道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2013年01月

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王かれに言ひけるは 后エステルよなんぢ何をもとむるや なんぢの願意(ねがひ)は何なるや 國の半分(なかば)にいたるとも汝にあたふべし  -エステル書5:4-

エステル書は、単に史実を語るのみでなく、キリストと教会との関係、神の愛と恩寵の深さ、聖と悪との戦い、など多くのことが記されている。

インドからエチオピアに至る127州の広大な領地を治めたペルシャのアハシュエロス王は、キリストの型である。

王は、治世の3年に国の牧伯と下僕を集めて180日に及ぶ酒宴を開き、国の富と威光を示した。神の国は常に栄光で輝いている。

酒宴の最後の日、王は后ワシテを召して、その美貌を民に見せようとしたが、従わぬ后は地位を失う。

肉のユダヤ人が、キリストを受け入れず、神の御旨に副わなかった爲に、諸国に散らされたことの型である。

代わって后に選ばれたのはユダヤ人モルデカイの娘エステルだった。彼女は王の寵愛を得て后の冠を与えられ、エステルの酒宴が開かれた。

教会は、神の選民であり、キリストに許嫁(いいなずけ)された者である。而して時来たらばキリストの新婦となる光栄を約束されている。

エペソ書5:22~32には、一組の男女が結婚することは、奥義としてキリストと教会を指していると教えている。

その後、悪臣ハマンは、悪企みによってモルデカイとその民ユダヤ人を殺そうとするが、エステルの命を懸けた嘆願を、王は金圭を差し伸べ、上記の言葉をもって聴きいれ、ユダヤ人は救われ、悪臣ハマンは滅んだ。

悪魔は、神の御手に守られる教会に向かって絶対に勝つことはできない。

ユダヤ人には光輝(ひかり)あり 喜悦(よろこび)あり 快楽(たのしみ)あり 尊栄(ほまれ)ありき -8:16-

「あなたの願いは何ですか?あなたは何を求めますか?」と主なる神は問いかけています。

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みことばは天にてとこしへに定まれり  -詩篇119:89-

天地は過ぎゆかん、全然れど我が言(ことば)は過ぎ往くことなし -マタイ24:35-

聖書は神の聖言である。神の御口より出でて、人類に与えられた聖言である。

而して聖霊が預言者や使徒たちを用いて書かしめた書である。

聖書の預言は、すべて己がままに釋くべきものにあらぬを。預言は人の心より出でしにあらず、人々聖霊に動かされ、神によりて語れるものなればなり。 -ペテロ後1:2-

聖書はみな神の感動によるものにして教誨(をしへ)と譴責(いましめ)と矯正(けうせい)と義とを薫陶(くんたう)するとに益あり。これ神の人の全くなりて、諸般(もろもろ)の善き業に備を全うせんためなり。 -テモテ後3:16,17-

聖書が書かれた目的は、使徒ヨハネが言うように、

此等の事を録ししは、汝等をしてイエスの神の子キリストたることを信ぜしめ、信じて御名によりて生命を得しめんが爲なり。 -ヨハネ20:31-

である。

旧約聖書39巻と、新約聖書27巻、合せて66巻は神によって定められたと信ずる。これに加えることも、減らすことも許されない。次の聖句に心を留めよう。

我が汝らに命ずる言は汝らこれを増しまたは減らすべからず 我が汝らに命ずる汝らの神ヱホバの命令を守るべし -申命記4:2-

我が汝らに命ずるこの一切の言をなんぢら守りて行ふべし 汝これを増すなかれもた之を減すなかれ -同12:32- (箴言30:5,6)

われ凡てこの預言の言を聞く者に證す。もし之に加ふる者あらば、神はこの書に記されたる苦難(くるしみ)を彼に加へ給はん。若しこの預言の書の言を省くものあらば、神はこの書に記されたる生命の樹、また聖なる都より彼の受くべき分を省き給はん。 -ヨハネ黙示録22:18,19-

聖書は、我らの霊の糧である。活かされ、強められ、信仰が増し加えられていくために、日々学びつつ読んでいこう。

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お知らせ[E:mailto]

 御霊の声証-20 パン問題 を載せました!  [E:soon]  http://dooh-imk.info から入室

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神は御意(みこころ)を成さんために汝らの衷にはたらき、汝等をして志望(こころざし)をたて、業(わざ)を行はしめ給へばなり  -ピリピ2:13-

新春恒例の大学箱根駅伝をテレビで観た。優勝したのは日本体育大だった。

昨年は総合19位に終わり、シード権を失い涙を呑んだ。新規まき直しの今年は、予選会に始まり、好成績を上げて決戦に臨み、10人が襷を繫いで見事栄冠を得た。

新しい年を迎え、私たちも志をたて、目標を定めて進みたい。教会として進む道はいずれか。個人として進む道は何れか。

聖霊は私たちの衷に働き、道を定めてくださる。素より福音を宣伝することが私たちの使命だ。

ゴールには、勝利者に与えられる義の冠、生命の冠のご褒美が待っている。纏える荷を下ろして、良き信仰の馳場を走ろうではないか !!

われ既に取れり、既に全うせられたりと言ふにあらず、唯これを捉(とら)へんとて追求む。キリストは之を得させんとて我を捉へたまへり。兄弟よ、われは既に捉へたりと思はず、唯この一事を務む、即ち後のものを忘れ、前のものに向ひて勵み、標準(めあて)を指して進み、神のキリスト・イエスに由りて上に召したまふ召しにかかはる褒美(ほうび)を得んとて之を追求む。されば我等のうち成人したる者は、みな斯くの如き思を懐くべし。 -ピリピ3:12~15-

なんぢら知らぬか、馳場を走る者はみな走れども、褒美を得る者の、ただ一人なるを。汝らも得んために斯く走れ。すべて勝を争ふ者は何事をも節し慎む、彼らは朽つる冠冕(かんむり)を得んが爲なれど、我らは朽ちぬ冠冕を得んがために之をなすなり。斯く我が走るは目標(めあて)なきが如きにあらず、我が拳闘するは空を撃つが如きにあらず、わが體を打擲(うちたゝ)きて之を服従せしむ。恐らくは他人に宣傳へて自ら棄てらるゝ事あらん。  -コリント前9:24~27-

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そのため、技術的な問題から、記事を一時的に作業台に移動する必要が生じました。その時点で「削除済」 と表示される項目が出たり、また作業日が公開日となるなど、本来とは異なる表示がなされる結果が生じましたことをお詫び致します。

記事その物は削除しておりませんし、正しい公開日に収めていますので、お手数ながら再度の検索をお願い致しますと共に、今後とも何卒ご愛読の程よろしくお願い申し上げます。    -管理人[E:house]-

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人は心におのれの途(みち)を考えはかる されどその歩履(あゆみ)を導くものはヱホバなり -箴言16:9-

人の歩履はヱホバによる 人いかでその道を明らかにせんや -同20:24-

ヱホバよわれ知る 人の途は自己(おのれ)によらず 且つ歩行(あゆ)む人は自らその歩履を定むること能(あた)はざるなり -エレミヤ記10:23-

私たちの歩む道は、主によって定められていると、聖書は明確に教えている。その道は人の思いや考えよりも、はるかに高く優れたものである。

新しく迎えた2013年。私たち一人々々が主イエス・キリストに忠実に従い、祝福された素晴らしい日々を歩むことができるように、信仰の父アブラハム(アブラム)を手本として祈りつゝ進みたい。

爰にヱホバ、アブラムに言ひたまひけるは 汝の國を出で 汝の親族に別れ 汝の父の家を離れて 我が汝に示さん其の地に至れ 我汝を大いなる國民(たみ)と成し 汝を祝(めぐ)み 汝の名を大ならしめん 汝は祉福(さいはひ)の基となるべし 我は汝を祝する者を祝し 汝を詛(のろ)ふ者を詛はん 天下の諸々の宗族(やから)汝によりて福禔(さいはひ)を獲(えん)と  -創世記12:1~3-

ヱホバ、アブラムに言たまひけるは なんじの目を挙て爾(なんぢ)の居る處より西東北南を瞻望(のぞ)め 凡そ汝が観る所の地は 我之を永く爾と爾の裔(すえ)に與べし 我爾の後裔(すえ)を 地の塵沙(すな)の如くなさん 若し人地の塵沙を数ふることを得ば 爾の後裔も数えらるべし 爾起て縦横に其の地を行き巡るべし 我之を爾に與へんと  -同13:14~17-

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恩惠(みめぐみ)をもて 年の冕弁(かんむり)としたまへり なんぢの途(みち)には 膏(あぶら)したゝれり  -詩篇65:11-

2013年の幕が切って落とされた。

唯一の真の神の御前に、主イエス・キリストの御名に由って集った私たちの讃美と感謝と祈りとは、香の如くに立ち昇っていく。

汝にえらばれ 汝にちかづけられて 大庭にすまふ者はさいはひなり われらはなんぢの家 なんぢの宮のきよき處のめぐみにて飽くことをえん  -4節-

荒野の旅路でマナをもって養なわれたイスラエルの民は、ヨルダン川を渡って、約束の乳と密の流れる地に導かれた。

そこは肥沃な土地、程よく雨が降り、多くの実が結ぶ。

その恩滴(したゝり)野の牧場(まき)をうるほし 小山はみな歓びにかこまる 牧場はみな羊のむれを衣 もろもろの谷は穀物(たなつもの)におほはれたり かれらは皆よろこびてよばはり また謳ふ  -12,13節-

此の年も、主は先立ちて私たちを恵の高嶺へと登らしめてくださる。

    [E:note]   進み行け 進み行け いくさ人らよ

      御霊は汝が道を 開きたまへば

      雄々しくたたかへ 助けはきたる

      ヨシュアの如くに 信仰によりて [E:notes]

         ~ 霊讃歌34番1節 ~  

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