家に帰らせて、その子がウリヤの子であるように見せかけようと仕組んだのである。

しかし実直なウリヤは、大将ヨアブも同僚も戦地にいるのに、どうして自分だけ家に帰り、妻と共にいられようかと言い、ダビデの言葉に従わなかった。そこでダビデが案じた口封じの手段は、ウリヤを亡き者にすることだった。

ダビデはヨアブに命じてウリヤを前戦に送り討ち死にさせる。そして喪の開けるのを待ってバテシバを家に召し入れて妻とし、子も生まれた。 ここまでは、彼が考えた筋書通りだった。

但しダビデの為したる此の事はエホバの目に悪かりき -27節-

神は、預言者ナタンをダビデに遣わし、彼の悪行を責め、その子の死を預言する。罪の意識に苛まれ、悔改めるダビデ。そして詠んだのが詩篇51篇である。

なんぢヒソプをもて我をきよめたまへ さらばわれ浄まらん 我をあらひたまへ さらばわれ雪よりも白からん -詩篇51:7-

あゝ神よわがために清き心をつくり わが衷になほき霊をあらたにおこしたまへ  -10-

なんぢの救のよろこびを我にかへし 自由の霊をあたへて我をたもちたまへ -12-

神のもとめたまふ祭物(そなへもの)はくだけたる霊魂(たましひ)なり 神よなんぢは砕けたる悔しこゝろを藐(かろ)しめたまふまじ -17-

ダビデの祈りは神に聴かれ、彼はバテシバによって男子を授かりソロモンと名づけた。神はまた預言者ナタンを遣わしてその子の名をヱホバの故によりてヱデデア(ヱホバの愛する者)と名づけられた。

ダビデ王国の祖たる彼にしてこの事あり、これらの事が記されたのは後の我らの鑑となるため、我らが悪に走らず、罪に染まぬためである。同時にイエス・キリストによって神の赦しの広大無辺なるを知るのである。  

なんぢらの罪は緋のごとくなるも雪のごとく白くなり 紅のごとく赤くとも羊の毛のごとくにならん -イザヤ1:18-

もし神の光のうちに在すごとく光のうちを歩まば、我ら互に交際(まじはり)を得、また其の子イエスの血、すべての罪より我らを潔む -ヨハネ第Ⅰ1:7-

人もし罪を犯さば、我等のために父の前に助主あり、即ち義なるイエス・キリストなり。彼は我らの罪のために宥の供物たり、啻に我らの爲のみならず、また全世界の爲なり。 -同2:1,2-





        Hana

汝アロンとその子等に膏(あぶら)をそゝぎて之を立て 彼らをして我に祭司の職(つとめ)をなさしむべし -出エジプト30:30-

神はモーセに命じて、彼らのために聖なる衣を製って着させ、牡山羊の血を塗り、灌油(そそぎあぶら)を取って彼らの首(こうべ)の頭帽(かしらづつみ) の上から灌いで聖別した。

この聖灌膏(きよきそそぎあぶら)はオリーブ油をベースにして、4種類の上質な香物を定められた分量に従って和(まぜ)合せて製った香油である。

この任職の膏が注がれることによって、祭司は神の御用を為すことができたのである。

此等はみな来らんとする者の影にして、その本體はキリストに属けり。 -コロサイ2:17-

旧約聖書に記されてある出来事は皆、主イエス・キリストの型であり、影である。また膏とは、聖霊の型である。順って膏を注ぐとは、聖霊を注ぐの意である。

主イエス・キリストのキリストとは、”油そそがれた者”の意であって、我らの救いの為に御霊を注がれて、大祭司の職を為し給うのである。

バプテスマのヨハネによって洗礼を受けられた主イエスの上に、神の御霊が鳩の如くに降った。ヨハネはこれを見て 『視よ、これぞ世の罪を除く神の羔羊』 と証した。 -マタイ3:13~17、ヨハネ1:29~34-

我等には、もろもろの天を通り給ひし偉(おほい)なる大祭司、神の子イエスあり、然らば我らが言いひあらはす信仰を堅く保つべし。我らの大祭司は我らの弱きを思ひ遣(や)ること能はぬ者にあらず、罪を外にして凡ての事、われらと等しく試みられ給へり。この故に我らは憐憫(あはれみ)を受けんが爲、また機(おり)に合う助となる恵を得んがために、憚らずして恵の御座(みざ)に來(きた)るべし。 -へブル4:14~16-

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お 願 い    当ブログ検索の際に、一部に 削除済 と表示が出る場合があるようですが、削除はしておりませんので、少々時間を置いて、同じ項目を再度検索をしてみて戴きたく思います。m( _  _ ) m    ~管理人~

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良き地に落ちし種あり、生え出でて茂り、實(み)を結ぶこと、三十倍、六十倍、百倍せり。 -マルコ伝4:8-

主イエス・キリストが種まきの譬え話をされた。

種播く人は、一生懸命播いたのだが、種の命運は、受け取る人によって色々あったのだ。

サタンに御言を奪われる者、艱難また迫害で消え去る者、世の心労・惑い・慾から抜け出ぬ者などは實を結び得ず、率直に御言を聴いて受け入れる者は、多くの良き實を結ぶと教えられた。

我らが多くの實を結ぶことは、神の栄光の顕われる道であり、我らにとっては神に喜ばれる道である。

『神の國は、或人、たねを地に播くが如し、 日夜起臥するほどに、種はえ出でて育てども、その故を知らず。 地はおのづから實をむすぶものにして、初には苗、つぎに穂、つひに穂の中に充ち足れる穀なる。 實、熟(みの)れば直ちに鎌を入る、収穫時(かりいれどき)の到れるなり』  -同4:26~29-

涙とともに播くものは歓喜(よろこび)とともに穫(かりと)らん その人は種をたづさへ涙をながしていでゆけど 禾束(たば)をたづさへ喜びてかへりきたらん  -詩篇126:5,6-

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