道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2013年05月

       P1040343

 

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。

神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。

「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」  -新共同訳 創世記22:1,2-

アブラハムは信仰の父と言われている。イスラエル民族の祖先であるばかりでなく、教会にとっても立派な信仰の模範を遺した人物である。

彼と、彼の妻サライが長い間祈り求めて与えられた独り子イサクを、神は燔祭として献げよ、と言われた時、彼は「はい」と言って献げた。

山に登る途中で、アブラハムが伴の若者にこう言った。

「わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」と、 -5節-

また、イサクが

「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」 -7節-

と尋ねると、アブラハムは答えた。

「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」と、 -8節-

神が命じられた場所に着き、祭壇を築き、イサクを縛って薪の上に載せ、刃物を持って屠ろうとした瞬間、天から御使いがアブラハムに呼びかけて言った。

「その子に手を下すな、・・・あなたが神を畏れる者であることが、今分かったからだ。あなたは、自分の独り子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」 -12節-

彼が見ると、傍らの木の茂みに一匹の牡羊が角をとられていた。それを捕えて息子の代わりに燔祭として献げた。

御使いは言った。

「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたが私の声に聞き従ったからである。」 -16~18節-

この言葉は、預言であって、始めの二ヵ所の子孫(複数形)は、文字通り、アブラハムの子孫を指しているが、最後の子孫(単数形)は、アブラハムの系図の中に生れるイエス・キリストを指していて、全世界の国民は、イエス・キリストの福音に与るによって祝福されることを示している。

また創世記22章全体から、アブラハムの言動の凡てに彼の信仰がこもっているのを知る。その信仰を神が見て喜ばれたのである。

「信仰なくしては神に悦ばるること能はず」 である。 -へブル11:6-

へブル書6:13~20参照

      カット写真  札幌資料館ともくれん (中央区大通西15・旧札幌地裁)

       A

このとき天国は燈火(ともしび)を執り、新郎を迎へに出づる十人の處女(をとめ)に比(なずら)ふべし。その中の五人は愚にして五人は慧し。愚かな者は燈火をとりて油を携へず、慧きものは油を器に入れて燈火とともに携へたり。 -マタイ25:1~13参照-

主イエスの再臨を待ち望むクリスチャンにとって大切なことは何か? 何よりも先に、水と霊とのバプテスマを受けて、確実な救いを得ておくことである。

愚かな五人の乙女は燈火を持っていたが、油を持っていなかった。燈火とは、信仰であり、また聖言(みことば)である。-詩篇119:105- だが燈火だけで油、即ち聖霊を持っていなければ、キリストの新婦になる資格はない。

これに対して慧き乙女は、燈火と共に油を携えていた。油が無ければ、燈火は長く明かりを燈すことができなからである。

時が経っても、なかなか主が来られないので、燈火だけの乙女は、信仰が続かなくなってきた。燈火も次第に小さくなってきた。それに対して、油を持つ人は、絶えず聖霊に満たされて活き活きした信仰を続けることができた。

そして、主の再臨の日に、油を持つ乙女は、婚礼の宴席に招かれたが、燈火だけの乙女は、燈火が消えかかり、油を分けてくれる人もいなかったので、探し回って宴席に駆けつけたときには、門が閉まっていて入られず、中から 「我は汝らを知らず」 と声があったというのである。

明確な聖霊のバプテスマを受けなければならないのである。

然れど神の御霊なんぢらの中に宿り給はば、汝らは肉に居らで霊に居らん、キリストの御霊なき者はキリストに属する者にあらず。 -ロマ8:9-

  But that is not how you live. You are on the spiritual level, if only God' spirit dwells within you; and if a man does not possess the Spirit of Christ, he is no Christian. -The New English Bible-

         *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 お知らせ → 御霊の声に 回想記ー24  樹は果をもて知らるるなり を載せました

         ホームページ http://dooh.imk.info   関連リンク

        P1040265

山に上り(のぼ)り木を携へ来て殿(みや)を建てよ さすれば我これを悦(よろこ)び 又榮光(さかえ)を受けん ヱホバこれを言ふ -ハガイ1:8-

われ榮光をもてこの殿に充満(みた)さん 萬軍のヱホバこれを言ふ 銀も我ものなり 金もわが物なりと 萬軍のヱホバいひたまふ この殿の後の榮光は 従前(さき)の榮光よりも大なりと 萬軍のヱホバいひたまふ -同2:7~9-

ペルシャ王クロスの「エルサレムを建てなおせ」との命令を受けて帰国したゼルバベルは、神殿の再建を開始したが、周囲の敵によって中止されられてしまった。

15年もの年月が流れ、民は意気消沈して、神殿建設に無関心となり、自分の家の建築や、己が事にのみ心を奪われていた。

神を第二としたために、民は祝福を失い、価を得ても破れた袋に入れるように何物も手にすることができなかった。

この時、神のことばが預言者ハガイに臨んだ。 「神殿を建てよ」と。

その言葉に励まされて、ゼルバベルと祭司長ヨシュア及び民たちは奮起する。

その日、ダリヨス王の2年9月24日、「この日よりのちわれ汝らを恵まん」と主なる神は言われた。

我等もゼルバベルの如く福音の故に恵まれ、 「その日に我なんぢを取り なんぢを印の如くにせん そはわれ汝をえらびたればなり」 の聖言に適う者とされ、神の体なる教会建設の為に励みたく願うのである。 -同2:23-

    *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

道央教会では、昨年は、思わぬ水道管の事故に遭いましが、火災保険が適用されて会堂内部の床と壁のリニューアル工事が行われました。 

今年は、外壁の補修メンテナンスを行うように導かれています。 主な工事は、コーキングの張替え、タイルの目地詰と美装などです。主の喜び給うことが為されますようにお祈りください。

             歌え歌え 我等の神を

            其の云い給いし如く 御言葉なれり

            我行わば 誰か止めんと

            事を初め なしとげ給う

                     霊讃歌23 献堂式讃歌

このページのトップヘ