道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2013年10月

      P1000072  サンパラソル

我イスラエルの中に7千人を遺さん  皆その膝をバアルに跼(かが)めず その口を之に接(つけ)ざる者なり -列王上19:18-

イスラエルの王アハブは、シドンの王の娘イゼベルを妻に娶り、異邦の神バアルに仕えた。唯一の神を信ずべく選民とされたイスラエルにとってあるまじきことであった。

預言者エリヤが立ち上がり、王の背信を糾弾するが、王は心を翻そうとせず、反って益々偶像教にのめりこんでいった。

エリヤに神の怒りの言葉が下り、アハブに向かい「数年の間、雨露はなし」と預言した。

その間、エリヤは烏や寡婦に養われ、不思議と徴を以って神の言の真実であることを証する。

そして対決の時がやってきた。エリヤはアハブに提案し、バアルの預言者450人と、アシラの預言者400人を集めて、群衆の面前で、どちらが真の神であるか祈り比べをしようと言う。偶像の預言者850人が束になって祈っても火が下らなかったが、神はエリヤ一人の祈りに応えて火を下された。こうして偶像の預言者らは粛清される。

火をもて應(こたふ)る神を神と爲べし -18:24-

イゼベルは復讐の鬼と化し、エリヤの命を狙う。

エリヤは荒野に逃げ、エニシダの下に坐して、死ぬならば「神よ命を取りたまえ」と祈るが、御使いが来てパンと水を与え力付けられた。

神の山ホレブの洞窟で主の言が彼に臨んだ。だが風の中にも、地震の中にも、火の中にも神は居られなかった、静かな細き声をもって神は語られた。今は、聖霊が我らの中に在って語られる。

「惟(ただ)我一人在(のこれ)るに」と言うなかれ、我イスラエルの中に7千人を遺さんと神は言い給うた。多くの民が偶像教徒となる中で、真の神を信ずる者がまだ7千人いるのだと言って、主はエリヤを励ました。

ロマ書11章2~12節は、旧約聖書の故事を引用して「今もなほ恩恵(めぐみ)の選によりて遺れる者あり」と説く。 -5節-

然り、我ら真の教会に属するものは、は異邦人の中より神に選ばれ、行為によらず、恵みにより、信仰によりて救われた者である。

     P1000083a   二重の虹

彼その名をモーセ(ひきい出し)と名付けて言う 我これを水より援(ひき)いだせしに因ると -出エジプト2:10-

エジプトの王パロの娘に見いだされ、川からひきだされた幼子モーセ、彼にはイスラエル人をエジプトから引き出すという大きな使命が待っていた。

成人したモーセは、同胞イスラエル人がパロの圧政の下で苦しむのを見る。 王の許を去ったモーセは、ミデアンに移った。 その地で神はモーセに現れ、イスラエル人を救い出すように命じられる。

だが、口下手な自分に何ができようか、他の人を遣わしてくださいとモーセは言う。

神が言われた。お前の口を作ったのは誰か、私ではないか。私がお前に言葉を授ける、それを語れば良いのだと。

なおも固辞するモーセに神が言われた。お前の兄アロンは能弁な人だ。彼を助け手としよう。私はお前に語る。お前はそれをアロンに告げよ。アロンがお前に代わって民と王に語るのだと。

モーセとアロンの二人は、民に神の御旨を説き、エジプト王の前に立ってイスラエル人の開放を願うが、聞き入れられぬ。

エジプトに災いが下るが、王は心を頑なにして、モーセの願いを拒絶する。

そして遂にエジプトに住む人も家畜も、長子は悉く死ぬという破滅の時が迫った。

逃れる道はただ一つ、神が示した過ぎ越しの羔羊を屠って、その血を門口の柱と鴨居に塗り、死の使いが入らぬよう備えをすることのみ。イスラエル人は皆備えをしたが、エジプト人はしなかった・・・。

我らクリスチャンは、過ぎ越しの羔羊である主イエス・キリストの血によって罪より贖われ、滅亡より救われた者である。

信仰に由りてモーセは人と成りしときパロの女(むすめ)の子と称えらるるを否み、罪のはかなき歓楽(たのしみ)を受けんよりは、寧ろ神の民とともに苦しまんことを善しとし、キリストに因る謗りはエジプトの財寳(たから)にまさる大いなる富と思えり、これ報いを望めばなり。-へブル11:24,25-

     P1000069_2 

われ汝らに告ぐ、斯くのごとく悔改むる一人の罪人のためには、悔改めの必要なき九十九人の正しき者にも勝りて、天に歓喜(よろこび)あるべし。 -ルカ15:7-

百匹の羊を持つ羊飼いがいた。その中の一匹が迷子になった。他の人が言った。「一匹くらい居なくなっても良いではありませんか。」と。

だが、飼い主は言った。「私の大切な羊です。きっと悲しんで鳴いているに違いありません。この羊の群れを見張っていてください。私は行って探してきます。」

そして、探しだし、家に連れ帰って、近所の人を呼び集め、「私とともに喜んでください。居なくなった羊を見つけました。」と言った。

主イエス・キリストの御心は、

「ただ一人の亡ぶるをも望み給わず、凡ての人の悔改めに至らんことを望みて、汝らを永く忍び給うなり」である。 -ペテロ後3:9-

「義人なし、一人だになし、聡き者なく、神を求むる者なし」-ロマ1:10-

とあるが、もし世に義人がいるとするならば、ノア,ダニエル、ヨブの三人あるのみ、それとても自らを救うのみで、他の人を救うことはできない。-エゼキエル14:14- 主イエス・キリストのみが、全人類を救うことができる唯一無二のお方である。

ノアの時は、水で滅んだ。救われたのは、箱舟に入った者のみだった。そして、主なる神は再び水で滅ぼさないという契約の徴として天に虹をかけた。

次は、火をもって世界は焼けとける。その滅びから救われるのは、第一に主イエス・キリストの救い主なることを信じ、水のバプテスマを受けて、罪許されること、第二に聖霊と火のバプテスマを受けて、救いの保障を受けることである。水と霊のバプテスマこそ新しい契約の徴なのだ。

イエス答へ給ふ「まことに誠に汝に告ぐ、人は水と霊とによりて生まれずば、神の国に入ること能(あた)はず」 -ヨハネ3:5-

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