道央イエス之御霊教会ブログ

安息日礼拝で開かれた聖書の御言葉を始め、折々に導かれた御言葉を取り上げ、証などを交え掲載しています。皆様の訪問をお待ちしています。   -管理人-

2013年12月

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2013年もあと僅かで過ぎようとしている。数々の恵みを頂いたことを思い返し感謝で一杯である。主なる神、イエス・キリストと偕(とも)に歩ませていただいた一年であった。ハレルヤ!

1.エノク神と偕に歩みしが 神かれを取りたまひければをらずなりぬ -創世記5:24-

ユダ書14節に、エノクの預言が書いてある。彼は、審判者としてキリストが再臨すると言っている。エノクは義人であった。神は彼を罪の世界に置くを好まず、生きたまま天界に引き上げたのである。

2.ノアはエホバの目に前に恩(めぐみ)を得たり ノアは義人にして其世の完全(まった)き者なりき ノア神と偕に歩めり -同6:8、9-

悪で満ちた世界を洪水をもって滅ぼそうと神は定められた。義人ノアと家族だけは、神が命じた箱舟に入って救われた。箱舟を出た彼らがみたのは虹であった

『我わが虹を雲の中に起さん是我と世との間の契約の徴なるべし』-13節- 

と神は言われた。虹は、再びノアの日の如き洪水はないという神の約束である。

だが、次には『火にて焼かれん為に敬虔ならぬ人々の審判と滅亡の日まで保たれるるなり ペテロ後3:7- とある。心せよ。

3.アブラむ九十九歳の時エホバ、アブラムに顕れて之に言たまひけるは 我は全能の神なり 汝(わが)神の前に行(あゆ)みて完全(まった)かれよ。我わが契約を我と汝の間に立て 大いに汝の子孫を増ん -同17:1,2-

その契約とは、割礼を受けることであった。イスラエルの家に生まれた者も、異邦人から金で買った者も、皆生後8日目に割礼を受けて、民籍に属したのである。

これら旧約の時代に為されたことは皆、天にある物の型と影とであって-へブル8:5-キリストによって成就したのである。

我らは初めの契約によらず、第二の契約、即ち新しい契約である主イエス・キリストの贖罪の血によって義とされ、神の子となり、御霊に導かれて歩んでいるのである。

今年は、教会に在っては、安息日礼拝を始め集会が祝され、水と霊の救いがなされ、主の恵みに与った。また外壁工事が為され、北海道大聖会が行われ、各地の大聖会や献堂式に出席することができた。健康も守られ、兄弟姉妹や周囲の皆様に祈りをもって支えられて歩むことができた。恵みの数々書き表すことは到底できない。大感謝を主にお捧げする。ハレルヤ!

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感 謝 !!! 

Dglxasset1 戸外ではしんしんと雪が降っています。明日は白雪が輝いていることでしょう。

今年のブログはこれをもって終ります。毎日のように読んで下さった皆様に感謝します。

どうか良い年をお迎えください。

                   管理人より

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主イエス・キリストの御生誕を祝い、皆様の平安をお祈りいたします。

『いと高き処には栄光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』 -ルカ2:14-

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我またエホバの聲をきく 曰くわれ誰をつかはさん 誰かわれらのために往べきかと そのとき我いひけるは われ此(ここ)にあり 我をつかはしたまへ -イザヤ6:8-

神の御言葉に従って行く伝道は楽しい。行く先々で人々が待っていて下さる。御霊の善き果を結んで帰ってくることができる。ハレルヤ!

かれらの艱難(なやみ)のときはエホバもなやみ給ひて その面前(みまへ)の使をもて彼等を救ひ その愛とその憐憫(あわれみ)とによりて彼等をあがなひ 彼らをもたげ 昔時(いにしへ)の日つねに彼等をいだきたまへり -イザヤ63:9-

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事の全體の帰(き)する所を聽べし 云く 神を畏れその誡命(いましめ)を守れ 是は諸(すべて)の人の本分たり -伝道之書12:13-

伝道之書は、著者の名が明確に記されていないが、ダビデの子、ヱルサレムの王(1:1)とあり、箴言の作者である(13:9)など、随所にソロモン王を仄めかす語が記されている。

伝道者言く 空の空 空の空なる哉 都て空なり -1:2-

知恵もあり富も豊かな王は、心の侭にあらゆることを行ったが、その結果は空しいものであった言う。この世のものを幾ら得ても満たされないのが心というものである。

神の為したまふところは 皆その時に適ひて美麗(うるは)しかり 神はまた人の心に永遠をおもふの思念(おもひ)を賦(さづ)けたまへり -3:11-

萬の事に時があると云う。人が幾ら急いても、神の時が来なければ、事は成就しない。忍耐し、希望を持って祈り、神が働き御業を行い給う時を待て、その時こそ神の栄光が顕われる時だと聖書は教えている。いつも神を畏れて御前に歩むことが大切だた思う。

旧約の時代には、ソロモンのように素晴らしい人がいた。だが、新約の時代に生きる我々は、更に優れる大いなる者とされている。それは、主イエス・キリストの名によるバプテスマを受けて身が洗われ、聖霊を受けて、神が内に住み給い、神の子とされている事である。

世の凡ての寶に優る霊の物、永遠の生命なる主イエス・キリストを持つことが大切である。

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我らはキリストの教の初歩に止まることなく、…、完全(まったき)にすすむべし。神もし許し給はば、我ら之をなさん。 -へブル6:1~3-

コリント前章3:1,2には、信仰の幼子について書かれている。パウロは彼らに乳のみ飲ませて堅き食物を与えなかったとある。その訳は救われていながら未だに肉に属する者だからだと言う。

へブル5:12~14には、「なんぢら時を経ること久しければ、教師となるべき者なるに、今また神の言(ことば)を教へられざるを得ず、汝らは堅き食物ならで乳を要する者となれり。おほよそ乳を用ふる者は幼児なれば、未だ義の言に熟せず、堅き食物は知力を練習して善悪を弁ふる成人(おとな)の用ふるものなり。」と記されている。

我らの信仰は、日ごと夜毎に成長するものでなければならない。主イエス・キリストによって新たに生まれたのだから、義の実を結んで、キリストの栄光を輝かす者とならなければならない。

毎週、礼拝に集うことは、信仰の成長に欠かせないことである。聖徒は、教会で聖書の御言葉をもて霊の糧に与り、異言の祈りをもって主と交わり、讃美をもて主を誉め称え、感謝の供え物を主に奉げ、主と共に歩む時、自ずからキリストの身の丈に達せんためなりと、信仰の成長をみることができる。

主が導いて救いを与えてくださった教会、主が籍を定めて下さった教会が、あなたの教会です。ご自分がその教会の肢であることを、一員であることを忘れずに集って励まれることをお勧めします。

ますます我らの主なる救い主イエス・キリストの恩寵(めぐみ)と主を知る知識とに進め。願くは今および永遠(とこしへ)の日まで榮光かれに在らんことを。 -ペテロ後3:18-

   

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