道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2013年07月

      Img005  ギルボア山

ピリポが、神の国とイエス・キリストの御名とに就きて宣伝ふるを人々信じたれば、男女ともにバプテスマを受く。 -使徒行伝8:12-

ステパノの殉教を機に発したユダヤ人の教会に対する迫害によって、使徒たち以外の者は皆、エルサレムから地方に散らされた。

その一人、ピリポはサマリヤの町に下ってキリストを宣伝えたところ、奇跡・不思議・徴が起きて、大勢の人々が主を信じてバプテスマを受けた。

エルサレムに居る使徒たちは、サマリヤ人、神の御言を受けたりと聞きてペテロとヨハネとを遣したれば、彼ら下りて人々の聖霊を受けんことを祈れり。これ主イエスの名によりてバプテスマを受けしのみにて、聖霊いまだその一人だに降らざりしなり。爰に二人のもの彼らの上に手を按きたれば、みな聖霊を受けたり。 -同8:14~16-

ここに聖霊を求めて祈る大切さが記されている。

洗礼を受けたら自動的に聖霊を受けると教える教派の教会がある。その根拠としてイエス・キリストがヨハネからバプテスマを受けた時に、聖霊が鳩のように下ったあるからだと主張するが、聖書を良く読んでみると、ヨハネのバプテスマを受けた人は大勢いるが、一人として聖霊が下った人はおらず、唯一、主イエス・キリストのみであることを知る。

ヨハネは水でバプテスマを施したが、主イエスは聖霊と火とでばバプテスマを施すお方である。その資格のある方が何方であるかをヨハネに示すために、聖霊が鳩のように主イエスに下って、止まったのである。

ペンテコステの日の聖霊降臨は、主の「エルサレムを離れずして、我より聞きし父の約束を待て。ヨハネは水にてバプテスマを施ししが、汝らは日ならずして聖霊にてバプテスマを施されん」とのご命令に使徒たちが従い、一処に集っている時に、彼らの上に降ったのである。その徴は御霊の宣べしむるままに異邦の言=異言を語ったことである。-使徒行伝1:4.5 同2:1~4-

我らは「天の父は求むる者に聖霊を賜はざらんや」と主が言い給うたように、祈り求めてはっきりと異言の徴の伴う聖霊を受けなければならない。-ルカ11:13-

「 導く者なくば、いかで悟り得ん」 -使徒8:31-

サマリヤから荒野に導かれたピリポ、そこで逢ったのはエチオピアの女王に仕える高官であった。エルサレムに宮詣をした帰り道、馬車に乗ってイザヤ書を読んでいた。御霊がピリポにその馬車に近づくように言い、「その読むところを悟るか」と問うと、「導く者なくば、いかで悟り得ん」と答えが返ってきた。このことからピリポは、その聖句を始めとしてイエスの福音を宣伝た。、行くうちに水があったので「バプテスマを受けたい」と願いを受けて、ピリポはエチオピア人にバプテスマを授けたのである。

神を求める一人の人に対して、全き救いを与える神の愛をここに見る。

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兄弟よ、わが心のねがひ、神に對する祈は、彼らの救はれんことなり。われ彼らが神のために熱心なることを證す、されど其の熱心は知識によらざるなり。それは神の義を知らず、己の義を立てんとして、神の義に服はざればなり。キリストは凡て信ずる者の義とせられん為に律法(おきて)の終となり給へり -ロマ10:1~4-

パウロは、同胞であるイスラエル人の救われることを切に願った。

彼自身が、神に対する信仰に熱心であると信じていたのに、その神が救い主イエス・キリストを世に送った時、救い主と信ぜず、弟子たちに迫害を加えたのは、無知ゆえであったと告白する。

人の救われるのは、モーセの律法によるのではなく、人の罪のために死人の中から甦り、信ずる者に永遠の生命を与えてくださるイエス・キリストによるのだと語った。

そして、主に遣わされて伝道すべきことを勧めている。

我らはどうであろうか、同胞である日本人は、先祖伝来の偶像教に走っている。真の神を知らず、救いの道を知らない。霊の覚醒が必要である。目覚めよ!と福音を伝えなければならない。

更には世界の人々の救霊のために祈り、「水と霊」の全き福音を宣伝えていかなければならない。

ああ美しきかな、善き事を告ぐる者の足よ -15節-

信仰は聞くにより、聞くはキリストの言(ことば)による。 -17節-

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イエス・キリストは昨日も今日も永遠(とこしえ)までも変り給ふことなし。 -へブル書13:8

預言者エリシヤは飢饉のときに、預言者たちを招き、大釜で羹(あつもの)を煮て振舞おうとした。時に一人の人が田野で青物を摘んでいたが、野瓜を見つけ、その物の如何を知らずに切り刻み、釜の中に入れた。いざ食べようとしたところ、それが死を来たらせる有害な青物であると分かり、誰も食べる者がなかった。 エリシヤは僕に粉を持ってこさせ、釜になげ入れて器に盛って預言者たちに食べるよう勧めた。釜の中に害物が無くなったからである。 -列王下:38~41-

また、出エジプト記15:22以下には、メラの水が苦くて飲めなかったが、モーセが神に呼ばわると、神が一本の木を示されたので、これを水に投げ入れると水は甘くなったとある。 この木とは、十字架に架かられたイエス・キリストのことであって、私たちの生活の中にイエス・キリストが入ってこられると全てが一変するのである。

われらの主イエス・キリストは、永遠に不変の神である。その言われた言葉通りのことを信ずる者に行ってくださる。奇跡も不思議も、さまざまな能力(ちから)ある業を行って、御自身が活ける神であることを顕わしておられる。

信ずる者には此等の徴、ともなはん。即ち我が名によりて悪鬼を逐ひいだし、新しき言をかたり、蛇を握るとも、毒を飲むとも、害を受けず、病める者に手をつけなば癒えん。 マルコ16:17,18

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弔意

2000年に道央イエス之御霊教会の会堂を建築してくださった、株式会社テスクの取締役相談役 (創業者で当時の代表取締役社長)丹征吉愛兄が、6月28日に76歳で召天され、7月1日と2日の両日、市内の斎場で株式会社テスク社葬として葬儀が行われました。

謹んで哀悼の意を表しますとともに、後継の御子息である代表取締役社長 丹英司様始め株式会社テスクの皆様の更なる発展をお祈り申し上げます。

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